長島充-工房通信-THE STUDIO DIARY OF Mitsuru NAGASHIMA

画家・版画家、長島充のブログです。日々の創作活動や工房周辺でのできごとなどを中心に更新していきます。

269.ギター曲に浸る秋・その二。 Andres SEGOVIA

2016-11-29 21:26:00 | 音楽・BGM
タイトルに「秋」と付けたが、先週、首都圏では記録的な「11月の初雪」が降ってしまい、寒さが増してきている中、秋というよりはもう初冬である。今回のブログのテーマはクラシックのギター曲の第二弾である。

一回目にはナルシソ・イエペスについて投稿したが、今回はクラシックギター界の巨匠中の巨匠、『現代クラシック・ギター奏法の父』と讃えられている、アンドレス・セゴビア Andres SEGOVIA (1893-1987)をご紹介する。

スペインのハエン県リナーレスで生まれたセゴビアは4歳という若さでギターという楽器に触れ、16歳の時に早くもスペイン国内で最初の演奏会を開いている。それから数年後、プロとしてマドリッドで演奏会を行いデビューしている。だが、セゴビアが演奏活動を始めたこの時代のクラシック界ではギターそのものが「ただの大衆音楽の楽器」、「コンサート・ホールには不似合な田舎の楽器」、「ピアノやヴァイオリンには、はるかに劣る楽器」などという烙印を押され、その地位はとても低いものだった。

それでも、この楽器の持つ豊かな可能性を強く信じて止まない青年セゴビアは努力と研鑚を怠らず、同時代のギター演奏者より鋭い響きを持たせるように、初めて指の爪で弦をはじく演奏技巧を開発したり、音響効果を高めるため楽器製作者と共同で、より良い木材とナイロン弦を利用し、ギターの形状を変更するなど、より多くの聴衆の前で演奏できる楽器となるように改善に次ぐ改善を重ねていった。

当時の多くのクラシック界の傑出した音楽家や関係者たちが「ギターはクラシック音楽の演奏には適さず使えない」という理由からセゴビアのギターはヨーロッパのクラシック界からは認められないだろうと信じていた。しかし、長い努力の結果、彼は卓越した演奏技巧と個性的なタッチを獲得したことで、多くのヨーロッパのクラシック・ファンを驚嘆させ、末永く愛されることとなった。しかし、わからないものだと思う。こういうことって、音楽に限らず芸術の様々なジャンルにあることだ。つまり、現代ギター界のパイオニアとなったということである。このジャンルのその後の演奏者たちの「模範的な存在」となったという点では、例えば、チェロのパブロ・カザルスやピアノのアルトゥール・ルービンシュタインなどとも共通する部分がある。

さて、アルバムだが、レパートリーの広いこのギタリストの全貌を聴きたいというのであれば、ドイツ・グラモフォンから没後15年の記念2枚組のCDとして出した「THE ART OF SEGOVIA・セゴビアの芸術」がお勧めである。タレルガ、ソル、ヴィラ・ロボス、ダウランド、J.S.バッハ、ロドリーゴなどなど、ギター曲を代表するものが勢揃いした贅沢なメニューとなっている。同じグラモフォンの「J.S.バッハ作品集(セゴビア編曲)」も素晴らしい。ギターで定番のリュート曲だけではなく、チェロやヴァイオリンのために書かれた無伴奏ソナタを編曲したもので聴きごたえ十分である。個人的にはfon music から出されている「アンドレス・セゴビア愛奏曲集Ⅰ・Ⅱ」が、とても気に入っている。巨匠が御年80歳の時にマドリードで演奏されたもので、年齢のせいということもあるかもしれないが、晩秋の季節に相応しい、しっとりとした、いぶし銀のギターを聴くことができる。

最後に、この「愛奏曲集」のジャケットの中でセゴビア自身が語った言葉をご紹介しよう。

『このレコードに含まれるささやかなレパートリーは、私が演奏会で正規のプログラムを終えたのち、アンコールを求める聴衆の方々にお礼をするためにいつも選ぶものです。こうした曲を5つか6つ弾いた後、私はステージの縁まで出て行き、人々の温かい歓呼に向かって謝辞をのべます。それからお別れにこう言うのです- ”私の友達の皆さん、私は80歳でもまだ若く、丈夫です。でも、ごらんのとおりデリケートで女性的な腰つきをしたこのギターの方が、もうずいぶん疲れたと言っています…。”と』

みなさんも、晩秋の一時、人間味溢れるセゴビアの美しいギターの響きに耳を傾けてみてはいかがだろうか。

画像はトップがセゴビアのポートレート。下が向かって左からポートレート2枚とCDの数々。


         


268.木口木版画の蔵書票を制作する日々。

2016-11-21 18:52:59 | 版画
10月を過ぎ、11月に入ると都会の街並みにキラキラとクリスマスの気配がやってくる。慌ただしい師走はもうそこまで来ている。「今年も、もう一年経ってしまうんだなぁ…年々、時間が経つのが早く感じてくる」と、仕事机で、手のひらをしみじみ眺めながら、毎年この時期のセレモニーとして同じ呟きを繰り返すのだった。

今月に入って、昨年からオーダーされていた「蔵書票」を木口木版画で彫っている。ひさびさである。今回の「票主・ひょうしゅ」(コレクターのこと)となっているのは、僕の普段の版画作品をコレクションいただいているN氏。医師であり俳人でもある。昨年、俳句の世界で大きな賞を受賞された。コレクションのお礼と受賞への細やかな、お祝いという意味でお引き受けした仕事でもある。

蔵書票はラテン語で”EX LIBRIS(エクスリブリス)”と呼ばれ、日本語では「私の愛する書物」といった意味だと聞いている。本来は愛書家が自分の高価な愛書に版画家にオーダーして摺らせ、本の裏表紙などに糊で張り付ける習慣があったが、今日ではトレーディング・カードのようにコレクションする愛好家が増えている。版画の中でも取り分けマニアックな世界なので一般的にはあまり知られていないかも知れないが、西洋などではとても人気のある版画のジャンルであり、専門の版画家や愛好家が多い。オーダーものなので、当然「お題・テーマ」をいただいてからの制作となる。今回のN氏のお題は「巨石文明と昆虫」という、ちょっと難しいものだった。巨石とはイギリスのストーン・ヘンジのような石遺跡を指している。昆虫はおそらくN氏が好きな生き物なのだろう。そして巨石をテーマとした句集も出版されている。

制作は版木(10×7,5㎝という小さなもの)と同寸のラフな下絵を2パターン制作。画像添付のメールでコレクターに送信し、確認してもらう。内容の承諾後、下絵をさらにつめて版木にトレースし、ビュランという彫刻刀で彫り始めるといった手順。後は、彫っては試し摺りをし、彫っては試し摺りを繰り返す作業。版木は小さな画面に細密な絵柄が想定されたので、特別に故意にしている材木屋さんに特注で作ってもらった「本ツゲ」の上物である。こうした版木も最近ではなかなか入手し難くなった。

さあ、準備ができたところで硬いツゲの面に細かいビュランの刃を縦横無尽に走らせて行く。文字などもあるので、少しの油断も許されない。ちょっとビュランを握る手の力を緩ませようものなら必要でない場所を彫ってしまう。小さい作品だが、とても神経を使うものである。当然、ルーペなどで手元や刃物の切っ先を拡大して慎重に作業を進めるのだ。今日の午前中にようやく第一回目の試し摺りが取れた。しげしげと眺めながら「まだまだ、調子が硬いな…線も細かすぎる」 試し摺りが取れると少しほっとするのだが、ここからが長い。秋も深まり、寒さもきつくなってくる中、作業机にへばり付き、細かい彫版作業をする日々がしばらく続きそうだ。そして彫りが完成したら「見本摺り」をコレクターに送り、最終確認をとらなければならない。そしてGOサインが出たら、年明けから今回、地獄の300枚摺りが待っている。ふーっ…。

画像はトップがルーペ越しに観た制作途中の今回の版木と手元。下が向かって左から版木を彫っている手元をもう一枚と今回制作に使用しているビュランの画像2カット。


        

267. 『クラーナハ展 -500年後の誘惑-』を観る。

2016-11-11 19:50:53 | 美術館企画展

芸術の秋真っただ中。この季節、どこの美術館も、その年度のメインの展覧会が開催されていて、どれを観に行ってよいのやら目移りしてしまう。知人の方より事前にチケットをいただいていたということもあり、9日の朝から上野の国立西洋美術館で開催されている『クラーナハ展 -500年後の誘惑- 』の会場へと向かった。

ルカス・クラーナハ(1472-1553年)と言えばアルブレヒト・デューラー等と並び、ドイツ・ルネサンスを代表する画家である。そしてエロティシズム湛えた個性的な表現の女性像を数多く描いた画家として名が知られている。しかし、日本での美術館企画展は今回が初めてとのことである。

僕は油彩画を描き始めた10代後半から20代初めの頃、西洋のルネサンス絵画にとても魅かれた時期があって、アルバイトをして小遣いを稼いでは神保町などの洋書店で画集を購入していた。イタリア・ルネサンスではアンドレア・マンテーニャやカルロ・クリヴェッリ、パオロ・ウッチェロなどがお気に入りで、北方ルネサンスでは、上記のデューラーやマティアス・グリューネヴァルトなどが特に好きだった。それからフランドル絵画のヒエロニムス・ボスやペーテル・ブリューゲルも忘れてはいけない。クラーナハはピカソやフジタが影響された画家として名前も作品も知ってはいたが、この頃は、はっきり言ってあまり好みではなかった。理由としては、数多い裸婦像のプロポーションが美しいと感じられなかったのだ。他のドイツ・ルネサンスの画家もそうなのだが、どことなくプロポーションがぎこちなく、言葉は悪いがグニャグニャとして爬虫類的に見えてたのである(クラーナハさん御免なさい)。このドイツ的なグロテスクな感覚はいったいどこからくるのだろうか。女性像はイタリアのダ・ヴィンチやボッティチェルリ、ベネチア派の画家達の作品に登場する健康的で均整のとれたものに魅かれていた。

その僕がクラーナハの作品が気になるようになったのは、20代の終わりから30代の初めぐらいにかけ自らの表現として幻想的な作風の銅版画制作を始めてからだった。この頃、幻想文学者の澁澤龍彦の著作に出会い片っ端から読み漁っていた。その中の『裸婦の中の裸婦』という西洋の絵画や彫刻の裸体画の中から好みのものを12点選び、それぞれに好みのことがらを書き綴った画文集の中で、クラーナハ(澁澤流ではクラナッハと書く)の「ウェヌスとアモル」という裸体画について「エレガントな女」というタイトルで書いているものがあった。そして対談風の文章のなかで「前略…イタリア・ルネサンスの裸体とも違うね。彼等のように、色彩の中に裸体を解き放つのではなく、線と形体の中に裸体を冷たく凝固させる。裸体をして、われわれの視線に撫でまわされるための、一個の陶器のごときオブジェと化せしめる。これがクラナッハ特有のヌードだな。16世紀の画家とは思えないほど、おそろしくモダーンな感覚の持ち主だよ」と絶賛している。澁澤氏らしいクールで品格のあるエロスの表現である。この名文に誘われたかのように、それまで意識の外にあったクラナッハを始めとしたドイツ・ルネサンスの人物像をよく観るようになっていった。

展覧会場は宮廷画家として活躍していた初期の宗教画や貴族の肖像画などの絵画から始まった。キャンバスがまだない時代、そのほとんどは菩提樹などの板にテンペラや油彩、あるいはその混合技法で描かれたものだ。こうした古い時代の絵画作品を観ていていつも思うのは「描かれた当時の絵肌が観てみたい」ということだ。500年ぐらい前の作品なので仕方がないと言えば、それまでなのだが全てが保存用のニスが何度も塗り込まれていて、表面はまるで漆のようにテラテラとしていて、なんとも特別な質感となってしまっている。絵画を制作することが多くなってきているので完成当時の絵肌や画家の筆致、息遣いを観てみたいという願望に駆られるのである。

さらに進むと版画作品がけっこう出品されている。中でもペン画と見まがうほどに下絵を忠実に再現した木版画には目を奪われた。うねるような線はこの時代のドイツの木版画の特徴で、同時代の「ドーナウ派」と呼ばれるアルトドルファーやグリーンの版画作品とも共通したものがある。きっと腕利きの彫り師と摺り師がいたのだろう。デューラーの銅版画作品なども比較対照として展示されていた。

それから今回のメイン会場ともいえる人物像、女性像の部屋に到着した。その中でも画家の代表作と言える「ルクレティア」、「ユスティティア」、「「サロメ」、「ユディト」などを主題とした作品は漆黒の暗い背景の中から浮かび上がりキラキラと輝いて見えた。まさに澁澤氏が言う所の「一個の陶器のようなオブジェ」なのであった。僕の好きな主題のルクレティアだけで3点も来ていたのは素直に嬉しかった。

そして最後の会場にはピカソの石版画や前衛芸術の中に登場するクラーナハのパロディなど近代、現代の作家作品が制作したクラーナハが展示されていたが、詳しく感想などを述べるとブログが長くなりそうなので、この辺で終了する。芸術の秋の一日。昔から恋い焦がれ、憧れていた女性にリアルで出会うことができた様な満足感を得て会場を後にした。

展覧会は年を越して2017年1月15日まで。洋画ファン、クラナーハ・ファンの方々、この機会をお見逃し無いように。画像はトップが絵画作品「泉のニンフ」、下が向って左からクラーナハ展の看板、絵画作品7点、木版画作品2点(全て展覧会図録よりの複写による部分図、タイトルは省略)、西洋美術館敷地内のロダンの彫刻「カレーの市民」。

 

                    

 

 


266.青木画廊 開廊55周年記念『眼展 Pirt1』始まりました。 

2016-11-07 19:27:20 | 個展・グループ展

5日土曜日。東京銀座、青木画廊の開廊55周年記念のグループ展『眼展 Pirt1』のオープニング・パーティーに出席してきた。

青木画廊は1961年に銀座三丁目の同場所に開廊、以来、国内外のシュールレアリズム、幻想美術のアーティストの企画展を開催し続けて今年で55年周年を迎える。つまり、昭和39年の東京五輪の3年前にオープンしたということだ。この55年間、日本のアート界も目まぐるしく変わっていったと思うのだが、その間、脇目も振れずに『シュールと幻想』一筋に同じ場所で歩んできたというのは、我が国の画廊界広しと言えどもこの画廊1軒だけである。僕はひそかにそのうち「世界遺産」に登録されるのではないかと妄想している。すると初代会長は自動的に「無形文化財」ということになる。

冗談はさておき、僕がこの画廊に通い始めたのは1980年代初め頃だったが、すでにこの時代には美術界の異色の画廊として知られ、季刊「みずゑ」という有名な美術雑誌の裏表紙には毎回、幻想作家を紹介する企画展の案内が個性的な作品写真と共に掲載されていた。そして美術評論家の瀧口修造氏や幻想文学者の澁澤龍彦氏がその展覧会評を書いていたことでもよく知られていた。企画をした海外の取扱い作家も想い出すままに挙げると…エルンスト・フックス、エーリッヒ・ブラウアー、ヘルマン・セリエント、カール・コーラップ、ホルスト・ヤンセン、シュレーダー・ゾンネン・シュターン、ハンス・ベルメールとまだまだきりがなく名前が浮かんでくる。ヨーロッパ幻想作家のオンパレードと言っても過言ではない。当時20代の美術学校生だった僕には、その世界がキラキラと輝いて写っていたし憧れの的であった。けっこう足繁く通ったものである。

その憧れの画廊で作品を発表できるなんて想像もしていなかったのだが、1999年に現オーナーである青木径氏から画廊でお声をかけてもらって発表をする機会をいただき、以後、絵画やドローイング作品の個展、グループ展に出品させていただいて今日に至っている。つい、この間のことのようだが僕自身もすでに17年間お世話になっているのだ。

この日、画廊に午後遅くに会場に到着すると、もうすでに数人の出品作家と愛好家の方々がお見えになっていて作品を前に熱の入った会話をされていた。前回のブログでもご紹介したが今回、出品作の中、1点は画廊からの「キャバレー」という共通テーマで作品を制作している。2階のフロアがこの展示会場で12人の男性作家が思い思いの「妄想キャバレー」を描いている。それから、フロアの正面には、この画廊でデビューし、今では著名な球体間接人形のアーティストである四谷シモン氏の「機械仕掛けの少女2」という人形作品が賛助出品されている。階段で移動して3階会場には各作家が自身のテーマにより制作した新作が1-2点づつ展示されていて、二部構成となっている。

会場を一巡し、しばらくしてお茶などを飲みながら今回、青木画廊初出品の作家K氏などと歓談していると、あっという間に夕刻のオープニング・パーティーの時間となる。画廊の方の会場の設営を手伝っていると、時間に合わせてゾロゾロと遅れてきた作家や愛好家の方々が到着、2階のフロアはあれよあれよという間に満員御礼となってしまった。お酒が注がれて乾杯した後、オーナーによる展覧会やテーマの説明があり、続いて各作家の自己紹介と出品作品の解説となる。このテーマ、ピタッと合う作家と、なかなか苦労した作家のどちらかにはっきりと分かれたようだ。それから、径氏ご指名によりシモン氏のマネージャーであり画廊の常連でもあるS氏が映画「キャバレー」からライザミネリの歌を素晴らしい声で披露してくださった。そのあとは、いつものことだがワイワイガヤガヤと賑やかな飲み会。仕上げはこれもいつものことだが全員並んでの集合記念撮影で終わった。

閉廊後、出品作家と有志の方々での二次会となったが、今回は特別な企画展であるということでオーナーからの「粋な計らい」となった。「キャバレーをテーマとしたのだから本物のキャバレーで二次会をしよう」ということになり、画廊の二件隣のキャバレー「白いばら」へと移動した。このキャバレーは創業66年目という銀座の老舗キャバレー(注:キャバクラではない)で格式が高い。普段われわれが軽はずみに入れるお店ではないのだ。店内に恐る恐る入ると事前に席が予約されていて、しかもステージの正面の特等席である。ぞろぞろと絵描き集団が座るや否や、華やかな衣装に身をまとった美しいホステスさんたちが贅沢にも一人につき一人隣席についた。「いらっしゃ~い」。

思い返せばキャバレーに入るなどというのは、前のバブルの頃、契約社員として勤めていたデザイン関係の会社で顧客の接待に同席させられて以来のことであるから25年ぶりぐらいということになる。美しい方々とのお話しも盛り上がり竜宮城にでも来ているような気分になった頃、ショータイムが始まった。歌あり、プロのダンサーのダンスあり、イントロクイズあり…トリはパリのムーランルージュを彷彿とさせるゴージャスな真っ赤な衣装でのカンカン踊り。迫力ものである。「ブラボーッ!!ブラボーッ!!」 楽しい時間はすぐに過ぎ去っていく。あっという間にお開きの時間となった。美しいホステスさん全員のお見送りを受けながら夢見心地で店を出て流れ解散。

画廊会場で『妄想キャバレー』の個性的な作品世界に浸り、会場を出て『リアル・キャバレー』で華やかな一時の夢に浸る。なかなか普段は経験できない盛りだくさんのグループ展オープニングであった。

展覧会は11月18日(金)、最終日17:00迄。アートファンの方々、この機会ぜひお見逃し無いように、よろしくお願いします。詳細は青木画廊HPアドレスをもう一度。http://www.aokigallery.jp 

 

画像はトップがオープニングパーティー会場での集合写真。下が向かって左から四谷シモン氏の人形作品「機械仕掛けの少女2」、会場で挨拶するオーナー青木径氏、会場に届けられていた不思議な花、今も変わらない青木画廊の看板、画廊界隈の夜景、キャバレー「白いばら」の入り口。