“おもやい”という言葉、初めて知りました。
“おもあい”とも言うそうです。
漢字では思相とか催合。もやい綱などのもやいが語源とか。
意味は二人以上の者が一緒に仕事をすること。共同作業とか。
そして茶道では・・・。
この間、公民館の茶道教室でお稽古してきました。
さすがに、お茶のお稽古まで中止ではないんです。
準備の時、水屋で茶器にお抹茶を詰める仕事を言いつかりました。
薄茶用の抹茶を詰める器は色々あるらしいのですが、この日は棗と吹雪を使いました。
で、棗二つと吹雪一つを用意しました。
途中、「濃茶の準備はいいの?」と誰かに聞かれたのですが「今はコロナが流行っているし濃茶はいいんじゃないですか」と答えました。
濃茶は複数の人が一つの茶碗で飲み回しますから。
私が用意した茶器は特に何も言われませんでした。
そしてお稽古が始まり半ばを過ぎた頃「おもやいでやりましょう」ということになりました。
私は、『“おもやい”って何?』 状態。
お聞きしたその時の話では、要するに時間短縮のために、薄茶を点てる時に二人分を一つの茶碗で一緒に点てることなんだそうです。
濃茶ではもちろんやりません。最初から一つの茶碗で複数人分点てていますから。
おもやいでは、最初に頂いた人は濃茶の場合と同じように懐紙で飲み口を拭き清めます。
そして次の人が同じ茶碗で頂くのです。
『なるほど』とは思いましたが、でも、よりによって今やることかしらとも思いました。
1年半、そこで稽古しましたが、おもやいは初めてだつたのです。
前に通っていた流派が異なる教室では、サーズの時は濃茶は禁止されていたと聞いていました。
でもこちらの教室では、前回は濃茶のお稽古しましたし、今回はおもやい。
流派によって危機感が全然違うということなんでしょうか。
点てられたお薄は菌が死ぬほど熱いとも思えません。
私は一人目でしたが、次の人は私を信頼して飲むしかないです。
危機管理意識は人によってまちまちなので何とも言えません。
その時も新型コロナウイルスについては話題にはなりましたが「騒ぎ過ぎ」の一言で、誰も全然気にしていない様子、別のイベントに連れだって行くような話さえしていました。
電車に乗っていくような不要不急のイベントは、さすがに私はパスしました。
通っていたシニアの為の健康と医療の講座は、3月いっぱいまでの予定だったのですが、一斉休校の政府の要請に準じて休校の連絡がきました。
準備していた修了に伴う行事も全てキャンセルで、もう行くことはありません。
また会えると思っていた人達と合えなくなったわけで、なんだか人間関係が突然断ち切られたようで寂しいです。
それにしても、場所や人によって異なるこの温度差はちょっと不思議です。
“おもあい”とも言うそうです。
漢字では思相とか催合。もやい綱などのもやいが語源とか。
意味は二人以上の者が一緒に仕事をすること。共同作業とか。
そして茶道では・・・。
この間、公民館の茶道教室でお稽古してきました。
さすがに、お茶のお稽古まで中止ではないんです。
準備の時、水屋で茶器にお抹茶を詰める仕事を言いつかりました。
薄茶用の抹茶を詰める器は色々あるらしいのですが、この日は棗と吹雪を使いました。
で、棗二つと吹雪一つを用意しました。
途中、「濃茶の準備はいいの?」と誰かに聞かれたのですが「今はコロナが流行っているし濃茶はいいんじゃないですか」と答えました。
濃茶は複数の人が一つの茶碗で飲み回しますから。
私が用意した茶器は特に何も言われませんでした。
そしてお稽古が始まり半ばを過ぎた頃「おもやいでやりましょう」ということになりました。
私は、『“おもやい”って何?』 状態。
お聞きしたその時の話では、要するに時間短縮のために、薄茶を点てる時に二人分を一つの茶碗で一緒に点てることなんだそうです。
濃茶ではもちろんやりません。最初から一つの茶碗で複数人分点てていますから。
おもやいでは、最初に頂いた人は濃茶の場合と同じように懐紙で飲み口を拭き清めます。
そして次の人が同じ茶碗で頂くのです。
『なるほど』とは思いましたが、でも、よりによって今やることかしらとも思いました。
1年半、そこで稽古しましたが、おもやいは初めてだつたのです。
前に通っていた流派が異なる教室では、サーズの時は濃茶は禁止されていたと聞いていました。
でもこちらの教室では、前回は濃茶のお稽古しましたし、今回はおもやい。
流派によって危機感が全然違うということなんでしょうか。
点てられたお薄は菌が死ぬほど熱いとも思えません。
私は一人目でしたが、次の人は私を信頼して飲むしかないです。
危機管理意識は人によってまちまちなので何とも言えません。
その時も新型コロナウイルスについては話題にはなりましたが「騒ぎ過ぎ」の一言で、誰も全然気にしていない様子、別のイベントに連れだって行くような話さえしていました。
電車に乗っていくような不要不急のイベントは、さすがに私はパスしました。
通っていたシニアの為の健康と医療の講座は、3月いっぱいまでの予定だったのですが、一斉休校の政府の要請に準じて休校の連絡がきました。
準備していた修了に伴う行事も全てキャンセルで、もう行くことはありません。
また会えると思っていた人達と合えなくなったわけで、なんだか人間関係が突然断ち切られたようで寂しいです。
それにしても、場所や人によって異なるこの温度差はちょっと不思議です。
少しニュアンスが違いますが、こちらでは「結い」という言葉もあります。
いずれも温かみはありますが、まさかお薄で!?
大阪城茶会のときの大谷形部と石田三成のことを思い出しました。
私も今は昔、茶道をやりましたが(それなりにお免状も沢山。何処か押し入れに。)
濃茶ののみ回しはいやでした。やはり不潔感が払拭されなくて・・・。
すみません。由無しことで。失礼しました。
「おもやい」、初めて聞く言葉です。
危機意識、この期に及んでまだそんなにのんびり構えている人がいるのですか。
他人事なのでしょうね。
結局、自分の身に降りかからないとわからない。
でも降りかかった時はもう遅い。
そういうことは教室の主宰者なり責任者なり(先生?)が
判断して指示しないといけないのでは。
「分けっこ」みたいな感じでしょうか。
問題は今という時期。
私はそんなに潔癖でもないので、濃茶も「一味同心」的な意味合いがあるのかなで気にならないのですが、時期が時期です。
ネットで調べると、おもやいをよくするのは限られた流派のようです。
お茶の人達、感染したら重篤になりやすい私より年配の方々ばかりなのに、のんきなのには呆れます。
でもお茶の方は完全に他人事ですね。
家元が一言号令をすればいいのですよ。
トップというものは、こういう時に責任を取る人のことですから。(と誰かさんをあてこする。)
自分の身は自分で守れってことですね。
世の中のこと 余り興味ないのかな
きっと清く正しく暮らしていらっしゃるから、ウィルスなんて
持っておりませんって自信でしょう
武漢の集団感染も伝統行事の持ち寄り会食だというし
まいにちコロナの感染者数のニュースをごらんになってるでしょうに
自分ごとじゃないのね、きっと。
知恵も経験もあるだろうに、残念なことです。
ま、少なくとも、みどりさんは最初に頂くほうでラッキー。
今日がこのクラスとしては最後って、当日の朝言い渡されてる様子がニュースで放送されました。
言い渡す先生も、言い渡される生徒も泣いてました。
シニアの健康講座の突然の終了でも喪失感があるのに
学校が生活のほぼ全部を占める子供達にとって
どれだけの驚きと悲しさだったか。
コロナってつくづく人災なんだって思います。
ブロガーさんが 今日の記事で
お抹茶って”茶カテキンは抗ウイルス作用”があり
新型コロナウィルスに効果があるか分からないが、
少しでも免疫力が 上がるように毎朝家族で飲むことにしたと
記してありました
そう云うことでした
ちなみに 私は 自分で粉茶を作って飲んでいます
効果あるかな ~~
カテキン効果を待つまでもなく、ウイルスは胃に送り込めたら胃酸で死ぬそうです。
だからなるべく水分を摂ると良いそうです。
でも口に入った物が喉にくっついて、そこで増殖して気管支を侵す可能性も大きい。
実検でもしない限り分からない事はやはり気をつけた方がよいと思います。
お茶の人達はカテキン効果とか、たぶん何にも考えていなかったと思います。
他の面で判断力が落ちていなくても、齢を重ねると危機管理意識が希薄になるのかもしれません。
森さんみたいに「自分はマスクせずに頑張る」と言ってみたり。
健康講座、ただ受講するだけでなく同じ班の人達と話したり行動することが多かったのです。
修了式まできちんとやれば気持ちの区切りもつきますが、突然会うことも無くなるとなると・・・
まして卒業を控えていた子供達、どんなに悲しいか。
もう少し、時間に余裕があったら良かったのにね。