長島充-工房通信-THE STUDIO DIARY OF Mitsuru NAGASHIMA

画家・版画家、長島充のブログです。日々の創作活動や工房周辺でのできごとなどを中心に更新していきます。

350. 絵画作品『文鰩魚・ぶんようぎょ』を制作する。

2018-11-24 18:19:41 | 絵画・素描
前回の絵画・素描の投稿作品『夜の天使』に引き続き今度は中国の伝説の怪魚『文鰩魚・ぶんようぎょ』の絵画作品を制作している。西洋のローマ辺りから中国大陸に想像力によって、トリップしたというわけである。なかなか忙しい。

中国の古から伝わる神話や伝説の中にはさまざまな怪魚、巨魚が登場する。その中で今回の画題としている『文鰩魚』は前漢代初期の古文書『山海経』の中の「西山経」・「西次三経」の中に登場する有翼の怪魚である。その書物の中に「泰器の山。観水がここから流れて流沙に注ぐ。この川に文鰩魚が多い。形が鯉に似ていて、体が魚で鳥の翼をもち、青黒い斑点があって、頭が白く口が赤い。いつも西海の中を泳ぎ、東海へ出かけるには夜のうちに飛ぶ。鳴き声が「鸞鶏・らんけい」に似ている。味は酸味と甘味があり、これを食べれば狂気が治る。この魚が姿を現わすと天下は豊作となる」と書かれている。

つまり、吉兆のしるしとなる怪魚というわけである。それにしても、あたかも食べたことがある様に詳しい味までもが書かれているのは驚きである。

そういえば、16世紀の北ヨーロッパ・フランドル地方の画家、ペーテル・ブリューゲルの絵画や銅版画の中にも翼を持った怪魚や空を飛ぶ怪魚が脇役のキャラクターとして登場する。ここでもシルクロード文化圏の長い歴史の交易の中で「有翼の怪魚」のイメージが伝搬されて行ったのだろうか。どちらが先祖かは解らないが、きっとそうに違いない。いや、案外イメージの原型はグリフォンと麒麟の時のようにペルシャ辺りに存在するのかも知れない。

昨日はローマ、今日は長安(西安)と想像の時間と空間の中をトリップし、次作はいったい、どこの国へと旅立とうか。もう少し『文鰩魚』の完成度があがって来ないとハッキリとは行く先が見えてこない。


画像はトップが制作途中の絵画作品『文鰩魚・ぶんようぎょ』の部分図。下が向かって左から同じく部分図(尾ひれ)、中国の古文書(和訳本)に登場する文鰩魚の挿絵、色彩を深めるために制作に使用している固形水彩絵の具、水彩画筆。



         




349. トロンボーン・JAZZ を聴く日々。

2018-11-17 18:11:03 | JAZZ・ジャズ
土曜日の午後は音楽の話題。そして絵画や版画を制作する最中に聴いているBGMの話題である。

これまで40年以上、聴き続けてきたJAZZだが、50才前後を境目として同じJAZZでもそれまで聴いてきた激しくアグレッシブな演奏ではなくシットリマッタリ?系の演奏へと趣味が変わってきたという話は以前にした。

例えば、最近ではビル・エバンスのピアノ曲やジョー・パスのギターソロ曲などを聴いていることもご紹介してきた。その流れでここ数か月間ではまっているのが『トロンボーン』による演奏なのである。
管楽器はモダン・ジャズの花形と言えるが、煌びやかなトランペットの音や激しくブローするサックスの音に比べると同じ管楽器と言っても決して華やかな存在とは言えない。だが、他の管楽器には真似することができないゆったりと伸びやかな音の魅力があるのである。そして1950年代には「3管セクステット」という6人編成のスタイルも確立しているのである。つまりトランペット、サックスにトロンボーンを加えた3管編成にピアノ、ベース、ドラムスというリズム・セクションによるゴージャスな編成である。この形式、ファンキーやハード・バップと言われたモダン・ジャズスタイルの中でさかんに演奏され、数多くの名盤が生れたのである。

話は変わるが、20代後半まで住んだ千葉の街にジャズのライブハウスがあった。小さなお店だったが、ここにはピアノの山下洋輔、アルト・サックスの坂田明といった当時売れっ子のプレーヤーたちがライブ演奏に来ていて、30代頃まで、よく通っていた。その中に日本を代表するトロンボーン奏者の向井滋春さんがいた。ライブを聴きに行って終了後に同席してお酒を飲みながらお話しする機会があったのだが「トロンボーンは日本人には向いていない楽器なんだよ。何故かと言うと欧米人よりもリーチが短いのでスライド管を目いっぱい延ばす動きに苦労するんだ」ということを言っていて興味深かった。向井さん自身もリーチは短い方だという。それでもライブハウスで聴いた演奏はいつも素晴らしいものだった。その時、僕は「コンプレックスを情熱によって克服した人間は強い」と妙に納得できたのをよく覚えている。

さて、肝心の推薦プレイヤーと推薦盤である。1人目はやはり1950年代~1960年代にかけてのこの楽器のパイオニアとも言える名手、J.J.ジョンソン。『トロンボーンのディジー・ガレスピー』などとあだ名もついているほどの華やかな演奏スタイルである。推薦盤はその華やかさとは少し違うが、ワン・ホーン・カルテットによる『ブルー・トロンボーン』(
CBS)がこの楽器の伸びやかな音の特徴を生かし、リラックスした好アルバムとなっている。

もう一人もJ.J.とほぼ同時代のプレイヤーだが、ファンキーなムードの演奏を得意とするカーティス・フラー。推薦盤はテナー・サックス奏者で名コンポーザーとして知られるベニー・ゴルソンと組んだジャズ史に残る名盤中の名盤『ブルース・エット』(サヴォイ)である。ゴルソン作曲の名曲<ファイヴ・スポット・アフター・ダーク>や表題曲の<ブルース・エット>などのベテランコンビならではの快演を聴くことができる。

ちょっと、長くなったが、ブロガーのみなさんも是非、秋の夜長にトロンボーン・ジャズを聴いてみてください。


画像はトップがJ.J.ジョンソンのポートレート。下が向かって左からJ.J.ジョンソンの推薦盤『ブルー・トロンボーン』、カーティス・フラーの推薦盤『ブルース・エット』、同じくカーティス・フラーの1970年代録音の『クランキン』の各CDジャケット。


      







348. 絵画作品『夜の天使』の制作を再開する。 

2018-11-10 17:47:23 | 絵画・素描
先月の12日、新作絵画個展が終了してからそろそろ一か月が経とうとしている。

数年間描き貯めた作品を個展で一挙に発表した後というのが、なかなか元のペースに戻れない。一度、気持ちが高揚し、心が気球のように空高く上り詰めてしまうとその高度から下りてくるのに時間がかかるのである。

気分転換に人に会ったり、映画を観たり、音楽を聴いたり、自然観察をしたり…と、いろいろ、あの手この手で気持ちの切り替えを図るのだが簡単には行かない。何か足が地面に着いていないようなフワフワとした宙ぶらりんの状態が続くのが常なのである。そしてこれもいつも行き着くところは「そうだ、新作を描こう」ということになるのである。エカキの「業」というのであろうか結局は絵を描き始めないと元の大地に不時着できないのである。

と、いうわけで先月の下旬頃より、ようやく新作絵画の制作に取りかかったのである。「まずはウォーミングアップから」ということで、今回の個展に出品しなかった未完成作品を仕上げることにした。以前ブログにも制作過程をご紹介したが、7~8割描き進めていた『夜の天使』と題した西洋の天使(エンジェル)をモチーフとした作品に加筆を始めた。
不思議なもので画面に向かって絵筆を動かし始めるとそれまでフワフワと浮ついていた心が徐々に肝が据わるというのか、落ち着いてくるのである。

聖書によると「天使(エンジェル)は、この世界が生まれる前から存在していて空中に満ち溢れている」と説かれている。これはどこかで読んだような気がする。そうだ大乗仏教の仏典に登場する観音菩薩である。「観音信仰」で有名な観音菩薩は浄土に昇れる仏格なのだが、敢えて地上に留まり、いろいろな人物に変化しながら衆生救済に走り回っていると説かれているのだ。そしてその数は虚空に遍満しているとも言われている。ヨーロッパも中東、インド、中国もシルクロード文化圏の点と線で繋がっている。ひょっとして天使と観音菩薩はルーツを辿ると同じ聖者だったのかもしれない…と、妄想を膨らませてみた。

秋の深まる中、ようやく僕の絵画制作が再開された。次のゴールはまだまだ先が見えない。


画像はトップが制作中の『夜の天使』の部分。下が向かって左から制作中の手、固形水彩絵の具、筆、イタリア・ルネサンスのアンジェリコとベッリーニ作「天使」の絵画作品部分図。