令和4年度 島根県造形教育研究会の研修会に参加してきました
日時:令和4年8月1日(月)
会場:島根県大田市民会館
正田 裕子 レポート
○会場の様子
開会前より多くの参加者が来場し,研修の期待で熱気にあふれる状態でした。3年ぶりの対面での研修に大きな期待を寄せる言葉があちらこちらから聞こえてきました。
○「対話型鑑賞で獲得する『生きのびる力』」講演会 京都芸術大学教授 福のり子先生
以下,個人の感想です。
(1)心に残った言葉
「ナビゲーターは,交通整理・場づくり・まとめ役・火付け役」
オープンで平等な学びの場である対話型鑑賞。ナビゲーターの役割を改めて自覚しまし
た。鑑賞者の学びが広がるように,精力的に実践に努めたいと思いました。
「できることを今までよりもう少し意識してやってみよう」
オープンクエスチョンで対話をつなぐ場は,鑑賞の多様な意見を歓迎するものであり,思考に根拠(客観)を求めるものであること。ナビの問い直しが,鑑賞者に深い思考を促す。納得です。
「みる」という行為の複雑さ
人が物事を「みる」時,自分の歴史や価値観を背負ってみる,見たいものをみたいようにしかみないとのこと。主観にとらわれずみるためにも,他者の視点は必要だと思いました。
「きく」という行為の意味
ACOPプログラム終了後、18歳の学生さんが,古代哲学者エピクテトスと同じ言葉を福先生に伝えられたそうです。「口が一つで耳が二つあるということは,人はしゃべる倍の量,他の人の話をきいたらよいのですね。」と。示唆に富んだ内容であり,積極的に他者の奥にあるものを「きく」ことの大切さを感じました。「もっとあなたのことを知りたい。」と思い続けられるナビでいたいと思います。
(2)「対話型鑑賞を経験すること」の意味
作品を見て対話をすることは,批判的・論理的な思考・コミュニケーション能力など多くの力を獲得する機会となる。そして,他者との集合知を得ることが,先の見えないこれからを生き抜く力となる。そんな「対話型鑑賞」はワクワク(?)からワオ-(!)の連続。
さあ,サバイバルを生き抜くぞ。
○「対話型鑑賞体験」ナビゲーター 本会員 春日美由紀さん
作品「ファン・ゴッホの椅子」 作者:フィンセント・ファン・ゴッホ
発言者の意図をくむ言い換え・ピュアにみることから始まる思考
多くのことを述べていく鑑賞者の発言を端的に言い換え,発言の根拠を丁寧に問い直すナビゲートが,とても参考になりました。また,作品や作者に関する知識をもつ鑑賞者に対して,客観的に「みる」「きく」ことを促すのはなかなか難しいとも考えさせられました。鑑賞者の発言を問い直し,思考を深める場をつくるために,自分自身が実践し続けることが大事ではないかと、改めて学ぶ機会となりました。
○研修参加者の感想(島根県造形教育研究会研修アンケートより要約)
・生きのびる力と対話型鑑賞がどのようにつながるのか疑問だったが,自ら学ぼうとするスイッチを入れることが可能なプログラムだと,講義を聴いて納得できた。
・他の人の意見を聞いていく中で,最初は見えなかったものがどんどん見えてきて,そこから想像が広がっていくのを実感できたことに、とてもワクワクした。作者名やタイトルを出さないのは,純粋に作品に向き合うための手立てとして必要だと思った。
・初心に帰った気がする。生徒たちと向き合ってその声に耳を傾け,対話型鑑賞を通して生徒たちの中にあるさまざまな能力を引き出すことができればと思う。
・対話(自己・作品対象・他者)の大切さはすべての教科につながる。「正解」があると疑わないきらいがあるこの時代,授業などで問いを立てる楽しさや有用性を児童・生徒、保護者等に発信していきたい。
○最後に
ご多忙の中,研修講師をお引き受けくださった福先生と春日さんに心よりお礼を申します。3年ぶりの帰国の中,来県くださった福先生。示唆に富むご講演は今回も大きな気付きがたくさんありました。春日さんから,鑑賞者を大切にする姿とともに思考を促すための問いかけるスキルを改めて学ばせていただきました。
「島根県造形教育研究会研修アンケート」にもあるように,対話型鑑賞の教育的効果を実感する研修でした。「もっと対話型鑑賞を体験したい。」という多くの参加者の声は,教育現場において他者と学び合うことの必要性を肌で感じているからの意見といえるのではないでしょうか。
終わりになりましたが,研修開催にあたられた関係者の皆様、有意義な学びの機会を本当にありがとうございました。
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