長島充-工房通信-THE STUDIO DIARY OF Mitsuru NAGASHIMA

画家・版画家、長島充のブログです。日々の創作活動や工房周辺でのできごとなどを中心に更新していきます。

434. ●シリーズ『リアリズムとしての野生生物画』第5回 - ピサネロの鳥類デッサン -

2021-06-26 19:24:01 | ワイルドライフアート
西洋絵画における写実的な野生生物の表現を追うシリーズ『リアリズムとしての野生生物画』の第5回の投稿である。第4回に引き続き15世紀イタリアで活躍した国際ゴシック様式を代表する画家の1人、ピサネロ(Pisanello 1395年頃-1455年頃 / 日本語訳ではピサネッロとも言う)の野性生物を描いた絵画作品に焦点を当てご紹介する。

前回は主に「狩り」を主題とした絵画作品の中に登場する哺乳類を描いた絵画、素描を中心にご紹介したが、今回は、やはり絵画作品の習作的なものとなるのだが、鳥類を描いた素描作品をご紹介する。前回にも触れたがピサネロだけではなくこの時代、ルネサンス期の画家というものは絵画作品を描く下準備としての素描をとても多く描く。それは建築に例えるとラフな設計図やマケット(模型)の段階に当たるだろうか?今回ご紹介した画像もその多くが「狩り」等を主題とた絵画作品のためのものだが、写真も博物的な資料も少なく乏しい時代に、実に細密に、正確に描き込まれているのである。

鳥類を長い年月観察して来た僕としては、「これはタゲリ、こちらはゴシキヒワ、ヤツガシラ、カワセミ、ミコアイサ…」と、その1つ1つの種類も言い当てられるほど正確な描写なのである。画材としては紙(羊皮紙?)にチョーク、ペンとインク、水彩絵の具等が多く用いられている。まぁ、科学的な視点が進んだ今日的な博物画や図鑑イラストレーションの立場から見れば稚拙な部分も見られるとは思うが、自然科学がまだそれほど発達していなかった約600年前の時代ということを踏まえると、画家の鋭い観察眼と大変な労力を持って描かれたものであることが理解できるのである。こうして野生生物画という切り口からだけ見てもドイツやイタリアのルネサンス時代というものが、その後、現代まで脈々と続くことになる写実絵画表現(リアリズム)の原点として位置付けられることが創造できるのである。その中でもドイツ・ルネサンスのアルブレヒト。デューラーとこのピサネロの野生生物を描いた作品が特別重要なものとなっている。

※ 画像はトップがアリスイとゴシキヒワの素描。下が向かって左から様々な種類の野生鳥類の素描とタカ狩りの素描。


                                

 



433. ●シリーズ『リアリズムとしての野生生物画』第4回 - ピサネロの動物画 -

2021-06-19 18:32:38 | ワイルドライフアート
コロナ禍の中、連載投稿を続ける西洋絵画における写実的な野生生物の表現を追う『リアリズムとしての野生生物画』の第4回目は前回までのドイツ・ルネサンスからイタリア・ルネサンスに舞台を移し、15世紀にイタリアで活躍した国際ゴシック様式を代表する画家の1人であるピサネロ(Pisnello 1395年頃 - 1455年頃 / 日本語訳ではピサネッロとも言う)の野生生物を描いた絵画作品、素描作品に焦点を当ててご紹介していく。

15世紀イタリアのルネサンス絵画の主題はその多くがキリスト教の物語を主題とする内容であり、やはり画題としては人間が中心となるものがほとんである。野生生物は出て来ないのだろうか?と探して行くが、馬、牛、羊等の家畜やあるいは物語の中に登場するドラゴンやグリフォンなどの幻獣が目につくばかりで中々見つからないのが常である。

だが、例外があった。それは「狩り」を主題とした絵画の中に登場するのである。この時代の絵画作品の主題の中でも特例と言えるかもしれない。ピサネロ作の狩りの絵の代表作は『聖エウスタキウスの幻視』(ロンドン・ナショナル・ギャラリー収蔵)と題された小さなサイズの板絵(板にテンペラ絵具で描いた古典的絵画技法)である。この絵はその完璧な技巧のため長い年月、細密表現を得意とするドイツ・ルネサンスの画家、アルブレヒト・デューラーの作とされていたのだと言われている。この板絵は動物や鳥たちを真横向き、あるいは固定したポーズで、ミニアチュール(極小な絵画)のような繊細さで表現され描かれている。そしてその主題となっている、ある聖人の幻視は、高貴な動物(馬、狩猟犬、鹿、熊、野兎など)と、あらゆる生物の中で最も高貴な存在とする「狩猟する宮廷人」を描くための口実ではにかという見解もある。

ピサネロはこの作品を描くにあたって、かなり綿密な計画のもとに各動物たちの素描、下図を数多く残している。手法として、その多くは紙(羊皮紙?)にチョーク、ペンとインク、水彩画、あるいはペンとインクと水彩の混合によって丁寧かつ正確に描かれている。僕などは、むしろその素描の方に画家の野生生物を捉えるダイレクトで鋭い観察眼を感じてしまうのである。こうした素描を見ていると、ルネサンス絵画の先人、ジョットによる「自然を正面からそれらしく忠実に探究する」という考え方や、デューラーによる「神の創造された自然や動物をあるがままに描くことこそが神の意にかなう」という思想とも言える考え方が、ここにも確実に継承されているのだと理解できるのである。そしてこのことが「西洋写実絵画・リアリズム」の原点なのだと強く思うのである。

※画像はトップが絵画作品『聖エウスタキウスの幻視(部分図)』。下が向かって左からその細部と制作の準備段階で描かれた動物たちの素描、ピサネロの他の絵画作品に登場するライオンやオオトカゲ、ピサネロが得意とした人物(女性像)のプロフィールなど。


                



432.●シリーズ『リアリズムとしての野生生物画』第3回 - A・デューラーの水彩画「ブルー・ローラーの翼」と「セイウチの頭部」 - 

2021-06-13 16:42:48 | ワイルドライフアート
コロナ禍の中にスタートした連載投稿『リアリズムとしての野生生物画』の第3回目は前回に引き続きドイツ・ルネサンスの画家、アルブレヒト・デューラーの水彩画である。今回は鳥類と哺乳類、2点の作品をご紹介する。

イタリア・ルネサンスの画家、ジョットにより提唱された「自然を正面から、それらしく忠実に探究する」という考え方は後年のイタリアの画家たちに受け継がれていった。そしてドイツのデューラーが「神の創造された自然や生物をあるがままに絵画に描くことこそが神の意志にかなうものである」という考え方に発展していった。今回ご紹介する2点の水彩画作品もその思考を見事に表したものとなっている。以下、2点の解説となる。

●1点目:『Wings of a Blue Roller / ブルー・ローラーの翼』 羊皮紙に透明水彩と不透明水彩 19.5 × 20㎝ 1512年制作 オーストリア・ウィーン市 アルベルティーナ版画・素描美術館収蔵

野鳥の翼の片方を細密な筆使いと水彩絵の具の美しい色彩で描いた作品である。ブルー・ローラーとはヨーロッパと北アフリカ・西アジアに広範囲に分布している美しい羽衣を持つローラー属の野鳥である。ヨーロッパやイギリスの野鳥図鑑には図版と共に掲載されているが、現在は生息数が減少し国際的な絶滅危惧種に指定されている。デューラーは繊細な肌を持つ羊皮紙を基底材に使用し正確なな色彩の再現性と細い筆による繊細な線描写により見事に表現し描ききっている。
話が作品から逸れるが、僕はこの作品を40年ほど前に当時、最良の印刷と言われた大手出版社の画集で初めて見たのだが、そのタイトルがなんと『ルリカケスの翼』となっていた。ルリカケスはご存じのように日本の奄美大島周辺に生息するカラス科の固有種であり、もちろんヨーロッパには生息しない。おそらく美術書の編集者がよく調べずに図鑑の絵合わせ程度の知識で掲載してしまったのだろう。このあたりにも我が国の西洋の「野生生物画」への理解の浅さというものが見え隠れしてしまうのである。

●2点目:『Head of a Walrus / セイウチの頭部』羊皮紙の上にペン、インクと茶色のインクによう描写 21.1 × 31.2㎝ 1521年制作 イギリス・ロンドン市 大英博物館収蔵

海棲哺乳類の1種である大きな体と長い牙を特徴とするセイウチの頭部を大きく捉えたペン画である。セイウチはバレンツ海、アイスランド、スバーバル諸島等の北極海とその沿岸域に生息するが、その立派で良質の牙が西洋ルネサンス期にはキリスト教教会の建築物の装飾や細かい彫刻を施した工芸品、チェスの駒等に向くことから重宝がられ重要な産物として北ヨーロッパを中心に取引がされていた。このデューラーによる小さいが正確に描写されたペン画からは作品の素晴らしさと共に、その商業的な背景や当時の時代性を読み解いていくことができる内容ともなっているのだ。
  
今回、ご紹介した2点は画家で版画家でもあるデューラーの油彩画や銅版画の習作的な小サイズの素描にあたるものだが、500年以上前に科学的、芸術的にもたいへん優れた「野生生物画」が描かれていたことに改めて驚嘆してしまうのである。

※ 画像はトップが水彩画『ブルー・ローラーの翼』。下が向かって左からその部分図と素描、『セイウチの頭部』とその部分図、デユーラー60歳の自画像(油彩画の部分図)。