長島充-工房通信-THE STUDIO DIARY OF Mitsuru NAGASHIMA

画家・版画家、長島充のブログです。日々の創作活動や工房周辺でのできごとなどを中心に更新していきます。

448. 絵画作品『アマビエ・2022』を制作する。

2022-02-28 23:28:19 | 絵画・素描
ある程度の予測はしていたが昨年末から今年の年始にかけて人々の動きが活発になると共に、またもや新型コロナ・ウィルスの感染も急拡大して来ている…。
このことに合わせて僕も昨年末より新作の絵画作品として妖怪「アマビエ」を描いた。アマビエは、1846年(弘化3年4月)に現在の熊本県にあたる肥後の国の海上に出現したとされる日本の疫病封じの妖怪である。

「え、今頃!?」と言われるアート関係者も多いと思うが、そう今頃。このタイミングなのである。一昨年、2020年夏季半期頃からギャラリー企画で「○○アマビエ展」と称した展覧会がいったいどれくらい開催されたか分からない。本来、こうしたモチーフ、作風には縁のないアーティストの人たちまで描かされていた…。

僕は普段から「神話・伝説」をテーマとした幻想的な作風の絵画作品を描いているので、いつか描こうとは思っていたのだが、あまりSNS上やギャラリーで数多く目にしたので気後れしてしまっていた。それから流行に便乗するのは昔から好きではないのである。

昨年、秋に参加した銀座の画廊での企画展に、こちらも「疫病退散」の幻鳥として知られている「ヨゲンノトリ」を出品したところ自分でも予想外の反響・共感をいただいた。ちょうどこの鳥を描いていた夏の頃はコロナの感染者が増えている最中だったが、完成してグループ展に出品した時には東京でも感染者が一桁台まで下がっていた。
まぁ、偶然と言えばそれまでだが、今回は意識して「弦を担いだ」という訳である。

世界中の誰だってもうこんな自由を奪われた生活はうんざりなのである。毎日、アマビエ作品を描く前に手を合わせ「どうか、一日も早くコロナ禍が収束へと向かい世界中の人々に自由な生活が戻ってきますように!」と、呟いてから絵筆を握る毎日だった。

今更アマビエ、されどアマビエ。

オミクロン退散!!
新型コロナ・ウィルス収束祈念!!


         

438. ● 新作絵画作品『一角獣・2021』を制作する。 

2021-09-27 18:55:33 | 絵画・素描
このところブログの投稿が少なくなっている。それはこのブログが作品制作と展覧会のお知らせを主としているためである。昨年から続くコロナ禍だが、今年もとうとう秋の季節に入ってしまった。東京での感染者自体は数字の上では減少しているのだが、新型株等の出現によりまだまだ安心できるということではない。

このブログでも投稿したが、昨年より僕は新作個展の予定を入れていない。企画・主催側のギャラリー等と話し合い、延期か中止としているのである。このことを現在の状況から「英断ですね」と言ってくれる画家仲間や関係者もいるが、もうすぐコロナ禍も2年に近づこうとしているので、そうも言っていられなくなってきている。

来月、久々に東京銀座の企画画廊でのグループ展に新作の絵画作品を出品するため、この夏から集中して制作して来た。展覧会の詳細に関してはまた後日に詳細のご案内をする予定である。出品作品の画題は近年、テーマとしている東西世界の『神話・伝説シリーズ』の流れのものである。
今回、画像投稿したものは西洋絵画に観られる『一角獣・ユニコーン』である。一角獣は古代ギリシャの文献にも登場し、古くから西洋に伝わる幻獣で角を持った白馬の姿で描かれてきた。森に棲むこの幻獣はさまざまな寓意的な意味が与えられて来ていて、ここではとても一言では現わせないが、キリストの象徴、受胎、狩猟、乙女、貴婦人等と結びつけるテーマが与えられ確立している。つまり謎の多い幻獣なのである。

制作にあたって、数年前に東京での展覧会で観た16世紀に北フランスで制作された『貴婦人と一角獣』の連作タピスリーのイメージを参考にした。このタピスリーは一角獣をテーマとしたアート作品の中でも、その代名詞になるほど有名なものである。

絵画作品の画材は、これも近年、表現に会うため度々用いている手漉きの和紙にさまざまな画材を混合して描いているものである。その全てが水性画材で、アクリル、透明水彩、ガッシュ(不透明水彩)、そして日本画の顔料を膠で溶いたものなどの併用技法である。

夏の熱い最中から制作していた僕の一角獣は今月初めにようやく完成し、既に展覧会準備のため画廊に画像を撮影し送っている。このブログを見ている方々にも是非一度、展覧会会場でリアル作品を見ていただきたいと思っている。

※画像はトップが絵画作品『一角獣・2021』の制作中のようす。下が制作に用いたさまざまな画材3カット、16世紀、フランスのタピスリー作品『貴婦人と一角獣(部分図)』の画集からの転載、1カット。


         

403. 鉛筆画『大鴉・おおがらす』を制作する。

2020-04-19 19:01:38 | 絵画・素描
久々の投稿になる。新型コロナウィルスが世界中に蔓延する中、何かブログをジックリと投稿するという気が起きずにここまで来てしまった。今回は先月から今月にかけて制作している鉛筆画の話題。

鉛筆で絵を描くというと一般的にはデッサンやクロッキーといったラフな素描を連想する人が多いかも知れない。ところが最近では1つの独立した絵画・ドローイングのジャンルとして捕らえ制作する画家、特に洋画系の画家が増えている。つまり素描の延長としてというよりも『鉛筆画』なのである。

現在僕が制作しているのはアメリカの詩人、E.A.ポーの物語詩からイメージした『大鴉・おおがらす』というタイトルをつけた鉛筆画である。実はこの作品は今月23日から東京の画廊で開催予定だった鉛筆画のグループ展に出品予定だったのだが、新型コロナウィルスの都内での蔓延、感染者増大の状況の中、会期が9月に延期となってしまったのである。なので制作しているというよりも制作していたと言うのが正しい。これまでに僕はこのグループ展に限らず他に2つのグループ展と一つのイベントが中止あるいは延期となっている。
僕だけではなく現在、画家や版画家の友人、知人の個展やグループ展の多くが中止、延期となってしまっている。この他、アート関係では美術館での企画展なども同様の状況となってしまっている。さらに言えばアートだけではなく音楽関係なども同様でライヴハウスや音楽ホールなどが閉鎖せざるを得ない状況でほとんどの音楽家が演奏活動やイベントの中止、あるいは延期となってしまっているのである。

まぁ、TVのワールド・ニュースやネットから流れてくる情報を毎日観ていても、人類の全てが初めて経験するウィルス危機なのであるから国、人種、職種を限らず厳しい状況となっているのは仕方がない。ここは世界中がひたすら「辛抱」の時期なのである。今月7日に日本政府から発出された「非常事態宣言」でも可能な限り家から出ない、他県に移動しない、他者と接しないようにすること等、自粛が要請されている。

しかし我々画家、版画家、彫刻家、陶芸家等の造形作家は「モノ作り」が仕事なのである。その手を休めるわけにはいかない。僕自身も今年の秋に個展、来年は作品展示を含めたイベント等も予定している。ただ、造形作家は普段から引き籠もりは得意なのである。と、言うよりも引き籠らなければ作品を生み出すことはできない。厳しい状況ではあるが、このことを前向きに捉え、むしろ普段よりも集中力が出せる時、徹底的に引き籠ることに覚悟を決めた。画像の鉛筆画をはじめ、これから先は毎日コロナの収束を祈りながら絵画や版画作品の創造と制作に集中することにしよう。そう考えることにしている。

※画像はトップが鉛筆画『大鴉・おおがらす』を制作しているところ。下が制作に使用しているいる各種ホルダー鉛筆。


400. 『聖なる黄金虫・スカラベ』を描く。

2020-02-23 19:05:53 | 絵画・素描
今回でこのブログを始めて400回目の記念すべき投稿となった。フェイスブックやインスタグラム等SNSも並行して投稿しているので、随分長くかかっての400回である。この超ゆっくり投稿にお付き合いいただいているブロガーのみなさんには感謝しなければいけない。このところコロナウィルスの流行で世の中はとてもハードな状況となっている。みなさんも同様な心境だろうが、僕自身も自由業を良いことになるべくならば必要以上の外出は避けたい気持ちになっている。

さて今回の投稿は現在制作中である神話・伝説シリーズの絵画作品についてである。この連作、昨年より集中的に古代エジプトに伝わる神話・伝説を題材に制作を続けている。リアルで描いているのは『聖なる黄金虫・スカラベ』である。古代より神聖甲虫は自己創造のイメージであったと言われている。エジプト人たちは、甲虫はその羊や牛などの糞の塊からひとりでに生まれてきたものと信じてきた。この甲虫にとって糞は現実には卵と幼虫を守るのに役立つにすぎないのだが。黒色の甲虫が「ケプリ」という大地からやってきたものの名のもとに崇拝の対象となった。「ケプリ」は昔から創造神アトゥムと同一視され1種の太陽神とみなされていた。甲虫(フンコロガシ)は糞で作った球を転がす。そのために「ケプリ」は天空に太陽の球を転がすものと考えられた。光と熱(暖かさ)を与える神聖甲虫は陶磁器製等のお守りとして制作され、広くエジプトの人々に用いられ、新生のシンボルとして副葬品となっている。

この甲虫はスカラベ(Scarab)と呼ばれてきた。和名をヒジリタマオシコガネと言う。エジプトやアフリカヨーロッパ南部等に生息し、有名なフランスの昆虫学者であるJ.H.ファーブルの「昆虫記」にも詳しい生態が紹介されている。学名を”スカラベウス・サクレ"と命名されている。「神聖なるコガネムシ」という意味である。

作品は今までと同様、手漉きの和紙に水彩とアクリル、顔料などの混合技法で描いている。この神話・伝説シリーズに登場する生物は姿や形に魅力を感じるということもあり鳥類や哺乳類がどうしても多くなるのだが、久々の昆虫ということもあり下絵の時点からなかなか手こずってきた。今月に入りようやく絵具での描写も60~70%になり、制作ものってきたところである。肝心な詰めはまだまだこれから、さてどんな作品になるか、いずれ個展やグループ展でお披露目することになるだろう。

※画像はトップが制作中の水彩画『聖なる黄金虫・スカラベ』の部分と僕の左手。下が向かって左から作品の全体像、使用している固形水彩絵の具、19世紀アメリカの博物学書に登場するスカラベウス・サクレの細密イラストレーション。


       


383. 絵画作品 『バステト・2019』を描く日々。

2019-09-21 18:48:08 | 絵画・素描
古の教え通りに秋彼岸が近づいてきてようやくストンと涼しくなってきた。今年の夏もとても暑かった。絵画作品や版画作品を制作するのに暑い季節が一番堪える。なにより集中力が鈍るのである。

9月に入って、夏の間に下絵を制作していた古代エジプト神話に登場する女神『バステト・Bastet』の絵画作品を制作している。バステトは古代エジプトでは猫の姿をした女神。時代によってさまざまな解釈が生まれたが、もっとも後期のものでは性格も親しみやすく穏やかなものとなり「愛情」を表すシンボルとなった。月との関わりを持ち、神話の中では月の目となった。残された造形物も多く、全身が猫の場合はとてもプロポーションの美しく凛とした姿の雌猫として彫刻などに表現されている。

僕が世界中に分布する『神話・伝説』の世界をテーマとして絵画や版画で作品制作を始めてから15年ほどたった。その中でモチーフとして度々登場する神獣の中の1つがこの『バステト』である。今までに絵画で2点、素描で1点、版画で1点を制作している。昔から洋の東西を限らず、どんな画家でも気に入った画題というものは時を変え年齢を変えて繰り返し描いていくものだと思う。それは理屈ではなく言葉にすると「相性」ということになるのだろうか。
今回も手漉きの和紙に顔料やアクリルその他の画材をいろいろと混合して描き進めている。和紙は表面がデリケートで毛羽立ちやすかったりするので描きづらい点もあるのだが、絵の具が重なって仕上がりに近づいてくると独特の雰囲気を醸し出してくれるので、最近では絵画の制作上なかなか手放せない基底材の1つになってきた。画像に載せたカットはそろそろ最後の追い込みに入ってきたところでアクリル絵の具による色の重ねや細部の書き込みに入った状態のものである。

これから秋も深まり制作にエンジンがかかってくるシーズンとなる。『バステト』に限らず古代エジプトの動物神の連作の制作を進めている。作品は秋の絵画グループ展に出品する予定である。また展覧会が近づいた頃にご案内する予定でいるのでブログをご覧いただいている方々、お楽しみに。

※画像はトップも下も制作中の絵画作品『バステト』とその机の周囲を撮影したもの。



      

359. 絵画作品 『仏法僧・ぶっぽうそう』を制作する。

2019-02-09 18:09:00 | 絵画・素描
絵画作品の新作『仏法僧・ぶっぽうそう』を制作している。例によって手漉きの和紙に顔料やアクリル絵の具を併用した手法で描いている。

今回のテーマは『仏法僧・ぶっぽうそう』。ブッポウソウはフクロウ科の夏鳥であるコノハズクの鳴き声。コノハズクはマレー半島等で越冬し、日本では九州以北の山地に夏鳥として訪れるムクドリより小さい小型のかわいいミミズクである。
夜行性で繁殖期には" キョッ、キョッ、コォー、キョッ、キョッ、コォー" と繰り返しよく通る声で鳴き、聞きなしとしては「仏法僧・ぶっぽうそう」と言われる。

この鳥に関しては古くから野鳥関係者の間で「声のブッポウソウ、姿のブッポウソウ」などと言われてきた。今でこそ声の主が判明したのでコノハズクの声だということが判っているのだが、昔の人はこの声の主をブッポウソウ科のブッポウソウだと勘違いしていたらしい。ブッポウソウ科のブッポウソウはコノハズクとは全く異なる野鳥である。
東南アジアやオーストラリア等で越冬し、日本では本州、四国、九州に夏鳥として渡来する。青緑色の美しい羽衣で嘴と足が真っ赤という、とても美しい鳥である。昼間に活動し、声は飛びながら" ゲッ、ゲッ、ゲッ、ゲッ、ゲゲゲーッ、ゲゲゲッ"などと姿の美しさからは想像できない濁ったダミ声で鳴くのである。
この両種の声と姿がどこでどう入れ違って混乱してしまったのだろうか?確かに繁殖期の夏には類似した環境に生息はしているのだが…。まるで何かのパラドックスのようでもある。

そして、この聞きなしとなっている『仏法僧・ぶっぽうそう』という言葉の語源は仏教用語に由来しているのだ。仏教には「三宝・さんぼう」という言葉がある。これは仏(ブッダ)と、法(ブッダが説いた教え)と、僧(僧侶や仏教徒が集まる場所)を示す言葉で仏教徒は出家者、在家者を問わず、これを敬わなくてはならないとされているのだ。

このコノハズクとその鳴き声、そして仏教用語をストレートに表す古の有名な句がある。

閑林に独坐す草堂の暁

三宝の声一鳥に聞く

一鳥声有り人に心有り

声心雲水俱に了々


<現代語訳>

のどかな林間の草堂に独坐して暁を迎える。

仏法僧と三宝を呼ぶ声を一羽の鳥の声に聞く。

一羽の鳥がその声を発し人に心の在り処が自覚される。

その声とその心、雲と水、相共に了々と明らかである。

「後夜聞仏法僧鳥」 沙門 空海


平安時代に和歌山県高野山に真言宗の修行道場を開いた弘法大師・空海の七言絶句である。高野山の深い山中の草堂で夜明け前まで瞑想修行をしていた空海和尚が1人明けゆく空を観ているとコノハズクの "ブッポウソーッ" のよく通る鮮やかな鳴き声がした。その声を聞いて自分の心もさわやかに晴れ渡ったという。状況がリアルに浮かび上がってくる写実的で見事な句だと思う。

作品はまさにこの句の状況のように深山の夜間に両目をキラキラと輝かせるコノハズクの姿を中心に描いている。少し幻想味を出したいと思い、星空や夜間に飛ぶ蛾の姿も描き入れてみた。今月に入ってようやく画面全体に絵の具ものってきたので、後は細部をどこまで描き詰められるかという段階に入った。

画像はトップが制作中の『仏法僧・ぶっぽうそう』の部分。下が同じく作品の部分、使用中の固形水彩絵の具、水彩用とアクリル用の筆。



















350. 絵画作品『文鰩魚・ぶんようぎょ』を制作する。

2018-11-24 18:19:41 | 絵画・素描
前回の絵画・素描の投稿作品『夜の天使』に引き続き今度は中国の伝説の怪魚『文鰩魚・ぶんようぎょ』の絵画作品を制作している。西洋のローマ辺りから中国大陸に想像力によって、トリップしたというわけである。なかなか忙しい。

中国の古から伝わる神話や伝説の中にはさまざまな怪魚、巨魚が登場する。その中で今回の画題としている『文鰩魚』は前漢代初期の古文書『山海経』の中の「西山経」・「西次三経」の中に登場する有翼の怪魚である。その書物の中に「泰器の山。観水がここから流れて流沙に注ぐ。この川に文鰩魚が多い。形が鯉に似ていて、体が魚で鳥の翼をもち、青黒い斑点があって、頭が白く口が赤い。いつも西海の中を泳ぎ、東海へ出かけるには夜のうちに飛ぶ。鳴き声が「鸞鶏・らんけい」に似ている。味は酸味と甘味があり、これを食べれば狂気が治る。この魚が姿を現わすと天下は豊作となる」と書かれている。

つまり、吉兆のしるしとなる怪魚というわけである。それにしても、あたかも食べたことがある様に詳しい味までもが書かれているのは驚きである。

そういえば、16世紀の北ヨーロッパ・フランドル地方の画家、ペーテル・ブリューゲルの絵画や銅版画の中にも翼を持った怪魚や空を飛ぶ怪魚が脇役のキャラクターとして登場する。ここでもシルクロード文化圏の長い歴史の交易の中で「有翼の怪魚」のイメージが伝搬されて行ったのだろうか。どちらが先祖かは解らないが、きっとそうに違いない。いや、案外イメージの原型はグリフォンと麒麟の時のようにペルシャ辺りに存在するのかも知れない。

昨日はローマ、今日は長安(西安)と想像の時間と空間の中をトリップし、次作はいったい、どこの国へと旅立とうか。もう少し『文鰩魚』の完成度があがって来ないとハッキリとは行く先が見えてこない。


画像はトップが制作途中の絵画作品『文鰩魚・ぶんようぎょ』の部分図。下が向かって左から同じく部分図(尾ひれ)、中国の古文書(和訳本)に登場する文鰩魚の挿絵、色彩を深めるために制作に使用している固形水彩絵の具、水彩画筆。



         




348. 絵画作品『夜の天使』の制作を再開する。 

2018-11-10 17:47:23 | 絵画・素描
先月の12日、新作絵画個展が終了してからそろそろ一か月が経とうとしている。

数年間描き貯めた作品を個展で一挙に発表した後というのが、なかなか元のペースに戻れない。一度、気持ちが高揚し、心が気球のように空高く上り詰めてしまうとその高度から下りてくるのに時間がかかるのである。

気分転換に人に会ったり、映画を観たり、音楽を聴いたり、自然観察をしたり…と、いろいろ、あの手この手で気持ちの切り替えを図るのだが簡単には行かない。何か足が地面に着いていないようなフワフワとした宙ぶらりんの状態が続くのが常なのである。そしてこれもいつも行き着くところは「そうだ、新作を描こう」ということになるのである。エカキの「業」というのであろうか結局は絵を描き始めないと元の大地に不時着できないのである。

と、いうわけで先月の下旬頃より、ようやく新作絵画の制作に取りかかったのである。「まずはウォーミングアップから」ということで、今回の個展に出品しなかった未完成作品を仕上げることにした。以前ブログにも制作過程をご紹介したが、7~8割描き進めていた『夜の天使』と題した西洋の天使(エンジェル)をモチーフとした作品に加筆を始めた。
不思議なもので画面に向かって絵筆を動かし始めるとそれまでフワフワと浮ついていた心が徐々に肝が据わるというのか、落ち着いてくるのである。

聖書によると「天使(エンジェル)は、この世界が生まれる前から存在していて空中に満ち溢れている」と説かれている。これはどこかで読んだような気がする。そうだ大乗仏教の仏典に登場する観音菩薩である。「観音信仰」で有名な観音菩薩は浄土に昇れる仏格なのだが、敢えて地上に留まり、いろいろな人物に変化しながら衆生救済に走り回っていると説かれているのだ。そしてその数は虚空に遍満しているとも言われている。ヨーロッパも中東、インド、中国もシルクロード文化圏の点と線で繋がっている。ひょっとして天使と観音菩薩はルーツを辿ると同じ聖者だったのかもしれない…と、妄想を膨らませてみた。

秋の深まる中、ようやく僕の絵画制作が再開された。次のゴールはまだまだ先が見えない。


画像はトップが制作中の『夜の天使』の部分。下が向かって左から制作中の手、固形水彩絵の具、筆、イタリア・ルネサンスのアンジェリコとベッリーニ作「天使」の絵画作品部分図。


            








343. 新作絵画個展の制作もラスト・スパートとなった。

2018-09-08 20:21:17 | 絵画・素描
今月の29日から東京銀座の青木画廊で始まる絵画の新作個展の制作が大詰めとなってきた。

この夏は猛暑と言うこともあったが、秋の新作個展が控えていたのでほとんど工房に籠って絵画制作に集中していた。いや、まだ集中している。今回のテーマは『聖獣・幻鳥伝説』と題して東西世界に分布する神話や伝説の中に登場する動物や鳥をモチーフとした連作となる。例えば具体的にはスフィンクスやフェニックス、東洋ならば龍、麒麟、獅子といった空想上の生物が主人公である。画材としては手漉きの紙に水彩、アクリルその他の混合技法で描いている。使用した紙は前回の個展に引き続きネパールの手漉き紙とオーダーして漉いてもらった能登手漉き和紙の2種類。手漉きの紙はそれぞれクセがあり表現にも大きく関係してくる。

個展を観にきていただく人たちから「絵画と版画の両方を制作していて何に一番異なるものを感じていますか?」という内容の質問をよく受ける。作品を制作する、モノを作るという姿勢としてはどちらも変りはないのだが、しいて言えば「絵画は手離れが悪い」ということが言える。
版画は下絵を描いて、版を彫って、摺るというプロセスがはっきりとしていてあるところまで制作が進むと、「このあたりが潮時だな」というあきらめのようなものがつく。ところが絵画は描けばいくらでも、どこまでも描きたして行けるような性格があって、いつまでも抱えてしまうということがあるのだ。なので「絵画は手離れが悪い」のである。良い解釈をすれば「納得がいくまでとことん描いていられる」ということになろうか。

出品予定作品は全部で22点。9/20にはオーダー・メイドの額縁屋さんに作品を受け渡さなければならない。さすがにこの時期に来てまったく手を付けていないという作品はないが、あと4~5点の詰めがあまい。この暑さで描画のペースが落ちているということもあるが、もう少し気張らなければならない。

個展が近づくと必ずうなされる夢がある。それは個展の搬入日に仕上がった作品数が足らずに壁が一面ポッカリと空いてしまっているというものだ。今回も今月に入ってから3回ほど見た。画家の「業」と言えるのかも知れない。この数日、ようやく暑さも緩んできた感じがする。残された時間はマラソンで言えばラスト・スパートに入った。さぁ、悔いが残らないように納得が行くまで描き込んで行こう。

※展覧会の詳細に関しては開催日が近づいてから詳しくブログに投稿します。


画像はトップが制作中の水彩画と僕の左手。下が向かって左から描画に使用している固形不透明水彩絵の具、今回出品する作品の部分図3点。



         

331. 絵画作品『獅子図』を制作する日々。

2018-05-08 19:19:30 | 絵画・素描
3月から今秋の聖獣・幻獣をテーマとした絵画個展に向け、時間の取れる限り、日々絵画作品の制作をしている。現在制作しているのは東西世界の神話や伝説に登場する『獅子・しし』である。

古代よりシルクロード文化圏の西アジア・シュメール王国やアッシリアなどでは獅子(=ライオン)は、百獣の王、王者の証し、大地母神を背に乗せて疾駆する随獣、侵入者を許さない王城の守護獣、魔除け、真夏の季節のシンボルなどであった。そのダイナミック動きや生命力の強さなど獅子が担ったさまざまな性格、姿をイメージの源としてスフィンクスやグリフォンなどの多種多様な聖獣、幻獣が生み出されて行った。その原型的なイメージがライオンのいないベトナム(獅子頭)、中国(カイチ)、日本(狛犬、唐獅子)などの東アジア地域にも交易と共に伝承され変容し続けてきた。

今回の僕の絵画作品『獅子図』では、シルクロードの最終地点である日本で形成され古典絵画や彫刻作品となった獅子のイメージに西アジアに観られる有翼のライオンのイメージを重ねて創作してみた。全体のようすや動きは葛飾北斎の「北斎漫画」の中の獅子を参考としつつさまざまなシルクロードのライオン、獅子たちを合体させていったのである。

それから画材は前回の絵画個展同様、手漉きの紙を用いている。前回はネパールの手漉き紙だったのだが、今回は能登半島の輪島の紙工房に特注で漉いてもらった和紙を使用している。また東洋的なイメージが強くなるので描画材には墨や胡粉、金泥などもふんだんに用いている(画像参照)。

この2~3カ月の間、国内外で軍事対立や政治不信などのニュースが続き、毎日、工房のつけっぱなしのラジオから情報が流れてきていた。獅子の顔を描きながら気が付いたのだが、徐々に「憤怒相・ふんぬそう」となってきているのである。無意識のうちに人間の邪悪な欲望世界に対する怒りの顔になってきたのである。西域に広く伝わった幻獣なので、その顔が単なる怒りを超えてアジア特有の「慈悲」の表情となってはこないだろうかと描き込みに想いがこもってくるのである。

東京での絵画の新作個展は9月末から。これから夏までの間、幻獣たちを集中して描く日々が続きそうである。完成作品の全体像は個展会場でご覧いただきたい。


画像はトップが制作中の『獅子図』部分。下が向かって左から作品の中に脇役として登場する鳳凰の顔、今回制作に使用している墨などの画材、シルクロード文化圏に伝承されるさまざまな獅子たち3カット(資料から)。



            






262. ペン・ドローイングを制作する日々。

2016-10-07 19:18:11 | 絵画・素描

先月より11月のグループ展に出品する作品としてペン・ドローイングを集中して描いている。

ドローイング作品を個展やグループ展の会場で発表し始めてから18年ぐらいになる。初めの頃はいろいろな画材を使用し自己の表現の可能性を模索していた。鉛筆、色鉛筆、木炭、ペンとインク、水彩、アクリルなど、画材の種類を上げればきりがない。そして単一で制作すると言うよりは複数の素材の併用、混合であり正確には「紙にミクストメディア」とデータには表記するのかも知れない。当時、個展会場にいらした美術家の大先輩から、ある忠告めいた助言をいただいたことがあった。「君のこの作品はドローイングとは言わないね。英語のドローイングというのは、『線を引く』とか『線描』という意味があるからね。これは水彩画の1種だね」と。この時は特に気にせず「そうですか…」と答えていたが、その後も何故か脳裏に残る言葉になった。

その後、水彩やアクリル、テンペラや油彩などでの絵画作品も発表するようになると、時々この言葉が浮かび上がってきた。「線描」となると画材は紙素材に鉛筆やコンテ、そして今回のタイトルのペン・ドローイングということになるだろう。実は純粋にペンによる表現というものを避けてきたところがある。それは今まで絵画と並行して制作を続けてきた銅版画の表現とバッティングするからである。銅版画の中でもエッチングやドライポイント、エングレーヴィングなどの線表現はペン・ドローイングと酷似している。と、いうよりも歴史的にみればペンの方が歴史が古いので、それをどう版画の印刷表現で表すかということで技法が生まれたのである。どこで違いを見せるか、それが問題として引っかかっていた。ところが最近、絵画作品に対するドローイング表現として再チャレンジしてみたくなった。自称「チャレンジャー」を称してもいるので。

ペン・ドローイングをアクリルなどと併用し、始めた頃は伝統的な木軸に金属のペン先をつけ、インク壺にペン先をつけてから描く方法をとっていた。この頃、イギリス製の「ジロット」というメーカーからとても上質なペン先が出ていて、東京の画材店に行っては購入していた。ペン先が柔軟で表情のある線が描けるのと、ペン先の種類が用途によってかなり多いのが魅力だった。ところが5-6年前に製造中止となってしまい、愛用者としてとても残念な思いをした。

最近ではメーカーによってネーミングが異なるが「ライナー・ペン」「フェルト・ペン」と言われるロットリングに近い良いペンの種類が充実してきている。これはペン先にフェルトを固めた素材などを使用し太さも0・03mmから2mmぐらいまで出ていて一番太いものはペン先が筆状になったものまであり、かなり変化のある線が描ける。インクは油性、水性だが乾くと耐水性など他の画材との愛称も良い。顔料を用いているので描画後の耐光性も保障されているものが多い。最近、SNSを通じて海外のアーティストと交流を持つようになったが、具象的な表現をとる画家やイラストレーターの多くがこの種のペンを用いているようだ。このことにも刺激されて新作で使用し始めている。

秋の気配が深まる季節。パネルにピンと水張りした極細の肌合いを持つ水彩用紙にライナー・ペンを縦横無尽に走らせながら集中して描写する日々を送っている。ペンの仕事が一段落したら水彩絵の具により、絵に奥行きと深さを持たせていく。しばらくは早朝から緊張した時間が続きそうだ。作品の全体像は、ぜひグループ展の会場でご覧いただきたい。画像はトップが制作中のペン・ドローイング。下がペン・ドローイング作品のディテール2カット。以前、使用していた木軸の金属ペンの先、現在、使用している各種ライナー・ペン。

 

         

 

 


242. 聖獣・麒麟(キリン)を描く日々。

2016-04-22 06:36:14 | 絵画・素描

先月より制作途中でしばらくの間、放っておいた「麒麟(キリン)」を画題とした絵画作品の描画を再開した。

麒麟は古代中国で生まれた伝説上の動物で儒教の書『礼記(らいき)』の礼運篇では龍・鳳凰・亀と並べ『四霊』と謂う古より東洋を代表する聖獣である。絵を描くにあたって麒麟にまつわる伝承をいろりろと読んでみた。ここで全てを紹介することはできないが、いくつか興味を魅かれる内容に出会った。シルクロードを広域に俯瞰して麒麟という聖獣が誕生した源流を辿っていくと西域、中央アジアにたどり着くという。どうもこの周辺に伝わる「グリフォス」という聖獣が起源なのではないかという説がある。このグリフォスが西に伝搬していってギリシャ、エトルリアなど今のヨーロッパ地域までたどり着くと、あの現代の映画「ハリー・ポッター・シリーズ」で一躍人気者になった「グリフォン」に変容し、そして逆に東にルートをとってインド、チベット、モンゴルあたりを通過して中国に辿りついたものが麒麟に変容したのではないかという説があるのだ。このあたり、おもしろいので今後もさらに調べ深めていきたい。

グリフォスは百獣の王ライオンと鳥類の王、鷲とが合体した勇ましい聖獣として表現される。イランのスーサ宮殿の王座を守る動物として、古代の建築レリーフとして制作されているものが有名である。いっぽう麒麟は中国で平和な世を表し吉祥のシンボルとして進化していった。そして後世、仁獣とされ他者に危害を加えることのないよう先端に柔らかい肉がかぶさった角、地上の虫や草を踏みつけないような蹄を持つと言われた。さらに地上の生きものを踏みつけて殺傷しないように地面スレスレに身体を浮かべ高速で移動するのだという。この性質から「慈悲の動物」とも言われている。この話をみつけた時に以前にテレビのドキュメンタリー番組で観たチベット僧の映像を思い出した。チベットの僧侶は野外に托鉢修行に出ると地面の植物や小動物を踏まないようにするためこれを避けながら独特な歩き方をしていた。伝統的な仏教の「不殺生戒」という戒律の一つを守ってのことだが、これはまさに麒麟の慈悲精神そのものである。

麒麟は日本では奈良時代に唐より伝承され現在でも寺院や神社などの木彫レリーフ、彫刻、鬼瓦、障壁画などに観ることができる。学生時代から麒麟を始め聖獣に興味を持ち続けていた僕は古寺巡礼の旅に出ると寺院の隅々まで探して写真におさめていた。それらの中から麒麟を改めて観てみると龍によく似てとても厳つい表情をしている。だが、ハートの中身は慈悲に満たされた優しい聖獣なのである。この外面の恐ろしくエネルギッシュな姿の中に秘められた「優しさ」をどのように描いたら、うまく表現できるだろうか。作品はパネルに張った日本画用の雲肌和紙に墨、顔料、アクリルなどの混合手法で描いているのだが、まだまだ下塗り程度の段階である。質感、色彩共、いくつものプロセスを通らないと完成しない。

これから、梅雨の季節にかけて悪戦苦闘が続きそうだ。しそして麒麟の精神に見習い、むやみに小さな仲間たちを傷つけないように生活し、制作に精進していきたいと思っている。作品は来年予定の新作絵画個展に発表する予定です。全体像はぜひ会場でご高覧ください。

画像はトップが工房で制作中の僕。向かって左から同じく制作中画像2点、制作途中の絵画作品「麒麟図」の部分、スーサ宮殿の「グリフォス」のレリーフ部分(コピー)、日本の木彫レリーフの麒麟(コピー)。

 

                   


229. 2016年描き初め・水彩画『ワタリガラス』の制作

2016-01-16 21:12:34 | 絵画・素描

今年の「描き初め・かきぞめ」は手漉き和紙に水彩画で『ワタリガラス』を描いている。ワタリガラスはユーラシア大陸、アフリカ北部、北アメリカ、グリーンランドと北半球に広く分布するスズメ目カラス科の大形のカラスである。日本には冬鳥として主に北海道東部に少数が渡来する。特徴としては全身が黒く、青の光沢があり、嘴は太く長い。喉の細長い羽を立てることがあり、鳴き声はカポン、カポンなどと聞こえるという。

英語でRaven(レイブン)というが、19世紀アメリカの作家、エドガー・アラン・ポーが1845年に発表した物語詩『大鴉・オオガラス・The Raven』はその音楽性、様式化された言葉、幻想的な雰囲気で名高い。心が乱れる主人公の元に、人間の言葉を話す大鴉が謎めいた訪問をし、主人公はジワジワと狂気に陥っていくというミステリアスな筋書きである。ポーはこの1作で瞬く間に文学界のスターとなったという記念すべき作品でもある。挿画としてはジョン・テニエルやギュスターブ・モローの手によるものが有名である。

カラスと言えばまず、墓場や死臭がする場所に数多く群れ集まる不吉な鳥というイメージがつきものだが神話・伝説の世界では北欧~ユーラシア大陸各地~日本~北米(ネイティブ・アメリカン)などの広い地域のものに数多く登場し、その多くが神の使いや神聖な鳥、吉兆の鳥として伝承されている。日本神話に登場する3本脚の『八咫烏・ヤタガラス』もワタリガラスではないかとする一説もある。イギリスではチャールズ2世の勅命で、6羽のワタリガラスがロンドン塔で飼育されており、「ロンドン塔からワタリガラスがいなくなるとイギリスは滅びる」という言い伝えがある。最近では映画でお馴染みの「ハリー・ポッター・シリーズ」にRavenという名のついた登場人物や魔法学校の寮が登場している。

いずれにしてもワタリガラスはカラスはカラスでも高貴で神聖な存在、そして人間を魔の手から守ってくれる、ありがたい正義の味方の鳥なのである。今回の水彩画ではこのイメージを表現しようと横顔をアップに構成し力強い姿として描写し、背景には神聖さを表す金泥を塗り込んでみた。絵のサイズは小さいがはたしてワタリガラスの神聖な姿が表現できたであろうか。絵の全体は個展の会場でご覧いただきたい。画像はトップが制作中の水彩画『ワタリガラス』、下が向かって左から顔の部分のアップと今回使用した画材(アクリル、胡粉など)。

 

   

 

 

 


220. 水彩画『白頭鷲・ハクトウワシ』を描く

2015-12-09 20:31:14 | 絵画・素描

先月末から今月初めにかけ、水彩画の小品『白頭鷲・ハクトウワシ』を制作した。ハクトウワシは英語名を「Bald eagle(頭の白いワシ)」と言い、1782年にアメリカ合衆国の国鳥に制定された野生鳥類である。「世界一クールな国鳥」などとも言われている。翼開長が2m強というのだから日本のワシで言えばイヌワシやオジロワシぐらいということだろうか。そして、僕の憧れの鳥でもある。

北アメリカの先住民族であるネイティブアメリカンの人々は合衆国建国のはるか昔から、このワシを聖なる存在、神(グレート・スピリット)の使いとして崇め続けてきた。大空を悠然と高く飛翔する大きな姿が神の一番近くへ行くことができると尊ばれたのだ。その羽は西部劇で登場するような彼らの正装や儀式に用いられた。

アイヌの人々も、ごく近縁種のオジロワシを「オンネウ=老大なもの」と呼び尊んだ。アラスカのネイティブとアイヌの交流を伝える伝説もあるようだ。確かにネイティブの人々の大自然や神々を讃えた言葉にはアニミズムや自然崇拝という枠組みではくくることができない我々日本人にも共通なフィーリングを感じ取ることができる。その中の僕の好きな言葉を一つあげてみよう。

「朝起きたら、太陽の光と、おまえの命と、おまえの力とに感謝することだ。どうして感謝するのか、その理由がわからないとしたら、それは、お前自身の中に、罪がとぐろを巻いている証拠だ。」 シャーニー族の首長の言葉

はるか昔、ユーラシア大陸からベーリング海峡を渡った、我々と同じモンゴロイドたち。その悠久の時を超えて、魂を宇宙や自然界のすべてのものの中に見る血脈を感じることができる。

水彩画は今回も手漉きの和紙に描いた。トーテム・ポールの屹立する夜の原野を背景にハクトウワシを肖像画風の構図で描き、頭と胸にネイティブの装飾の一部を施すことで擬人化してしまった。この鳥の持つ神聖な雰囲気が表現できただろうか。全体像は個展で観てください。

画像はトップが制作途中の水彩画。下が向って左から水彩画の部分と今回使用した絵の具。

 

   


205.水彩画『烏天狗・カラステング』を描く。

2015-08-26 20:23:44 | 絵画・素描

今月は酷暑の中、水彩画で『カラステング』を制作した。神話・伝説をテーマとしたこのシリーズとしては珍しく妖怪に属するキャラクターである。日本の妖怪の中でもカラステングはとても人気者である。鋭い嘴を持つ顔面、背中には翼が生え、修験道の行者風コスチュームで恰好よくきめている。全体にシャープな印象を持つため絵になり易いのか昔話や絵本、最近ではアニメやゲームなどさまざまな分野に登場する。

そのルーツを辿ると、お隣の中国の古代神話では音を発する「流星」であり、インドでは神話に登場しインドネシア航空のシンボルマークともなっている怪鳥「ガルダ」、仏教の世界では守護神「迦楼羅天(かるらてん)」の姿が重なり、日本に伝わってカラステングとなったとも言われている。

日本の古典絵画や浮世絵版画にも数多く登場するが、その舞台はやはり深くて暗い闇夜である。そしてそのシテュエーションがよく似合う。今回の作品でもカラステングが潜在的に持っているそのダークなイメージを損なわないように注意しながら制作を進めていった。円窓構図をとり、深く青黒い闇の中を音もなく飛翔している2羽のカラステングを構成した。背景にはいつも登場する幻想的なエレメントとしての浮遊する球体や発光体と合わせて「和」のイメージを強調するために狐火を連想する「炎」も入れてみた。それから最近、細部へのこだわりが強くなってきて使用する筆がどんどん細くなっている。はたしてどんな作品に仕上がったのか、全体像は画廊での個展会場でご高覧ください。画像はトップが制作中の水彩画。下が向かって左から部分のアップ、使用した細密描写用の筆、仕事場の壁にかかるカラステングの面(福島県で購入したもの)。