長島充-工房通信-THE STUDIO DIARY OF Mitsuru NAGASHIMA

画家・版画家、長島充のブログです。日々の創作活動や工房周辺でのできごとなどを中心に更新していきます。

441.●シリーズ『リアリズムとしての野生生物画』第9回 - J.J.オーデュボンの鳥類画・水彩画編 - 

2021-11-28 20:27:03 | ワイルドライフアート
西洋絵画における写実的な野生生物画の表現を追うシリーズ『リアリズムとしての野生生物画』の第9回目の画像投稿である。今回は19世紀初めの北アメリカを代表する画家・鳥類研究家の、ジョン・ジェームズ・オーデュボン(John James Audubon, 1785 - 1851)について画像投稿していく。

18世紀に入るとヨーロッパを中心とした西洋やアメリカでは、植民地支配の近代化に伴って、アジアやアフリカの奥地への冒険、探検が盛んとなり、珍しい野生動物や鳥類等の発見も相次ぎ、学問としての生物学上の記録が増大していった。
このようにして野生生物画もそれまでの単なる想像画の域を脱して、科学的な知識をもとに生態を忠実に描写する「生態画」が充実して来た。つまり、この時代、野生生物画は長い写実絵画の歴史と生物学の歴史の二つの基盤の上に成立した美術だということが言えるのである。

この時代に出た野生生物画のアメリカを代表する画家がJ.J.オーデュボンなのである。10代の若い時からアメリカ各地を旅して野生鳥類の観察を続けて来たオーデュボンは1820年に北アメリカの野生鳥類を描いた画集(版画による挿画本)の出版を思いつく。
彼が絵を描きためる間、妻が教師をして家計を支えたが、アメリカでの画集の出版元が見つからず、オーデュボンは1826年にイギリスに渡る。結果、画集『アメリカの鳥類・ Birds of America』は、イギリスにおいて1827年から予約販売され、オーデュボンの科学的に正確で細密な描写の水彩画の原画を元に銅版画彫り師、銅版画摺師との完全分業方式により制作された彩色銅版画、435点が収められた。その後、オーデュボンは1839年に本国アメリカに帰国、アメリカ版の『アメリカの鳥類・Birds of America』を出版した。

この画集は、その出版形式が大きな図版であることから、別名『エレファント・プレス』等と呼ばれ有名になったが、現在、初版などは海外の美術品オークションに出品されると「世界一高額な書物」として高値が付けられているのである。

19世紀は野生生物画の中でも博物画の隆盛期だが、オーデュボンを始め、この時代の博物画の多くが、芸術性、絵画性が高い表現となっていることも特色なのである。今回添付したオーデュボン作の『アメリカの鳥類』の原図である水彩画をご覧いただければ、その絵画表現の完成度と気品の高さをご理解いただけると思う。



            






437. ●シリーズ『リアリズムとしての野生生物画』第8回 - ドラクロワが描いたライオン等 -

2021-08-07 19:35:33 | ワイルドライフアート
西洋絵画における写実的な野生生物画の表現を追うシリーズ『リアリズムとしての野生生物画』の第8回目の画像投稿である。ここまでルネサンス期の西洋絵画に観られるさまざまな野生生物画を紹介してきた。何度も述べるが、イタリア・ルネサンスの画家ジョットの「自然を正面からそれらしく忠実に探究する」という姿勢や、ドイツ・ルネサンスの画家、A・デューラーやイタリア・ルネサンスの画家、ピサネロの「神の創造された自然や動物をあるがままに描くことこそが神の意にかなう」という考え方と精神が、15世紀イタリアの画家レオナルド・ダ・ヴィンチへと受け継がれると芸術解剖学的な観点から科学的視点により動物を捉えるようになり、その写実表現はさらに発達していき一つの頂点を形成していった。

ところが、ルネサンス以降、野生生物を描いた絵画の発展はほとんど見られないどころか、そうした作品は生まれていない。これはキリスト教という宗教の哲学が大きく関係しているのではないかと思うのである。それは、キリスト教の中心的な教義が「神によって創造された生物の中で神と同じ姿を模した人間が最も完成された存在であり、高等な生物なのである」であることが強く影響しているのである。つまり、キリスト教を主題とした表現から発展していった西洋絵画、西洋美術というのは、あくまでも神と人間が主題なのである。写実的な表現と言っても動物や鳥類等の場合、たとえ絵画の中に登場したとしても、それはあくまでも神や人間の脇役としてなのであった。

もう一度、野生生物が写実的な絵画に積極的に登場させられるのは、ルネサンス期から約400年後の19世紀ロマン主義芸術の時代まで下る。その中で中心にいたのが今回ご紹介するフランスのウジューヌ・ドラクロワ(Eugene Delacroix 1798-1863)なのである。ドラクロワが描く馬やライオン、トラ等の動物画は確実にレオナルド・ダ・ヴィンチの芸術解剖学による科学的な写実表現に由来しているのである。そして、ダ・ヴィンチ同様に絵画の中に描き込むにあたって多くの素描や下図の制作をしたことも全く同じで、それはダ・ヴィンチの観察眼、方法論から学んでいるのである。

ただ、ドラクロワの絵画が、ルネサンス期の絵画と大きく異なる点は、多くのロマン主義写実絵画の画家たちがそうであったように、劇的な画面構成、ムーヴメントと華麗な色彩表現を用いるところであろう。そして19世紀から本格的に始まり現代まで続く野生生物画の写実表現がこうした手法を継承していくのである。現代のカナダやアメリカの野生生物画の画家たちが多く用いる主題に「Drama・ドラマ」というのがある。これは例えば、ネコ科の肉食獣が獲物を狙い捉える1歩手前の動き、あるいはヘビがカエルを襲う1歩手前を描写したような作品を指す言葉なのである。この「Drama」という考え方は、まさにドラクロワの「劇的な画面構成とムーヴメント」ときれいにトレースしたようにリンクしてくるのである。


画像はトップがドラクロワが描いたライオンの絵画作品。下が向かって左から同じくドラクロワが描いたライオン、トラ、白馬、と自画像作品。


                


436. ●シリーズ『リアリズムとしての野生生物画』第7回 - ダ・ヴィンチの動物デッサン -

2021-07-24 20:17:16 | ワイルドライフアート
西洋絵画における写実的な野生生物画の表現を追うシリーズ『リアリズムとしての野生生物画』の第7回目の画像投稿である。今回もドイツ・ルネサンスの画家、A・デューラーとイタリア・ルネサンスの画家、ピサネロと追って来た前回までの流れの一環としてルネサンス期の画家であるレオナルド・ダ・ヴィンチの動物の素描作品をご紹介する。

イタリア・ルネサンスの巨匠で人類史上、不二の天才と呼ばれたレオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci 1452 - 1519年)は絵画作品『モナリザ』、『受胎告知』、『最後の晩餐』等の絵画の代表作品によって世界中に知られているが、野生生物の哺乳類や植物の数多くのデッサンを制作したことでもよく知られている。イタリア・ルネサンスの画家、ジョットの「自然を正面からそれらしく忠実に探究する」という姿勢やドイツ・ルネサンスの画家、A・デューラーやイタリア・ルネサンスのゴシック様式の画家、ピサネロの「神の創造された自然や動物をあるがままに描くことこそが神の意にかなう」という考え方、精神が15世紀イタリアの画家レオナルド・ダ・ヴィンチへと受け継がれて来ると、一つの頂点を形成していく。彼は科学的な目を通して自然を描こうとした最初の芸術家である。

今更だが、ダ・ヴィンチは絵画作品の制作のみならず、建築、音楽、数学、人体解剖学、動物解剖学、博物学、植物学、鉱物学、天文学、地理学、物理学、化学、飛行力学、土木工学、軍事工学等々、様々な分野に顕著な業績と手稿を残したことで知られる「万能の天才」と呼ばれた人物として有名である。

特に動物学、動物解剖学に限ってみても徹底した観察と研究、そして今回ご紹介する夥しい数のデッサンを描き残している。その中でも馬を描いた解剖学的なデッサンはよく知られており、騎兵の戦闘シーンを画題とした絵画作品の大作を制作するために執拗に追求し、描き続けているのである。ダ・ヴィンチは人体も含めて芸術のための解剖学を熟知していたために、単なる素描というものではなく、骨格や筋肉、プロポーションなどが実に正確な設計図面のように、そして科学的に描かれているのである。
馬のデッサンで思い出したが、僕が中学生か高校生だったので、今から45年ほど前頃のことである。NHKのテレビ番組でイタリアだったか、イギリスだったか、ダ・ヴィンチを主人公としたテレビ・ドラマが連続で放送されたことがあった。そのドラマの中で、上記した馬の観察とデッサンをする場面が詳しく出て来たのである。ドラマの中で描かれた、ダ・ヴィンチ氏は、馬がいる草原に足繫く通い、長い時間、観察をして正確にデッサンをしていくのである。よくできたドラマであった。僕は何故かこの場面を今でも脳裏に思い浮かべることができるぐらい、よく印象に残り覚えているのである。

ダ・ヴィンチによって切り開かれたこの画家の科学的な自然観察の姿勢が、その後のバロック期のレンブラントやロマン派のドラクロアの作品まで影響を及ぼし、さらに19世紀の印象派の画家たちによって強化され、現代の野生生物を描く画家まで継承されてきているのである。この流れが西洋美術の中の『リアリズムとしての野生生物画』の重要な基礎となったことは、時代を追って作品を観て行けばよく理解できることである。


                        


435. ●シリーズ『リアリズムとしての野生生物画』第6回 - デューラーのインドサイの木版画 - 

2021-07-17 16:51:48 | ワイルドライフアート
コロナ禍の中に企画スタートさせた西洋絵画における写実的な野生生物の表現を追うシリーズ『リアリズムとしての野生生物画』の第6回の投稿である。ここまで、西洋美術の写実絵画の源流として、ルネサンス期のドイツ・ルネサンスの画家、デューラーを2回、イタリア・ルネサンスの画家、ピサネロを2回と投稿してきたが今回は再びデューラーに話を戻す。

デューラーはこの時代のドイツを代表する画家であると共に版画家でもある。金銀細工師を父親としていたデューラーは子供の頃から手先が器用で、版画の中でもとりわけ細密な銅版画(エングレーヴィング技法)が得意であったが、木版画も数多く制作していた。その数多くの木版画作品の中でも特に印象的でインパクトが強い作品の1つが今回ご紹介する野生生物を彫った作品である。

『Rhinocerus・犀』とタイトルが付いた作品はデューラーが1515年制作した木版画である。この木版画は、1515年初頭にポルトガルのリスボンに到着したインドサイを描写した作者不詳の簡単なスケッチと説明文をもとに制作されたとされており、デューラー自身が直接観察し、下絵を描いて木版画に制作したものではないと言われている。ローマ時代以降、1515年まで、』生きた状態のインドサイはヨーロッパに持ち込まれたことはなく、デューラーも本物のインドサイを見たことはなかった。1515年以降も1579年にスペイン王フェリペ2世にインドからインドサイが贈られるまで、ヨーロッパでは生きたインドサイを目にすることができなかった。従って、デューラーの手によるこの木版画のインドサイも生物学的、解剖学的には正確なものではない。それでもヨーロッパでは非常に有名な「インドサイの図」となり、その後3世紀にわたり何度もモシャされ続けたという。そしてヨーロッパでは18世紀末にいたるまで、この木版画の「インドサイの図」は正確に描写したものであると信じられていたのである。今日では専門家に「動物を描写した作品の中で、これほど芸術分野に多大な影響を与えたものはおそらく存在しない」とまで言われている。

簡単なスケッチと書簡の中の説明文を基にデューラー自身、1度も本物のインドサイを見ることなしに、紙にペンとインクを用いて2枚のスケッチを描き上げている。その中の2枚目のスケッチ(添付画像参照)から構図を左右逆にして木版画が制作されたのである。スケッチと木版画を改めてよく見ていこう。喉当てや胸当てが鋲止めされた鎧のような強固な装甲に覆われたどうぶつとして描かれている。この鎧はインドサイの分厚い表皮のしわを再現したものなのか?あるいはデューラーの誤解と想像によって生み出された図像だったのか解明されてはいない。さらによく見ると上脚部と肩部にはイボ状の突起物があるが、これは近年の研究・分析によると、インドからポルトガルへの4か月間の搬送中、狭い船底に閉じ込められて来たために発症した皮膚炎をそのまま表現している可能性があるとも言われている。

まぁ、たとえその描写表現が誤りや空想のものであったとしても、未だにこのデューラーの得意なイメージの野生生物画は古臭くはなく不思議に魅力的であり続けているのである。このことは絵画の力とと言っても過言ではないだろう。


※画像はトップが木版画作品『Rhinocerus・犀』。下が向かって左から木版画の下図となったペン画(2カット)、木版画作品の部分(2カット)。


         

434. ●シリーズ『リアリズムとしての野生生物画』第5回 - ピサネロの鳥類デッサン -

2021-06-26 19:24:01 | ワイルドライフアート
西洋絵画における写実的な野生生物の表現を追うシリーズ『リアリズムとしての野生生物画』の第5回の投稿である。第4回に引き続き15世紀イタリアで活躍した国際ゴシック様式を代表する画家の1人、ピサネロ(Pisanello 1395年頃-1455年頃 / 日本語訳ではピサネッロとも言う)の野性生物を描いた絵画作品に焦点を当てご紹介する。

前回は主に「狩り」を主題とした絵画作品の中に登場する哺乳類を描いた絵画、素描を中心にご紹介したが、今回は、やはり絵画作品の習作的なものとなるのだが、鳥類を描いた素描作品をご紹介する。前回にも触れたがピサネロだけではなくこの時代、ルネサンス期の画家というものは絵画作品を描く下準備としての素描をとても多く描く。それは建築に例えるとラフな設計図やマケット(模型)の段階に当たるだろうか?今回ご紹介した画像もその多くが「狩り」等を主題とた絵画作品のためのものだが、写真も博物的な資料も少なく乏しい時代に、実に細密に、正確に描き込まれているのである。

鳥類を長い年月観察して来た僕としては、「これはタゲリ、こちらはゴシキヒワ、ヤツガシラ、カワセミ、ミコアイサ…」と、その1つ1つの種類も言い当てられるほど正確な描写なのである。画材としては紙(羊皮紙?)にチョーク、ペンとインク、水彩絵の具等が多く用いられている。まぁ、科学的な視点が進んだ今日的な博物画や図鑑イラストレーションの立場から見れば稚拙な部分も見られるとは思うが、自然科学がまだそれほど発達していなかった約600年前の時代ということを踏まえると、画家の鋭い観察眼と大変な労力を持って描かれたものであることが理解できるのである。こうして野生生物画という切り口からだけ見てもドイツやイタリアのルネサンス時代というものが、その後、現代まで脈々と続くことになる写実絵画表現(リアリズム)の原点として位置付けられることが創造できるのである。その中でもドイツ・ルネサンスのアルブレヒト。デューラーとこのピサネロの野生生物を描いた作品が特別重要なものとなっている。

※ 画像はトップがアリスイとゴシキヒワの素描。下が向かって左から様々な種類の野生鳥類の素描とタカ狩りの素描。


                                

 



433. ●シリーズ『リアリズムとしての野生生物画』第4回 - ピサネロの動物画 -

2021-06-19 18:32:38 | ワイルドライフアート
コロナ禍の中、連載投稿を続ける西洋絵画における写実的な野生生物の表現を追う『リアリズムとしての野生生物画』の第4回目は前回までのドイツ・ルネサンスからイタリア・ルネサンスに舞台を移し、15世紀にイタリアで活躍した国際ゴシック様式を代表する画家の1人であるピサネロ(Pisnello 1395年頃 - 1455年頃 / 日本語訳ではピサネッロとも言う)の野生生物を描いた絵画作品、素描作品に焦点を当ててご紹介していく。

15世紀イタリアのルネサンス絵画の主題はその多くがキリスト教の物語を主題とする内容であり、やはり画題としては人間が中心となるものがほとんである。野生生物は出て来ないのだろうか?と探して行くが、馬、牛、羊等の家畜やあるいは物語の中に登場するドラゴンやグリフォンなどの幻獣が目につくばかりで中々見つからないのが常である。

だが、例外があった。それは「狩り」を主題とした絵画の中に登場するのである。この時代の絵画作品の主題の中でも特例と言えるかもしれない。ピサネロ作の狩りの絵の代表作は『聖エウスタキウスの幻視』(ロンドン・ナショナル・ギャラリー収蔵)と題された小さなサイズの板絵(板にテンペラ絵具で描いた古典的絵画技法)である。この絵はその完璧な技巧のため長い年月、細密表現を得意とするドイツ・ルネサンスの画家、アルブレヒト・デューラーの作とされていたのだと言われている。この板絵は動物や鳥たちを真横向き、あるいは固定したポーズで、ミニアチュール(極小な絵画)のような繊細さで表現され描かれている。そしてその主題となっている、ある聖人の幻視は、高貴な動物(馬、狩猟犬、鹿、熊、野兎など)と、あらゆる生物の中で最も高貴な存在とする「狩猟する宮廷人」を描くための口実ではにかという見解もある。

ピサネロはこの作品を描くにあたって、かなり綿密な計画のもとに各動物たちの素描、下図を数多く残している。手法として、その多くは紙(羊皮紙?)にチョーク、ペンとインク、水彩画、あるいはペンとインクと水彩の混合によって丁寧かつ正確に描かれている。僕などは、むしろその素描の方に画家の野生生物を捉えるダイレクトで鋭い観察眼を感じてしまうのである。こうした素描を見ていると、ルネサンス絵画の先人、ジョットによる「自然を正面からそれらしく忠実に探究する」という考え方や、デューラーによる「神の創造された自然や動物をあるがままに描くことこそが神の意にかなう」という思想とも言える考え方が、ここにも確実に継承されているのだと理解できるのである。そしてこのことが「西洋写実絵画・リアリズム」の原点なのだと強く思うのである。

※画像はトップが絵画作品『聖エウスタキウスの幻視(部分図)』。下が向かって左からその細部と制作の準備段階で描かれた動物たちの素描、ピサネロの他の絵画作品に登場するライオンやオオトカゲ、ピサネロが得意とした人物(女性像)のプロフィールなど。


                



432.●シリーズ『リアリズムとしての野生生物画』第3回 - A・デューラーの水彩画「ブルー・ローラーの翼」と「セイウチの頭部」 - 

2021-06-13 16:42:48 | ワイルドライフアート
コロナ禍の中にスタートした連載投稿『リアリズムとしての野生生物画』の第3回目は前回に引き続きドイツ・ルネサンスの画家、アルブレヒト・デューラーの水彩画である。今回は鳥類と哺乳類、2点の作品をご紹介する。

イタリア・ルネサンスの画家、ジョットにより提唱された「自然を正面から、それらしく忠実に探究する」という考え方は後年のイタリアの画家たちに受け継がれていった。そしてドイツのデューラーが「神の創造された自然や生物をあるがままに絵画に描くことこそが神の意志にかなうものである」という考え方に発展していった。今回ご紹介する2点の水彩画作品もその思考を見事に表したものとなっている。以下、2点の解説となる。

●1点目:『Wings of a Blue Roller / ブルー・ローラーの翼』 羊皮紙に透明水彩と不透明水彩 19.5 × 20㎝ 1512年制作 オーストリア・ウィーン市 アルベルティーナ版画・素描美術館収蔵

野鳥の翼の片方を細密な筆使いと水彩絵の具の美しい色彩で描いた作品である。ブルー・ローラーとはヨーロッパと北アフリカ・西アジアに広範囲に分布している美しい羽衣を持つローラー属の野鳥である。ヨーロッパやイギリスの野鳥図鑑には図版と共に掲載されているが、現在は生息数が減少し国際的な絶滅危惧種に指定されている。デューラーは繊細な肌を持つ羊皮紙を基底材に使用し正確なな色彩の再現性と細い筆による繊細な線描写により見事に表現し描ききっている。
話が作品から逸れるが、僕はこの作品を40年ほど前に当時、最良の印刷と言われた大手出版社の画集で初めて見たのだが、そのタイトルがなんと『ルリカケスの翼』となっていた。ルリカケスはご存じのように日本の奄美大島周辺に生息するカラス科の固有種であり、もちろんヨーロッパには生息しない。おそらく美術書の編集者がよく調べずに図鑑の絵合わせ程度の知識で掲載してしまったのだろう。このあたりにも我が国の西洋の「野生生物画」への理解の浅さというものが見え隠れしてしまうのである。

●2点目:『Head of a Walrus / セイウチの頭部』羊皮紙の上にペン、インクと茶色のインクによう描写 21.1 × 31.2㎝ 1521年制作 イギリス・ロンドン市 大英博物館収蔵

海棲哺乳類の1種である大きな体と長い牙を特徴とするセイウチの頭部を大きく捉えたペン画である。セイウチはバレンツ海、アイスランド、スバーバル諸島等の北極海とその沿岸域に生息するが、その立派で良質の牙が西洋ルネサンス期にはキリスト教教会の建築物の装飾や細かい彫刻を施した工芸品、チェスの駒等に向くことから重宝がられ重要な産物として北ヨーロッパを中心に取引がされていた。このデューラーによる小さいが正確に描写されたペン画からは作品の素晴らしさと共に、その商業的な背景や当時の時代性を読み解いていくことができる内容ともなっているのだ。
  
今回、ご紹介した2点は画家で版画家でもあるデューラーの油彩画や銅版画の習作的な小サイズの素描にあたるものだが、500年以上前に科学的、芸術的にもたいへん優れた「野生生物画」が描かれていたことに改めて驚嘆してしまうのである。

※ 画像はトップが水彩画『ブルー・ローラーの翼』。下が向かって左からその部分図と素描、『セイウチの頭部』とその部分図、デユーラー60歳の自画像(油彩画の部分図)。






  
  

430.●シリーズ『リアリズムとしての野生生物画』第2回 - A.デューラーの水彩画「若い野兎」-

2021-05-11 17:52:52 | ワイルドライフアート
先月からスタートした連載投稿『リアリズムとしての野生生物画』の第2回である。西洋絵画における「野生生物画・Wild Life Art」というものをリアリズム絵画の1ジャンルとして考察して行こうという内容となる。

野生生物を対象としたこのジャンルの絵画は西洋美術史の流れの中で古典から現代まで、ある時代の流行のスタイルと言うことではなく描き続けられてきた。投稿の核にこの「流れ」ということを時系列で追い具体的な作例の画像を添付しながら話を進めて行こうと思っている。

西洋絵画の中での動物画について英語や和訳で出版されたさまざまな書物に目を通してみると、まず共通した構成が多いことに気が付く。西洋人にとって野生生物画というのはまず古代ラスコーやアルタミラの洞窟壁画の中に描かれた狩猟対象としてのプリミティヴな生物たちの話題や図像から大抵の場合始まっている。そこからアッシリア、古代エジプト等の壁画やレリーフ、彫刻などに観られるアニミズム(原始信仰、自然崇拝)の中の生物たちへと進み、ギリシャ・ローマ時代の神話世界の中での擬人化された動物や鳥類へと続いていく…この流れというものは野生生物画に限ったことではなく西洋美術の源流としてのものなのである。

だが、やはり野生生物画に限らず風景画、人物画などに見られる写実的な絵画表現の起源はと言うと、14世紀にイタリアやドイツを中心に起こったルネサンス文化の中での美術ということになるのだろう。イタリアの画家ジョットによって提唱された「自然を正面から、それらしく忠実に探究する」という考え方はそれ以後の美術家へと受け継がれていく。だが、ルネサンス期の写実的な絵画はキリスト教思想に基ずく人間中心の表現がほとんどであった。なので野生生物と言うのはあくまでもキリスト教・物語絵画の中での小さな脇役だったのである。
その時代の中でジョット以降、同じくイタリアの画家ピサネルロやドイツ・ルネサンスの画家、アルブレヒト・デューラーが「神の創造された自然や生物をあるがままに絵画に描くことこそが神の意志にかなうものである」という考え方のもとに、リアルな描法と細密な技法によりさまざまな生物を数多く描いている。

今回、画像添付し紹介する作品は、画家アルブレヒト・デューラーによって1502年に描かれた『若い野兎・Young Hare』(ウィーン・アルベルティーナ素描・版画美術館所蔵)と題された水彩画である。技法としては紙(おそらく羊皮紙?)に透明水彩絵の具とガッシュ(不透明水彩絵の具)の混合技法によるもの。画家による観察を通したそのリアルな写実表現は約500年以上も前に描かれたものとは思えないものである。野兎の毛並みや髭は画集の印刷からもたいへん細い筆の先で精密に描き込まれていることを手に取るように理解することができるし、立体感、質感共に絶妙な写実表現なのである。俗な言い方ではあるが「今にも動き出しそうな野兎」に見えてくる。目の表情もとてもよく描写されている。写真も科学的な資料も少ない時代に「よくぞここまで描き、作品として残してくれました」と言いたい。画集から転載コピーしたデジタルの画像ではあるがブログを読んでいる方々には、そのあたりをジックリと観ていただきたい。

※画像はトップがデューラー作・水彩画「若い野兎」の部分図。下が向かって左から全体図とそのほかの部分図、デューラー22歳の油彩画による「自画像(部分図)」。


         

429. ●新連載『リアリズムとしての野生生物画』第1回 - 野生生物画とは - 

2021-04-30 17:59:10 | ワイルドライフアート
4月に入ってもコロナ禍が収束していく見込みは立たず、先週、東京、大阪等、大都市圏を中心として3回目の「緊急事態宣言」が発出されてしまった。そしてゴールデン・ウィークに突入である。新型コロナ・ウィルスの蔓延の影響による自粛生活も2年目に入った。

このブログは主に個展・グループ展等の展覧会等のお知らせやそれに伴う制作についての記事を中心に投稿を続けてきたのだが、昨年より多くの画廊企画による個展、グループ展が中止や延期となっている状況が続いているので、なかなか積極的になれず、また内容をどうしたらよいのか考えあぐねていた。そこで、こういう時には普段、制作上考えていてもなかなか投稿までに至らないことを書いてみたらどうだろうかと思い立った。そして以前から思い続けてきた「野生生物画」について自分の考えをまとめ、シリーズとして、連載投稿してみたらどうだろうか?と言うことになった。

「野生生物画」とは文字通り野生の動物をテーマとした絵画作品のことを指す。当然、動物園や水族館の生物が対象にはならない。あくまで自然環境に生きる哺乳類、鳥類、魚類、爬虫類等が対象なのである。ここまで話すと「それは図鑑のイラストのことなのか?」と言う人がいるが、そうではない。あくまでも西洋画のリアリズム絵画(写実絵画)のカテゴリーに分類されるものである。図鑑のイラストはナチュラル・ヒストリー(博物画)というジャンルの図解的な絵のことであり、同じリアルな描写の生物画と言ってもそれはそれでまた異なる用途のものになる。
この「野生生物画」は英語的には「Wild Life Art / ワイルド・ライフ・アート」と表わされている。文字通り野生生物画である。特に英語圏の国、イギリス、アメリカ、カナダ、オーストラリア、香港等ではとてもさかんで、近年では南米圏、オランダなどのヨーロッパ、アジア圏等にも制作するアーティストが登場している。海外の美術館のホームページ内のカテゴリーでは「抽象画」「幻想絵画」「具象絵画」といった項目と肩を並べて表記されているケースも見られるほどである。

ところがこの「野生生物画」、我が国ではほとんど認知されていないといっても過言ではない。特に美術関係者である、美術家、評論家、美術館学芸員、ギャラリスト、美術雑誌・書籍編集者などに「野生生物画」や「Wild Life Art」などと言っても、まずほとんど知らないのである。悲しいかなこれが現実である。過去に日本でこの「野生生物画」についてキチンと紹介されたものもとても少ない。僕の記憶にハッキリと残っているものとしては、今から36年前の1985年に野生生物の月刊誌「アニマ(平凡社・現在廃刊)」11月号の「動物画の世界」という特集記事で動物画家の木村しゅうじ氏他が対談し、詳細に記事を書いているのと、バブル期の1995年~1996年に大阪、サントリーミュージアムと東京サントリー美術館で開催された「ワイルドライフ・アート展」の図録にサントリーミュージアムの学芸員、今井美樹さんが本場のカナダまで画家たちを取材し、この頃のカナダにおける野生生物画の実態を詳細に綴っている。この2つの文章ぐらいだろうか?日本人の中にもアメリカ等に渡り作品を制作しギャラリーで発表している画家もいるのだが、なかなか日本に戻って来て発表してもこの概念自体が認知されていかない、広がって行かないのが現実なのである。日本人そのものは自然が好きだし、植物や動物、野鳥が描かれた絵画も古来より親しんできたはずなのだが…。

僕自身も版画の世界で20年前から「野生生物画」を作品として制作し発表している。その間、日本の美術界でこのジャンルが大きく取り上げられたことはほとんど皆無である。で、あるならば他人を頼りにせず、甚だ微力ではあるが自分自身でネット上に広めて行くしかないと覚悟を決めたというわけである。連載投稿では主に西洋絵画・ルネサンス期頃から近代(現代)までの動物画、野生生物画の歴史上の作品を紹介・解説しながら、この写実絵画表現というものを考察していこうと思っている。

●「野生生物画」の定義とは西洋絵画の歴史の中でリアリズム絵画の1ジャンルに入るものであり、古典から現代までその時代の流行ではなく描き続けられている。

※初回で長くなってしまった。ドイツ・ルネッサンスの画家、アルブレヒト・デューラーの有名な「野兎の水彩画」の解説をする予定だったが、今回は画像2点のアップに留めて次回に持ち越すことにする。



177. 『博物画の鬼才 小林重三の世界』展

2015-02-12 20:33:02 | ワイルドライフアート

先月、11日。東京は町田市立博物館で開催中の『博物画の鬼才 小林重三の世界』展を観に行った。名前は重三と書いて「しげかず」と読む。初めてこの名前を見てこう読める人はなかなかいない。

小林重三(1887-1975年)と言えば昭和の戦前・戦後にかけて、図鑑や研究書、教科書から一般書籍、児童書まで多くの印刷物の原画として哺乳類や鳥類の絵を描いた画家として野鳥関係者、自然関係者にその名を知られている。日本におけるこの分野の絵のパイオニアの一人である。特に鳥類画は我が国の鳥類学の発展時期に重なり多くの絵が制作されている。

この日、展覧会関係者からのお誘いをいただき、会場に着くと博物館学芸員のI氏、小林作品のコレクターであるS氏、小林重三の生涯を研究されいる児童文学者のK氏、重三のお孫さん、町田市長、そして展覧会の後援をしている日本野鳥の会の職員のみなさんが集まり、内覧会のような雰囲気になっていた。会場でまず目に入ったのは整然と展示された夥しい数の鳥類画の原画だった。それはそれまでの日本にはない作風でイギリスの博物画家、アーチボルド・ソーバーンの画風に影響を受け、また参考にして描かれたという。ここに展示されているものは、そのほんの一部らしいが、たいへんな仕事量である。出版を前提として描かれたこれらの挿画は今日風に言えば自然史イラストレーションと言うのかもしれないが、たいへんな仕事量である。これだけの仕事ができたのは依頼者としての、この時代の多くの鳥類学者との出会いがあった。

博物画というものは科学的な正確さを求めたり細密になるがあまり、ややもすれば冷たく硬い表情になりがちなのだが、この画家の博物画には「絵画性」がある。それもそのはずだ。もともと水彩風景画家を目指して上京した人だったのだ。そして博物画は生活のために描き続けたわけだが、晩年、銀座の画廊で絵画の個展を開いている。その絵は当時の現代美術ともいえる表現主義的な風景画や人物画であったという。野鳥や哺乳類は登場しない。確かに同じ画家の立場で言わせてもらうと博物画家の自分というものに満足しきっていたとしたら、この画風の絵を晩年に多く描き、わざわざ画廊で発表する必要はなかったのではないだろうか。自分の内面の表現に忠実になればなるほど絵というものは理解されにくく、売れにくくもなる…。小林重三の画業を語る時、どうしても博物画に焦点が集中しがちであるが、僕は現在、個人的に初期の風景水彩画と晩年の表現主義的油彩画に強く興味を持っている。そしてこれらの時期の作品にこそ画家の内面の真実が隠されているような気がするのだ。この部分が研究されて初めて画家の全貌が浮かび上がってくるのではないだろうか。今後の新たな研究に期待をしつつ会場を出た。展覧会は3/1まで開催中。博物画に興味のある方は、ぜひこの機会に観に行ってください。

画像はトップが展覧会図録の表紙(部分)。下が向って左から小林が参考にしていたソーバーンの博物画と晩年の個展に出品された漁村を題材にした油彩画。