長島充-工房通信-THE STUDIO DIARY OF Mitsuru NAGASHIMA

画家・版画家、長島充のブログです。日々の創作活動や工房周辺でのできごとなどを中心に更新していきます。

225. 2015年 一年間ありがとうございました。

2015-12-31 20:34:00 | 日記・日常

ブロガーのみなさん、facebookを始めSNSでの友人、知人の方々、その他作品や展覧会を通じて知り合った方々、2015年一年間、当ブログにお付き合いいただきありがとうございました。特にブログやメールを通じて励ましのコメントをいただいた方々にはとても感謝しています。

自分事ではありますが、今年は旅行や個展などで関西方面にご縁のある年でした。そしてSNSを通じて海外の多くの友人を得ることができました。反省点としては、制作での視力、体力、集中力がじわじわと落ちてきたことに気付かされる年でもありました。30代、40代に、ごく普通にできていたことができない。確実にペース・ダウンしてきています。それから野鳥をテーマにしている版画作品の制作のための取材が思うようにできなかったこと。やはりフィールドに出て常に自然の気配に触れることの大切さを感じています。あまり反省点ばかりあげるとネガティブになりますのでこの辺でやめておきます。

大晦日のブログの画像は今まで撮影した夕景としていましたが、今年から名画の中の夕景をピックアップしてみました。一年目としては僕の敬愛する19世紀ドイツロマン派の画家、カスパール・ダヴィット・フリードリヒ(1774-1869)の油彩画『宵の明星』を画集から選んで転載してみました。この絵のBGMとしてはアントン・ブルックナーの『交響曲第4番・ロマンティック』が合いそうですね。画像は絵の一部分となっています。また下にはそのまた部分図をアップしました。

そろそろ紅白歌合戦も佳境となってきています。2016年まで秒読み状態です。では、みなさん,来年もどうぞよろしくお願いします。良い新年をお迎えください。

 

 


224. フィールドノートから 西印旛沼・今年の鳥見おさめ

2015-12-29 21:01:15 | 野鳥・自然

今年もいよいよエンディングに向かって秒読みの時期に入ってきた。今月の25日と29日にひさびさに工房の近くの西印旛沼に野鳥観察に出かけた。いつもと志向を替えて記録をつけているフィールドノート(野帳)の内容をご紹介する。

・12/25(金)晴れ(風はほとんどないが寒い)16:33、日の入時間前後の西印旛沼北東部とその周辺、3地点をサイクリングロード沿いにMTBで移動しながら観察した。以下、フィールドノートより。重要と思われる種は性別や観察数を記載した。

<観察種> ヨシガモ(♂×93羽♀×82羽)、マガモ、カルガモ、オナガガモ、トモエガモ(♂×2羽♀×1羽)、コガモ、キンクロハジロ、ミコアイサ(♂×1羽♀×3羽)、カイツブリ、カンムリカイツブリ(23羽)、ハジロカイツブリ(×52羽)、キジバト、カワウ(×361羽)、アオサギ、ダイサギ、コサギ、バン、セグロカモメ、トビ、チュウヒ(×4羽)、オオタカ(幼鳥×1羽)、モズ、ハシボソガラス、ハシブトガラス、ヒヨドリ、ウグイス、ムクドリ、シロハラ、ヒタキsp(声×1)、ツグミ、ジョウビタキ、スズメ、ハクセキレイ、タヒバリ、カワラヒワ、ホオジロ、アオジ、オオジュリン。以上39種を観察。

※ ヨシガモは沼の北東部水面に固まっていた。トモエガモはオナガガモの大きな群れの中に混ざっていた。チュウヒとオオタカ幼鳥はヨシ原上を低く飛翔した。風が弱く沼の水面は穏やかで水鳥の観察がしやすかった。日の入後しばらくして東の空からオレンジ色の不気味な月がゆっくりと上がってきた。とても幻想的な風景である。

・12/29(火)晴れ、風がある。寒い。午前中から午後にかけ日中に西印旛沼(と、その周辺)の萩原入り口から船戸大橋まで、6地点をサイクリングロード沿いにMTBで時計回りに移動しながら観察した。以下、25日同様、フィールドノートより。重要と思われる種は性別と観察数を記載した。

<観察種> キジ、ヨシガモ(♂×54羽♀×64羽)、マガモ、カルガモ、オナガガモ、トモエガモ(♂×20羽♀×11羽)、コガモ、ホシハジロ、キンクロハジロ、ミコアイサ(♂×6羽♀×8羽)、カイツブリ、カンムリカイツブリ(×45羽)、ミミカイツブリ(×2羽)、ハジロカイツブリ(×44羽)、キジバト、カワウ、ゴイサギ、アオサギ、ダイサギ、コサギ、オオバン、ユリカモメ、セグロカモメ、ミサゴ(×2羽)、トビ、チュウヒ(×6羽)、ハイイロチュウヒ(♀×1羽)、ノスリ(×1羽)、カワセミ、ハヤブサ(×1羽)、モズ、ハシボソガラス、ハシブトガラス、シジュウカラ、ヒバリ、ヒヨドリ、、ウグイス、エナガ、メジロ、ムクドリ、シロハラ、ツグミ、ジョウビタキ、スズメ、ハクセキレイ、セグロセキレイ、タヒバリ、カワラヒワ、ベニマシコ(♀×1羽、声×3)、ホオジロ、カシラダカ、アオジ、オオジュリン。以上53種を観察。他、シナガチョウ、カワラバト。

※トモエガモは25日と同じくオナガガモの大きな群れの中に混ざっていた。ここでは少ないミミカイツブリ2羽が沼中央の水面に観察された。猛禽類6種が観察された。ベニマシコをヨシ原で観察した。日中であることと25日より観察範囲を広くしたことでより多くの種類と数が観察できた。

以上、フィールドノートの記録を拾い書きしてみた。

画像はトップが冬の印旛沼の名物、冬羽に換羽したカンムリカイツブリ。下が向かって左から沼水面に浮かぶマガモの群れ、近年、生息数が減少しているコサギ、沼の風景3カット。

 

        

 


223. 追悼 エルンスト・フックス画伯

2015-12-26 20:19:14 | 幻想絵画

もう少し早くブログに更新したかった。先月、9日。幻想絵画の巨匠、画家のエルンスト・フックス氏(1930-2015)が老衰のためウィーンで死去、84才の生涯を閉じた。

エルンスト・フックス氏と言えば先の大戦後、混乱のウィーンに彗星のごとく登場した芸術家のグループである『ウィーン幻想派』の画家である。幻想派の中心となる画家はフックス氏の他にエーリッヒ・ブラウアー、ルドルフ・ハウズナー、ヴォルフガング・フッター、アントン・レームデンの5名で、すでにハウズナーが亡くなっているので残るのは3名となってしまった。その後、世界中の幻想画家にも影響力を持ち、代表的なところでは映画『エイリアン』のデザイナーとして名高いH.Rギーガー氏(2014年没)などもその一人である。日本でも僕の記憶では1970年代と1990年代の2回、ウィーン幻想派の大きな展覧会が開催されている。

フックス氏は僕にとっても20代から30代にかけて、とても強い影響を受けた画家の一人である。マニエリスム的で錬金術的なその強烈に個性的な画風は怪しく謎めいた魅力に満ち溢れていた。当時、古本屋で幻想派について記事が書かれた美術雑誌や和訳された幻想芸術の評論書を探してきては夜中まで読みふけっていたのを思い出す。フックス氏にのめり込むように傾倒していくと、それだけでは飽き足らず、この画家が影響された画家や美術が気にかかるようになり、ボッシュやブリューゲルなどのフランドル絵画、アルチンボルド、ウイリアム・ブレイク、ギュスターブ・モロー、グスタフ・クリムトとウイーン分離派などまで興味の範囲は広がっていった。

それから、アルバイトをして高額だった絵画と版画のドイツ語版の画集を購入し表現主題やテクニックを独習で研究した。特にドイツ語の作品のデータを翻訳していて驚いたのはその技法の豊富さである。版画では銅版画を中心に木版画やリトグラフ。素描では羊皮紙に銀筆、鉛筆、ペンにインク、パステルなど、タブローはテンペラと油彩の混合技法が多いが、水彩画や近年ではアクリル画も数多く制作している。さらに平面だけにとどまらずブロンズ彫刻も制作している。ヨーロッパではピカソやダリもそうだったが、こうして表現の可能性と幅を広げていくのが造形芸術の王道なのだろう。

強烈な個性と細部まで再現されたイメージにより鑑賞者の心を掴んで離さない、そして多彩なテクニックを錬金術師のように自由自在に操る、フックス氏のような画家になりたいと夢を描いていた。フックス氏について書きだすとスペースがいくらあっても足りない。最後に「芸術は最高度に文学であり、文字記号である」と画家自身が断言する有名な言葉をあげることにしよう。

「くりかえし申さなければならないが、芸術は最高度に文学である!文字記号である。タブロー絵画の作画法はとりわけ、心的-精神的内容をそれに適わしい記号の中に注ぎ込む行為である。この意味で絵画は常に人類の警告の声であった。それゆえに芸術は意味深く、実用的かつ無際限に合目的的なのであり(預言という意味でそうである)、したがって絶対に『純粋絵画』やアブストラクトであることはない。芸術家自身は、一切のものは形象の中にしか見られないということを悟らなくてはならない。」(『芸術は文学である』 エルンスト・フックス)

創作上多くの影響を与えていただいたエルンスト・フックス氏に謹んでご冥福をお祈りいたします。

画像はトップが1980年代頃のフックス氏の肖像。下が1950年代ウィーンのアトリエでの若きフックス氏、絵画作品の部分図3点、素描作品の部分図1点、銅版画作品の部分図1点、以上、ドイツ語版、画集より複写転載。

 

       


222. カルチャー教室で『彫らない木版画』の講評会

2015-12-22 21:13:37 | カルチャー・学校

今回ブログの回数が222回目のキリ番である。18日、19日と二日間、地元千葉のNHKカルチャー・ユーカリが丘教室で今年最後の木版画のレクチャー2クラス分を連チャンで行った。この木版画教室も早いもので来年11年目となる。スタートした時は、正直こんなに続くとは思っていなかった。熱心な生徒さんたちに支えられてここまでやってこられた。感謝である。

3か月6回~7回が1クールなのだが、初心者と自由制作の時以外は毎回、僕がテーマを決めて進めている。今期のテーマは『彫らない木版画』。字ずらだけ見るとなんのことか解らないだろう。初日に黒板に発表した時は生徒さんたちからも「なんですかそれはっ!?」といった声や深いため息が聞かれた。現代の木版画も近年、表現内容が進化した。彫刻刀で彫って摺るだけが木版画ではない。版木にニスを塗ったり、ボンドで何か他の物質を張り付けたり、アクリル用のメディウムでマチエール(絵肌)を作ったりと多種多様である。生徒さんたちも公募展やら画廊やらを廻ってこうした表現に接する機会も少なくない。カルチャーでそこまでやるのはどうなのかという気持ちもあったが、思い切って決行した。

当然、「えーっ、どういうものか理解できません!」「そんなこと私たちにできるんですか?」という声もあがった。そういう時の僕の台詞はいつも決まっていて「やってみなはれーっ!(サントリーの社長風)」なのである。そう言いつつも、今までもみんなで陰刻法木版画、キアロスクーロ法、リダクション法と結構マニアックな特殊技法もなんなくこなして来ているのである。

ふたを開けて見ればこの二日の講評会には不安などどこ吹く風か、なんなく課題をこなした力作がズラリと並んだのである。それにしてもこの『彫らない木版画』は絵画性が強く、より自由な表現を獲得できるんだなぁ、と再認識した。指導している僕自身も毎回発見なのである。

新年1月からはシュールレアリズムの手法である『ディペイズメント(置き換え)』に挑戦する。今期のキーワードは「やってみなはれ!」だったが来期のキーワードは「ビックリポン!」となっている。なんのことはない朝ドラのセリフのパクリなのである。画像はトップが黒板に張り出された生徒作品の一部。下が向かって左から同じく生徒作品の一部、参考に作って見せた彫らない版木、講評会風景。

 

      

 


221. 師走の紅葉狩り

2015-12-17 21:03:25 | アウトドア

12日の夜、千葉県富津市にある10代からの友人、K氏の新築アトリエにお祝いがてら出かけた。内房線JR君津駅で18:30に待ち合わせ車で来たK氏と合流。そのまま富津市内にあるアトリエに向かった。道すがら「今夜は、ひさびさにキムチ鍋で一杯やるか」ということになり、スーパーに立ち寄って買い出しをしてからアトリエに到着する。

一戸建ての大きなアトリエである。ドアを開けて中に入ると天井が高く、大きめの窓は外からの採光がよく考慮された設計となっていた。まだできたてのホヤホヤの画室には物も少なく、最近ネットで購入したという、どっしりとした黒い薪ストーブが一際目立っていた。オープンなキッチンでさっそくK氏が鍋の準備を始めた。BGMは新築祝いの吟醸酒といっしょに持ってきたJAZZのCD。K氏のリクエストにより渋めのベースのリーダーもの。ポール・チェンバースの「ベース・オン・トップ」をかけた。お互い18ぐらいからJAZZ喫茶通いをしていたのですぐに空気が盛り上がってきた。

ここからは熱い鍋を囲みながら熱い昔話に花が咲いた。きりがない。こういう時は5-6時間があっという間に経ってしまう。実は明日は朝からこれもひさびさの山登りの予定である。このブログでも何度も更新した千葉の山と自然を歩く会「BOSSO CLUB」の定例山行である。これもひさびさにメンバー4人、全員が揃うことになっている。予報ではあいにく降水確率60%となっている。「まぁ、雨が降ったらドライブに変更することにしよう」ということで寝床に着く。

カラス、「カーッ」で13日の朝となる。予報どおり空には暗い雲が広がり小雨が降っている。朝食を軽く済ませ、集合場所であるJR君津駅へと車で向かう。駅前のロータリーに到着するとM氏、Y氏が傘をさして待っていた。こういう時は誰言うことでもなく開口一番「雨男はいったい誰なんだ」である。もちろんお互い自分ではないという顔をしているのだが。車に乗り込むとさっそくどこに行くかという相談。地元K氏の提案で富津市志駒という地域にある「もみじの里」という渓谷に行くことに決定した。駅前を出て、街中をはずれ山間部に入っていく。しばらく走ると車窓から見える風景が秋景色へと変わってくる。高山地帯の真っ赤な色彩とは違って黄色から赤茶色のグラデーションで微妙ではあるが里山の紅葉も美しい。温暖な房総の紅葉は遅い。今がちょうど真っ盛りである。志駒川添いの山道に入るとさらに紅葉が多く目立つようになる。ここで「もみじの里」の看板が見えた。上空には寒くなって山間部から降りてきた鷹の仲間のノスリが2羽出現してくれた。

楓がいい色になっている場所を見つけては車を降りて撮影する。雨の曇り日が逆に幸いして色彩がシットリと良く出てくれる。「地蔵堂の滝」という落差の小さな千葉らしい滝を観てから次のポイントに出発となる。雨が止まないので休憩所のある鹿野山の「九十九谷展望台」で昼食をとろうということになった。

展望台に着くと、いつもなら遠方まで視界がきき絶景の場所のはずだが、濃霧で覆われていて視界が0の状態。しょうがないのでここでティータイムとし、K氏のアトリエに戻って昼食をとることにする。アトリエに着き早めの昼食を済ませてからは音楽を聴いたり地形図を広げて次回、2月の定例山行の場所を選んだり、昼寝をしたりしてマッタリとした時間を過ごした。たまにはこういう室内例会もいいものである。楽しい話はつきないのだが、今日は早めに切り上げてお開きとなった。画像はトップが「もみじの里」の楓の紅葉。下が同じく紅葉のカット3枚、「地蔵堂の滝」、2階から撮ったK氏のアトリエと最新作の鏡に描いた平面作品。

 

            

 

 

 


220. 水彩画『白頭鷲・ハクトウワシ』を描く

2015-12-09 20:31:14 | 絵画・素描

先月末から今月初めにかけ、水彩画の小品『白頭鷲・ハクトウワシ』を制作した。ハクトウワシは英語名を「Bald eagle(頭の白いワシ)」と言い、1782年にアメリカ合衆国の国鳥に制定された野生鳥類である。「世界一クールな国鳥」などとも言われている。翼開長が2m強というのだから日本のワシで言えばイヌワシやオジロワシぐらいということだろうか。そして、僕の憧れの鳥でもある。

北アメリカの先住民族であるネイティブアメリカンの人々は合衆国建国のはるか昔から、このワシを聖なる存在、神(グレート・スピリット)の使いとして崇め続けてきた。大空を悠然と高く飛翔する大きな姿が神の一番近くへ行くことができると尊ばれたのだ。その羽は西部劇で登場するような彼らの正装や儀式に用いられた。

アイヌの人々も、ごく近縁種のオジロワシを「オンネウ=老大なもの」と呼び尊んだ。アラスカのネイティブとアイヌの交流を伝える伝説もあるようだ。確かにネイティブの人々の大自然や神々を讃えた言葉にはアニミズムや自然崇拝という枠組みではくくることができない我々日本人にも共通なフィーリングを感じ取ることができる。その中の僕の好きな言葉を一つあげてみよう。

「朝起きたら、太陽の光と、おまえの命と、おまえの力とに感謝することだ。どうして感謝するのか、その理由がわからないとしたら、それは、お前自身の中に、罪がとぐろを巻いている証拠だ。」 シャーニー族の首長の言葉

はるか昔、ユーラシア大陸からベーリング海峡を渡った、我々と同じモンゴロイドたち。その悠久の時を超えて、魂を宇宙や自然界のすべてのものの中に見る血脈を感じることができる。

水彩画は今回も手漉きの和紙に描いた。トーテム・ポールの屹立する夜の原野を背景にハクトウワシを肖像画風の構図で描き、頭と胸にネイティブの装飾の一部を施すことで擬人化してしまった。この鳥の持つ神聖な雰囲気が表現できただろうか。全体像は個展で観てください。

画像はトップが制作途中の水彩画。下が向って左から水彩画の部分と今回使用した絵の具。

 

   


219.陰刻法木版画の制作

2015-12-02 19:07:58 | 版画

先月から陰刻法木版画(いんこくほうもくはんが)の制作を進めている。技法の名前だけ見ると、なんだか小難しく複雑に感じるかもしれないが、制作してみるとシンプルかつ合理的な木版画である。

この技法との出会いは、まだ20代の美術学校の学生だった頃、たまたま東京神保町の美術書専門の古書店でみつけた古い木版画の技法書であった。その本の作者は小野忠重(1909-1990)という戦前から戦後にかけて活躍した木版画家である。その初期から社会派的作風で知られ、最近では2009年にまとまった回顧展が東京の美術館で開催されている。

陰刻法木版画はまたの名を一版多色摺り木版画とも言われる。以下、簡略にその制作プロセスを説明する。まず版木に直接筆やペンなどでデッサンする~その線を全て彫って版を完成させる。次に紙の準備。ドーサを引いていない生漉和紙を墨や絵の具で暗色に染める~その上にドーサを引く~乾燥後、線刻によって区切られた形に一色ごとにガッシュやポスターカラーなど不透明な絵の具を塗りバレンで摺っていく。これで出来上がり。実にシンプルなのだ。

何と言っても一番の魅力は通常、版を色分解する多色摺り木版画だと使用する色の数に近い版数が必要なところを一版で摺れるというところだ。普通に十数色は摺れる。但し、一色一色、版に筆や刷毛で絵の具を塗って摺り進めていくので色の数だけ紙の上げ下げ運動を強いられる。けっこうな労働である。二番目の魅力は暗色に地色を染めた和紙に不透明な絵の具で摺るので鮮やかで強い発色で仕上げることができる点である。例えて言うならステンドグラスのように輝く色調である。現在僕も鮮やかな色がほしい野鳥をテーマとした作品などに使用している。今までもいろいろとやってみたが他の版画技法ではなかなかここまで鮮やかな色は出せなかった。この辺はいくつもの技法を操る版画家の強みである(自称テクスチャー・コントローラーと名乗っている)。

小野忠重さん以前にもアンドレ・ドランやベン・シャーンが陰刻法を用いて版画作品を制作しているようだ。ドランの作品は美術雑誌で見たことがあるが、ベン・シャーンのものは残念ながらまだ見たことがない。

しばらくはこの技法により色彩の鮮やかな野鳥や野草、蝶をテーマにした制作を続けていくつもりである。完成作品は個展などで観ていただきたい。画像はトップが摺りの作業途中の版木と版画。下が向って左から以前に陰刻法で制作した大判木版画「アルキュオネ」、摺りあがった野鳥をテーマとした作品の数々、制作中の絵の具(2カット)、バレン。