「記憶の泉」高嶋敏展作品展(於:松江市雑賀町 旧村松邸)
対話型鑑賞会 11月17日(土)14:30~
参加者 8~10名程度(途中交代あり)
ナビゲーター 春日美由紀
画像で分かるように、邸宅内部にインスタレーションの形態で作品が展示されている。
最初に暗くした居室の展示作品から鑑賞し、茶室の作品を後にした。
開始時間は14:30~としていたが、鑑賞者が多数来場しているタイミング(14:10くらい)で作家の高嶋さんから「今から始めたほうが鑑賞者がたくさんいるよ。」との声かけをいただいたので、予定時刻より早めて始めた。そのため、予定時刻に合わせて来場した方は、2作品目からの参加となった。
鑑賞会に参加された方は、どなたも対話型鑑賞は初めてだったので、簡単にナビゲーターとみるみるの会の紹介と鑑賞方法を説明した。
参加者の中には来られたばかりで作品を十分に鑑賞していない方もおられたので、まずは全員じっくりみていただくことから始めた。床の上にはキャプションが展示されていたが、特に「みる」ことを制限することはしなかった。
鑑賞の大まかな流れ(〇:鑑賞者、ナ:ナビゲーター、作:作家)
〇写真が端まできっちり写っていないので、古い写真だと思う。
〇写真に写っている人たちの衣服が着物だったり、軍服ぽかったりするで古い写真だと思う。
〇日本髪を結っているから古い時代。
〇色がセピア色で、古さやなつかしさ、昔家にあった満州時代の写真を思い出す。
ナ)写真についての発言が多いが、この展示についても何かないか?
〇暗いので、写真と私が1対1。写真に写っている人と親密な関係になった気分
〇ガラスで遮断されていないので、温かみがある。
〇浮かべてあるが、浮かぶために何かしてあるのか?
〇写真家の高嶋君が写していない。明かりが柔らかい。レトロな作品なので白熱球の明かりだとどうなのか?この明かり(LED)でやろうとした意図は?昔の写真を現代の明かりで、現代の私たちがみる。
〇この家でやっているのにこの家の人が写っている訳ではないし、写真家の高嶋さんが撮った作品でもない。高嶋さんに縁の作品みたいだが、そこに驚きがあった。
ナ)高嶋敏展写真展ではなく作品展になっている。だから、写真だけでなくここの部屋すべてを作品として捉えてどうか?
〇1点1点と向き合う感じ。膝をついて覗き込むようになるので「観に行く」感じがする。
〇床の上にある写真は高嶋さん?そうじゃないとしても、裕福な家庭の子ども。ブリキの自動車にまたがっている。
〇外で写している写真が多いので、写真機材をもっていて、外で撮った。高嶋さんの祖父なら高嶋さんも幼いころから写真に親しむ環境があったということ。
〇よくみると、みえてくる。話さないと出てこない。最初は予想もしなかったことがどんどん出てくる。こんなふうにみさせていただくなんて想像もしていなかった。
〇素朴な疑問だが、写真を沈ませてみたらどうなのだろう。幼い頃、「人魚」の見世物小屋があって、濁った水を張った容器を暗い部屋の中で覗き込んだこととオーバーラップした。
〇写真を入れた容器が火鉢で、丸みがあって、光がぼんやりと反射して温かさを感じる。
〇火鉢もこの写真に写っている人たちの時代のもので、今はもう居ない。灰になってしまった。だから火鉢なんだけど、水が入れてある。火と水。作品展のタイトルは記憶の泉。
ナ)たくさんお話しいただいて、楽しかったと思われた方は、次の部屋へ移動して頂けたら?茶室に写真が展示してあります。
2作品目は茶室の床に写真が並べて置いてある状態で展示されていた。並べ方は画像からも分かるように炉の周囲を取り囲むように並べられていた。暗い部屋から明るい部屋に移って、初めて鑑賞者同士が顔を合わせることになり、鑑賞者の多さにビックリする発言もあった。
鑑賞の大まかな流れ(〇:鑑賞者、ナ:ナビゲーター、作:作家)
〇蜘蛛の糸に光の反射
ナ)蜘蛛の巣だとして、それプラス何か?
〇蜘蛛の巣に光が当たって、手を触れるとこうなるのかな?
〇並べて置いてあって、何か意味があるのかな?
〇蜘蛛の巣の写真と、床に枯れ枝が掛けてあるのは何か意味があるのか?
〇どうしてこの部屋?
〇窓もここだけ開けてあって庭がみえる
〇初め、どこに写真があるんだろうと思った。大理石の床の茶室かと思った。思わず踏んでしまった。
〇窓の外にも蜘蛛の巣がある。これを写したのか?
〇写真は木の枝もあるのでは?全部が蜘蛛の巣?
作)全部、蜘蛛の巣です。ここにあるのは全部この庭でとったもの
ナ)その情報も踏まえて、何か考えられること
〇私は一瞬。蜘蛛の巣って一瞬でなくなるから・・・。
〇私は一期一会かな。でも、この蜘蛛の巣の光は一瞬ではない。揺れている幅の分だけ時間の幅がある。
〇写真の並べ方が、少しずらしてある
〇炉が切ってあるから、炉の再現では?
〇四角い空間が、会話、会話、会話 茶室だし(※炉が四角、写真の配置で四角い箇所が2か所ある)
〇口(くち)にも見える(上記の※に同じ)
ナ)じゃあ、ここ(この場所という意味)でなぜ蜘蛛の巣?
〇茶室なので、お客さんが来たところを蜘蛛の巣で捕まえて・・・。
〇やっぱり一期一会、一瞬だけど、時間が流れる。幅がある。蜘蛛の糸が虹の様に光っているが、虹ははかなく、短い時間の流れを感じる
〇蜘蛛の糸のピンと張り詰めた感じが、茶室の空気、張り詰めた空気と同じ?感じ?
〇音まで聞こえてきそう。ピンと張り詰めた。茶室なので姿勢もピンとする。そのピンとが空気が張り詰めた感じ
〇写真に色彩が無い、枯山水、無駄を省いた、寂び?寒い冬を感じる
〇寒さを感じる、炉が切ってある、やはり冬
鑑賞を終えて
成人で、ややマニアックな作品展に来場する方々らしく、鑑賞眼は高く、中には写真の心得もある方もおられたようなので、撮影に関する専門的な発言もあった。また、最初の作品群はキャプションを参考にされた発言もあったが、写真のみならず、展示のされ方、その意味についても考えた発言が出てくることに、ナビをしながら感動していた。思い思いに話されるので、ナビとして場のコントロールにはやや気を使ったが、最初の部屋は暗くて互いがみえないことがよかったのか、逆に他者の話をよく聞き、つなげた内容の話をされ、会話が自然にコネクトされていた。謎を解いていく知的好奇心も刺激されていたように思う。「授業みたい」と言われた方もおられたが、「よくみると、みえてくる。話さないと出てこない。最初は予想もしなかったことがどんどん出てくる。こんなふうにみさせていただくなんて想像もしていなかった。」との発言は、この鑑賞法への最大限の評価だ。何にも増してうれしい発言だった。そして、この体験を踏まえて2作品目に臨んだ。
2作品目は部屋にしつらえられたものや設定にも発見があり、写真作品だけでなく、この部屋で展示されていることの意味を考えようとする姿勢がみられ、鑑賞として高次な印象を受けた。もちろん、そのように仕組んだ作家の高嶋さんの企てが見事だったということで、対話が進む中で、高嶋さんが随所でネタバレされても、誰もが「そうなのか」「なるほど」と感心しながら作品を読み解いていく楽しさを味わっていた。
後半は、ナビの出番がほぼなくなり、共に鑑賞者となって発言していた。高嶋さんも作品のネタバレはされるけれども、参加者は自分が自由にみて感じたこととネタバレが違っていても、それを否定的にとらえることはなく、そのギャップを楽しんでいるところもあるような空気感があった。
どなたも2作品の鑑賞会は楽しんでいただけたようで、終わりに「いや~、面白かった」と言っていただいて、皆さんから自然に「拍手」が起こったのがとてもうれしかった。そして、タイムラグで参加された2名の方と最初の作品に戻って鑑賞を行っていたところ、ここにも途中参加の方が現れ、共に鑑賞し、1時間余の鑑賞会を終えた。1時間余があっという間で、気分が高揚しているのを感じながら帰路についた。
振り返り
鑑賞のやり方だけ伝えたら、後はどんどん会話が続いて、ナビの出番はほとんどなかったが、様々出てくる発言を確認しながら積み上げて返すことで新たな発見につながるような言葉がけをした。作家が作品展の場におられるので、鑑賞者は「答え」を求めようとする傾向にあった。鑑賞者が考えたことが、作家の意図と同じであることが多々あったが、さすがに大人なので「当てっこ」に流れることはなかった。高嶋さんは写真家なので「写真展」だと思っていた方が多かったが、「作品展」であることを伝えたことにより、「写真」だけでなく、この場所での「作品」として、全体をみることにつなげられた。
どうナビするのがよいのか?を考えるヒマも無く、場を、どう進めて行くのかに精一杯だったが、終わった時には不思議と充実感があり、自分自身も楽しんでいたことがわかった。とても濃い時間を過ごさせていただき、満足している。参加者の皆様、ありがとうございました。
【対話型鑑賞会のお知らせ】
高嶋敏展写真展「フラグメンツ」こちらの写真展で対話型鑑賞会をします。
期日:12月15日(土)14:00~
場所:奥出雲葡萄園 地下ギャラリーにて
今回のナビレポートの作品展に続き、高嶋敏展さんの写真展での対話型鑑賞会です。
食の杜にある奥出雲葡萄園は、食事はもちろんですが地下スペースをはじめ建物やロケーションもすてきな所です。
雲南市木次町まで足をのばしてみませんか?
対話型鑑賞会 11月17日(土)14:30~
参加者 8~10名程度(途中交代あり)
ナビゲーター 春日美由紀
画像で分かるように、邸宅内部にインスタレーションの形態で作品が展示されている。
最初に暗くした居室の展示作品から鑑賞し、茶室の作品を後にした。
開始時間は14:30~としていたが、鑑賞者が多数来場しているタイミング(14:10くらい)で作家の高嶋さんから「今から始めたほうが鑑賞者がたくさんいるよ。」との声かけをいただいたので、予定時刻より早めて始めた。そのため、予定時刻に合わせて来場した方は、2作品目からの参加となった。
鑑賞会に参加された方は、どなたも対話型鑑賞は初めてだったので、簡単にナビゲーターとみるみるの会の紹介と鑑賞方法を説明した。
参加者の中には来られたばかりで作品を十分に鑑賞していない方もおられたので、まずは全員じっくりみていただくことから始めた。床の上にはキャプションが展示されていたが、特に「みる」ことを制限することはしなかった。
鑑賞の大まかな流れ(〇:鑑賞者、ナ:ナビゲーター、作:作家)
〇写真が端まできっちり写っていないので、古い写真だと思う。
〇写真に写っている人たちの衣服が着物だったり、軍服ぽかったりするで古い写真だと思う。
〇日本髪を結っているから古い時代。
〇色がセピア色で、古さやなつかしさ、昔家にあった満州時代の写真を思い出す。
ナ)写真についての発言が多いが、この展示についても何かないか?
〇暗いので、写真と私が1対1。写真に写っている人と親密な関係になった気分
〇ガラスで遮断されていないので、温かみがある。
〇浮かべてあるが、浮かぶために何かしてあるのか?
〇写真家の高嶋君が写していない。明かりが柔らかい。レトロな作品なので白熱球の明かりだとどうなのか?この明かり(LED)でやろうとした意図は?昔の写真を現代の明かりで、現代の私たちがみる。
〇この家でやっているのにこの家の人が写っている訳ではないし、写真家の高嶋さんが撮った作品でもない。高嶋さんに縁の作品みたいだが、そこに驚きがあった。
ナ)高嶋敏展写真展ではなく作品展になっている。だから、写真だけでなくここの部屋すべてを作品として捉えてどうか?
〇1点1点と向き合う感じ。膝をついて覗き込むようになるので「観に行く」感じがする。
〇床の上にある写真は高嶋さん?そうじゃないとしても、裕福な家庭の子ども。ブリキの自動車にまたがっている。
〇外で写している写真が多いので、写真機材をもっていて、外で撮った。高嶋さんの祖父なら高嶋さんも幼いころから写真に親しむ環境があったということ。
〇よくみると、みえてくる。話さないと出てこない。最初は予想もしなかったことがどんどん出てくる。こんなふうにみさせていただくなんて想像もしていなかった。
〇素朴な疑問だが、写真を沈ませてみたらどうなのだろう。幼い頃、「人魚」の見世物小屋があって、濁った水を張った容器を暗い部屋の中で覗き込んだこととオーバーラップした。
〇写真を入れた容器が火鉢で、丸みがあって、光がぼんやりと反射して温かさを感じる。
〇火鉢もこの写真に写っている人たちの時代のもので、今はもう居ない。灰になってしまった。だから火鉢なんだけど、水が入れてある。火と水。作品展のタイトルは記憶の泉。
ナ)たくさんお話しいただいて、楽しかったと思われた方は、次の部屋へ移動して頂けたら?茶室に写真が展示してあります。
2作品目は茶室の床に写真が並べて置いてある状態で展示されていた。並べ方は画像からも分かるように炉の周囲を取り囲むように並べられていた。暗い部屋から明るい部屋に移って、初めて鑑賞者同士が顔を合わせることになり、鑑賞者の多さにビックリする発言もあった。
鑑賞の大まかな流れ(〇:鑑賞者、ナ:ナビゲーター、作:作家)
〇蜘蛛の糸に光の反射
ナ)蜘蛛の巣だとして、それプラス何か?
〇蜘蛛の巣に光が当たって、手を触れるとこうなるのかな?
〇並べて置いてあって、何か意味があるのかな?
〇蜘蛛の巣の写真と、床に枯れ枝が掛けてあるのは何か意味があるのか?
〇どうしてこの部屋?
〇窓もここだけ開けてあって庭がみえる
〇初め、どこに写真があるんだろうと思った。大理石の床の茶室かと思った。思わず踏んでしまった。
〇窓の外にも蜘蛛の巣がある。これを写したのか?
〇写真は木の枝もあるのでは?全部が蜘蛛の巣?
作)全部、蜘蛛の巣です。ここにあるのは全部この庭でとったもの
ナ)その情報も踏まえて、何か考えられること
〇私は一瞬。蜘蛛の巣って一瞬でなくなるから・・・。
〇私は一期一会かな。でも、この蜘蛛の巣の光は一瞬ではない。揺れている幅の分だけ時間の幅がある。
〇写真の並べ方が、少しずらしてある
〇炉が切ってあるから、炉の再現では?
〇四角い空間が、会話、会話、会話 茶室だし(※炉が四角、写真の配置で四角い箇所が2か所ある)
〇口(くち)にも見える(上記の※に同じ)
ナ)じゃあ、ここ(この場所という意味)でなぜ蜘蛛の巣?
〇茶室なので、お客さんが来たところを蜘蛛の巣で捕まえて・・・。
〇やっぱり一期一会、一瞬だけど、時間が流れる。幅がある。蜘蛛の糸が虹の様に光っているが、虹ははかなく、短い時間の流れを感じる
〇蜘蛛の糸のピンと張り詰めた感じが、茶室の空気、張り詰めた空気と同じ?感じ?
〇音まで聞こえてきそう。ピンと張り詰めた。茶室なので姿勢もピンとする。そのピンとが空気が張り詰めた感じ
〇写真に色彩が無い、枯山水、無駄を省いた、寂び?寒い冬を感じる
〇寒さを感じる、炉が切ってある、やはり冬
鑑賞を終えて
成人で、ややマニアックな作品展に来場する方々らしく、鑑賞眼は高く、中には写真の心得もある方もおられたようなので、撮影に関する専門的な発言もあった。また、最初の作品群はキャプションを参考にされた発言もあったが、写真のみならず、展示のされ方、その意味についても考えた発言が出てくることに、ナビをしながら感動していた。思い思いに話されるので、ナビとして場のコントロールにはやや気を使ったが、最初の部屋は暗くて互いがみえないことがよかったのか、逆に他者の話をよく聞き、つなげた内容の話をされ、会話が自然にコネクトされていた。謎を解いていく知的好奇心も刺激されていたように思う。「授業みたい」と言われた方もおられたが、「よくみると、みえてくる。話さないと出てこない。最初は予想もしなかったことがどんどん出てくる。こんなふうにみさせていただくなんて想像もしていなかった。」との発言は、この鑑賞法への最大限の評価だ。何にも増してうれしい発言だった。そして、この体験を踏まえて2作品目に臨んだ。
2作品目は部屋にしつらえられたものや設定にも発見があり、写真作品だけでなく、この部屋で展示されていることの意味を考えようとする姿勢がみられ、鑑賞として高次な印象を受けた。もちろん、そのように仕組んだ作家の高嶋さんの企てが見事だったということで、対話が進む中で、高嶋さんが随所でネタバレされても、誰もが「そうなのか」「なるほど」と感心しながら作品を読み解いていく楽しさを味わっていた。
後半は、ナビの出番がほぼなくなり、共に鑑賞者となって発言していた。高嶋さんも作品のネタバレはされるけれども、参加者は自分が自由にみて感じたこととネタバレが違っていても、それを否定的にとらえることはなく、そのギャップを楽しんでいるところもあるような空気感があった。
どなたも2作品の鑑賞会は楽しんでいただけたようで、終わりに「いや~、面白かった」と言っていただいて、皆さんから自然に「拍手」が起こったのがとてもうれしかった。そして、タイムラグで参加された2名の方と最初の作品に戻って鑑賞を行っていたところ、ここにも途中参加の方が現れ、共に鑑賞し、1時間余の鑑賞会を終えた。1時間余があっという間で、気分が高揚しているのを感じながら帰路についた。
振り返り
鑑賞のやり方だけ伝えたら、後はどんどん会話が続いて、ナビの出番はほとんどなかったが、様々出てくる発言を確認しながら積み上げて返すことで新たな発見につながるような言葉がけをした。作家が作品展の場におられるので、鑑賞者は「答え」を求めようとする傾向にあった。鑑賞者が考えたことが、作家の意図と同じであることが多々あったが、さすがに大人なので「当てっこ」に流れることはなかった。高嶋さんは写真家なので「写真展」だと思っていた方が多かったが、「作品展」であることを伝えたことにより、「写真」だけでなく、この場所での「作品」として、全体をみることにつなげられた。
どうナビするのがよいのか?を考えるヒマも無く、場を、どう進めて行くのかに精一杯だったが、終わった時には不思議と充実感があり、自分自身も楽しんでいたことがわかった。とても濃い時間を過ごさせていただき、満足している。参加者の皆様、ありがとうございました。
【対話型鑑賞会のお知らせ】
高嶋敏展写真展「フラグメンツ」こちらの写真展で対話型鑑賞会をします。
期日:12月15日(土)14:00~
場所:奥出雲葡萄園 地下ギャラリーにて
今回のナビレポートの作品展に続き、高嶋敏展さんの写真展での対話型鑑賞会です。
食の杜にある奥出雲葡萄園は、食事はもちろんですが地下スペースをはじめ建物やロケーションもすてきな所です。
雲南市木次町まで足をのばしてみませんか?