ART COMMUNICATION IN SHIMANE みるみるの会の活動報告

島根の美術教育関係者が集まって立ち上げた対話型鑑賞の普及に努める「みるみるの会」の活動情報をお知らせするブログです。

石見美術館で3回目の「みるみると見てみる?」を行いました

2014-03-17 20:36:32 | 対話型鑑賞
石見美術館で3回目の「みるみると見てみる?」を行いました


ナビの房野さんから、早速レポートが届いたのでお伝えします。

今回の作品は藤田嗣治とデュフィです。作品は画像でご覧ください。

2つの作品はどちらも1920年~1923年に描かれた油彩で、作者はフランスにゆかりのある画家でした。同じ年代、パリで生き、同じモチーフを描きながらも全く異なる画風であることが興味深いと感じました。
藤田は「エコール・ド・パリ」の画家といわれ、パリ画壇の寵児として活躍した画家。面相筆で細い輪郭線を描き「乳白色の肌」と呼ばれる人物画が有名です。デュフィはフランス人でマティスの作品に衝撃を受け、フォーヴィスムに傾倒した画家。構成的な作品を制作し、この石見美術館にはこの作品と同じモチーフを使ったテキスタイルとドレスも収蔵されています。このことからも、構成にこだわりのある画家なんだな、と思えます。

今年の鑑賞イベントには、昨年からのリピーターさんが多く参加してくださり、また、実際に絵を描く方も多く、毎回、色や構成について言及されることもあります。この2つの「港」つながりのシークエンスでは、物語というより、そんな二人の画家の生き方や芸術について、画風や構成を手掛かりに語ることもできるのでは?と考えました。

さて、藤田作品から始めましたが、やはり、のっけから「船の形や浮かび方に違和感がある」「画面にいくつもの角度の違う視点があるので違和感がある」「一見普通の風景がだが、よく見ると水面の高さや立体感につじつまの合わないところがある」などに話題が集中。また、「十字架のある尖塔がいくつもあり、これは教会であろう」「風車が2つ小さく描かれているので、ヨーロッパの風景と思われるが、港にあることからオランダではなさそう」「中央の島は他と隔絶していることから監獄ではないか?」などの場所についての読み取りもありました。
「キュビスムっぽい」と出たところで、時代背景にも話題を移したいと思い、『嗣治 Fujita
 1923』というサインに注目。隣の作品も同じ頃に描かれた作品だという情報を出して、鑑賞する作品をデュフィに変えました。「水上の祭」というタイトルを伏せてはいるものの、人物やモチーフがたくさん画面に描かれており、そこから祭りのようなにぎやかさ、動きを感じるとの発言が多数。一方、空の色の変化、色彩の激しさや黒く太い線から不穏さ、嵐の前など、前半とは一転した意見もあり、「野獣派」に通じる雰囲気も感じられたようです。
「藤田の作品は人が見当たらず、静かで、空気感を感じられるが、もう一つは平面的」と藤田とデュフィの両方を比べた意見が出て、それぞれのモチーフの描かれ方の違いに話題はシフトしました。私はタッチや色彩、構成について根拠を明らかにしながらパラフレーズしていきましたが、「そこからどう思いますか?」と、もう一歩踏み込んだ投げかけがなかったため、この時代の画家たちが独自の芸術を求め、そこに自分の存在価値を見出そうとしていたということまでは至りませんでした。せっかく鑑賞者から「印象派以降の画風」との言及があったので、ピカソ、モディリアニ、マティスなど、よく知られている画家も当時パリで活躍していたことを知らせたら、もっと深められたのでは・・・とその後の反省会で意見が出ました。

今回は鑑賞者の年齢が高め、芸術への興味関心が高い「アダルトみるみる」でした。絵画技法や美術史的な背景も考慮しながらの鑑賞ができたように感じます。そうした鑑賞者の様子をうまくナビゲーターがとらえながら<どのタイミングで><どんな情報を伝えるか>が重要なポイントになると痛感しました。
今回はたまたまその場に居合わせた方も2人参加いただきました。このような鑑賞会は初めてとのことでしたが、「自分以外の人の感じ方を聞くなんて滅多にないことなのでとてもおもしろかった。」「作品を見比べることで一つの絵を見るのとは違った見方ができてよかった。」「他の人の意見でいろいろな見方ができて面白かった」との感想をいただきました。対話をしながら鑑賞することの意義を感じていただけて嬉しいです。45分間があっという間に感じるひと時でした。

来週3月23日は最終回。ですが、みるみる会員の多くは京都造形芸術大学での「みる 考える 話す 聴く 鑑賞によるコミュニケーション教育」刊行記念セミナーに参加のため、益田に残った松田さんがナビゲーターです。グラントワ内島根県立石見美術館にも、京都のセミナーにも、多数ご参加いただきたいです。どうぞよろしくお願いします!
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生徒の記述の中から・・・

2014-03-14 16:37:41 | 対話型鑑賞
記述の中から
3学期の評定を付けなければならないので、2年生で実践した対話型鑑賞の記述評価を行いました。鑑賞作品はベン・シャーンの「解放」。日文の副読本資料にも掲載してあるので作品はそちらでチェックしてほしいと思います。余談になりますが、この副読本資料に掲載されている作品はすべて許諾された原作からの画像です。印刷もなかなかに美しく仕上がっているので、よくみるのに耐えうるものになっていると思います。
 この作品を鑑賞した後に記述した生徒の記述文のなかに、心を打たれるものがあったので紹介したいと思います。この生徒は男子です。美術の表現技能はそれほど高くはありませんし、学習活動にも意欲的であるという評価は付けられない生徒です。今回の鑑賞でも発言はありませんでした。しかし、記述を読むと、この作品の力を改めて感じさせてくれるものになりました。では、紹介します。

【作品の読み取り】
 この絵は、戦争の事についての絵だと思います。それはマンションのところどころに穴が空いていて、銃(記述では「じゅう」とひらがな表記。以下ひらがなを漢字に直した個所は()で示す)によって穴が空いたと思った。また、がれきの積まれて(つまれて)いる所が穴のむこうにもあったからこの建物(たてもの)以外もこわれているという事は戦争ではないのかと思った。この絵は戦争のかなしさを伝えている。それは3人の女の子がかなしそうにあの遊具(ゆうぐ)で遊んでいたからだと思うし絵を全体的に見て、すごくかなしさがあったから。

【授業の感想】
 この鑑賞をしてすごく限られているこの絵の所からいろんな事をみて感じて、そして思う事がとてもやっていて楽しかった。しかし、あの絵は人を楽しませるというよりもなにか悲しい(かなしい)事をうったえかけてくるような絵だった。だからその悲しい(かなしい)事はなにかと自分でいろいろ考え、その訴えて(うったえて)いる事をもっと分かるようにしたいと思います。鑑賞をしてすごく考えれてよかった。

 作品の読み取りでは、対話中に級友たちが発言したことが本人の中で積みあがって「戦争」と関わりのある絵だと判断しています。秀逸なのは「この絵は戦争のかなしさを伝えている。」という一文です。まさにベン・シャーンがこの絵を描くことで伝えたかったことの全てを、この生徒は、何の情報も持たない中で読み取り、このシンプルで深い一文を何のてらいもなく書けるということが、私にとって、この鑑賞活動の心震える瞬間です。そして、「3人の女の子たちがかなしそうに遊具で遊んでいたから」と遊具で遊ぶ子どもたちが決して楽しそうではないことにも気づき、そこからも「戦争がもたらす悲しみ」を読み取っている。「絵を全体的に見て、すごくかなしさがあったから」というところで、全体の何から悲しさを受けとったのかをもう少し考えることができたなら、例えば、色からとかを示せたなら、文句のつけようのない、読み取り文なのではないでしょうか。そして、授業の感想の中でも、「あの絵は人を楽しませるというよりもなにか悲しいことをうったえかけてくるような絵だった。」とも書いています。絵が人を楽しませるために描かれるものばかりでないことにも気づいているのです。そして、悲しい事は何なのだろうと自問自答する。そんな姿を普段はみることもできないような生徒なのですが、琴線に触れれば、ここまでの素晴らしい読み取りができるものだと、感動しました。ベン・シャーンの偉大さと、「解放」のもつ絵力。そこに心通わせることのできたこの生徒の姿勢。これがまさに「アート」の持つ力なのでしょうね。みなさんは、どうお考えになりますか?
 また、授業後の感想の最後に「鑑賞をしてすごく考えれてよかった。」と結んでいるところにもこの鑑賞活動の意義が潜んでいると思います。私たちは学習活動の中で生徒たちに考えることを要求しています。でも、生徒たちが、今、自分が「考えている」状態であることについては無意識な場合が多いと思います。しかし、この活動を行うと、生徒は「考えている」自分を自覚します。そして「考えることができた」ことに喜びを感じます。「すごく頭を使った。」とか「脳みそをフル稼働させて考えた。」という生徒の記述も振り返りの中で頻繁に見られます。そして「考えること」の楽しさを体験するのです。この実感がなにものにも勝ると思います。
「正解はない」「何を根拠にその考えを導き出したのか」さえはっきりさせることができたなら、それは立派に「意見」として認められる。そしてじっくりみてしっかり考え、仲間の意見も取り入れながら考えを進めていけば、作品からのメッセージを実はちゃんと受け止めることができているという事実にたどり着く。なんと素晴らしい学習活動ではないでしょうか。
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みるみるの活動が新聞に掲載されました

2014-03-08 08:51:41 | 対話型鑑賞
みるみるの活動が新聞に掲載されました


先だって報告しました石見美術館での2回目の「みるみると見てみる」の実践風景が山陰の地方紙「山陰中央新報」に掲載されました。取材を受けていましたが、掲載日が確定していなかったので、そのことには触れていませんでした。

山陰中央新報には出雲版と石見版があるので、石見で取材を受けていたので、てっきり石見版にのみ記事が掲載されると思っていたので、出雲版しか見られない私は、記事を見ることはないだろうと思っていたのですが、知人が「5日の新聞に載っていたね。」と教えてくれました。

忙しいし、老眼になりつつある私はめったに新聞を見ないのですが、慌てて開いたところです。

地道な活動ではありますが、地域に根差し、広がっていくといいと思い、今後も活動を続けていきたいです。
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神門幼稚園で今年度最後の「みるみるの会」を行いました。

2014-03-05 22:38:18 | 対話型鑑賞
神門幼稚園で今年度最後の「みるみるの会」を行いました。


4日に幼稚園で今年度最後の実践を行いました。
昨年度に引き続いて校区内の神門幼稚園で対話型鑑賞「みるみるの会」を行ってきましたが、6回目の最終実践を行いました。本当は先週にもう1回実施予定でしたが、私が体調を崩したために実現せず、中止となり、計6回となりました。
最終回の作品はホーマーの「カントリー・スクール」です。日本文教出版の前回の1年生美術の教科書の目次のページに掲載されている作品です。3月に卒園し、4月には小学校に入学する年長さんにみせるのにはいい作品かな?と考えて選びました。

前回、平櫛田中の「幼児狗張子」をみましたが、園児には少し難しかったようで、会話が弾みませんでした。彫刻は要素が少ないので話せることが限られていることや、赤ちゃんだから親近感があるだろうと思い選びましたが、園児にとって、自分が赤ちゃんだったときの記憶はないこと、兄弟姉妹に赤ちゃんがいても赤ちゃんをそんなにじっくりみてはいないのではないかということが推察され、玉砕でした(トホホ)。この活動を通して園児たちが絵画に関心を持ち始めたと担任の先生から伺ったので、次は彫刻作品にも関心を持って欲しいと欲を出したのですが、あに図らんや、柳の下にドジョウは二匹はいませんでした。しかし、園に子どもの石像があるのですが、そういうものが彫刻作品で立体であることを覚えている園児はいてくれたようなので、会話はし難かったにせよ彫刻作品をみせたことには意義はあったようです。

話が前回の実践報告になってしまいました。今回に戻します。
今回の作品は要素が多いので、最初からたくさんの園児の手が挙がりました。その姿に成長を感じたと担任の先生は思っておられたようです。最後なので全員に発言してもらおうと思い、「1回あたった人は、みんなが話せるまで、我慢して手を挙げないようにしてくれるかな?」とお願いすると我慢して、みんなが当たるのを待てるようになるまでに成長したことも感慨深いものでした。子どもの成長は本当にすごいなあと感じます。そうしてほぼ全員がお話をしてくれました。ただ早くに発言してしまって、ずっとお話しできなかったのを「つまらなかった」と感じていた子もいたようです。でも、ちゃんと椅子に座って友だちの話を聞けていたのが成長だと感じたと担任の先生も終わった後のミーティングで話してくださいました。こうして成長し、小学校に入学するところにまで子どもは成長するという現実を垣間見たように思います。
そして、園児はここが学校であること、いろんな年齢の子どもがいることなどを見つけて話してくれました。しかも、日本の学校ではないこと。ちょっと昔じゃないのかな?などということも話してくれました。昨年の同時期の年長さんより話す内容が豊富でしたし、たくさんの要素を見つけることもでき、それが的確だったように思います。年間を通じて行った成果ではないかと担任の先生は推察していました。また、この会を行うようになって、園児たちが友だちの作品(お絵かきや工作)をよくみるようになり、友だちの工夫しているところに気付いた発言や、ほめる言葉が増えたように感じるとも話してくださいました。うれしいことです。私たちの狙うところ以上のものが効果として園児にもたらされていると確認できました。また、担任の先生にも園児の成長についてレポートをお願いしているので、届き次第掲載したいと思います。
 まだまだ語りたいこともありますが、対話型鑑賞は幼稚園児にも有用であることを実感できた1年でした。
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石見美術館で2回目の「みるみると見てみる」を開催しました

2014-03-04 20:38:27 | 対話型鑑賞
石見美術館で2回目の「みるみると見てみる」を開催しました


3月2日に石見美術館での「みるみると見てみる」の2回目を行いました。ナビゲーターは小川さんでした。レポートが小川さんから近々届くと思いますので、当日の様子を簡単に報告します。

この日は浜田第一中学校美術部と浜田第三中学校美術部の生徒も来館しており、同校の美術部顧問でみるみるの会員の正田さんと上坂さんが中学生対象の対話型鑑賞についてはナビゲーターを務めました。画像に中学生の活動の様子が写っているのはそのためです。
一般の参加者は男性ばかりで10名ほど、前回から引き続いての参加の方々もおられて、語る気満々な空気が漲っていました。中学生で美術部の子どもさんと一緒に浜田の活動に参加して興味を持たれたお父さんも参加しておられたので、みんなこの活動をよく知っている方たちばかりの会となりました。

 作品は「多賀朝湖流される」というタイトルの2双屏風です。中央に立看板が描かれており、よく見ると「流罪」の文字が見えるので、「流罪になった人を見送る場面かな?」という想像のできる作品です。
みることから始まるこの活動の趣旨をよく理解している方たちばかりなのでたくさん手が挙がり、ナビは次々に語られることを受け止めていくだけでも手一杯な感じでした。
 最初に立看板の文字に「流罪」があることが語られたために、何のために描かれた作品なのかという謎解きから始まりました。その謎を自分なりに解き明かすために絵に描かれているものをみるような方向にちょっと進みすぎたかな?という気がしました。そして、見つけたことを誰もが言いたくて、指名を待たずに発言するような場面もありました。
 ここでナビゲートをする上での注意事項が改めて重要であることに気付かされます。
☆いくら回数を積んだ方々の参加でも「静かにみる」「手を挙げて指名されて話す」「人が話しているときは聴く」というルールを毎回確認することを怠ってはいけないこと。
☆一人がどんどん話しすぎてしまうときは、他の方に発言の機会を与えるような促しをする。
☆内輪での話し合いになることのないように、全員が発言者の意見を聞くよう促す。
今回の作品は2双屏風で横に長く、参加者が広がってみていたために、発言が聞き取りにくかったことや作品がガラスケースの中に入っていたのでポインティングしにくかったことも会話をコントロールしにくかった要因ではないかと考えられました。また、中学生の活動と重なったので、狭い会場で同時に3つの対話型鑑賞が実践されていたことも影響を受けたのではないかという指摘もありました。
 しかし参加者は皆さん満足されていて、アンケートの結果も概ね好評でした。話したいことが話せたという満足感が溢れていたようです。ただ、満足していただければそれでよかったのか?というところで、ナビゲーターは「もっとできたことはないのか?」を問い、ナビゲートのスキルアップに努める必要があるのではないかと話し合いました。

 以上の振り返りを踏まえて次回(16日)の会がさらに充実したものになるように取り組みたいと思います。次回のナビゲーターは房野さんです。
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