長島充-工房通信-THE STUDIO DIARY OF Mitsuru NAGASHIMA

画家・版画家、長島充のブログです。日々の創作活動や工房周辺でのできごとなどを中心に更新していきます。

431.●コロナ禍の中、美術学校のリモート授業が始まった。

2021-05-31 22:51:49 | カルチャー・学校
今年も先月後半より、東京の美術専門学校のA美術学院で講師として担当しているリモート授業がスタートした。昨年から続くコロナ禍の円強となって2年目の授業である。

担当するのは今春より入学した1年生の『描写表現実習』という科目の中の「変容・Metamorphoshis」というテーマによる実習である。「変容」とは西洋の15世紀、マニエリスムの頃から美術史の中で現代にいたるまで延々と続けられてきたきた表現方法なのである。その応用は現代のアニメーションやゲームの世界にも見出すことができる。坤為地のアートやデザインを専攻する美術学校の若い学生たちにもダイレクトに理解することができるテーマだとも思っている。

初日のガイダンスでテキストとして紹介したのは15世紀マニエリスム絵画の画家で坤為地では「変容」表現の代名詞的存在ともなっているジョゼッペ・アルチンボルド・GIUSEPPE ARCIMBOLDO(1527-1593)の絵画作品の画集からの画像を参考として用いている。他にシュール・レアリズムの画家、ルネ・マグリットや日本の浮世絵師、歌川国芳から現代の美術家までの「変容」表現を紹介している。

リモート授業の方はと言うとコロナ禍の中で2年目となり、教える側である講師や助手は大分慣れて来たと思うのだが、学生たちは大変だろうと思う。高校を卒業して20歳前後の子たちが多いのだが、美術学校に夢を抱いて入学してきて、1番楽しみにしていたのは同じような目標を持つ仲間との出会いであろう。そしてこの時期に出会い交友を深めた友人と言うのは、その後の人生の中でも大切な存在となっていくはずである。それが、このコロナで思うように会ったり話したりすることもできないのである。

1年生はクラス平均が27-28人で全6クラスの構成である。まだ専攻を決めていないのでリアルではアトリエに大勢が集まらなければならない。つまり今問題となっている「密」になってしまうのである。なのでリモート授業のパソコン内でのコミュニケーションとなるのである。ただ、パソコンを通してだが、彼らが想像していたよりも元気で笑顔も多いことにこちらも救われているのだ。1クラスの授業が終了する直前にいつも伝える言葉がある。それは…。

・「このコロナ禍というものをネガティヴに捉えない」

・「自分たちだけが苦境に立たされているのではなく世界中がこの状況下にある」

・「この特別な体験の中でしかできないことを各自がポジティヴに考えていこう」

と、いうことを最後の結びの言葉にしている。

※画像はトップがリモート授業の様子。下が向かって左からリモート授業のようす3カット、テキストであるアルチンボルドの画集1カット、必ずリモート授業の邪魔をしてくる愛猫のチミヨ2カット。


                  






430.●シリーズ『リアリズムとしての野生生物画』第2回 - A.デューラーの水彩画「若い野兎」-

2021-05-11 17:52:52 | ワイルドライフアート
先月からスタートした連載投稿『リアリズムとしての野生生物画』の第2回である。西洋絵画における「野生生物画・Wild Life Art」というものをリアリズム絵画の1ジャンルとして考察して行こうという内容となる。

野生生物を対象としたこのジャンルの絵画は西洋美術史の流れの中で古典から現代まで、ある時代の流行のスタイルと言うことではなく描き続けられてきた。投稿の核にこの「流れ」ということを時系列で追い具体的な作例の画像を添付しながら話を進めて行こうと思っている。

西洋絵画の中での動物画について英語や和訳で出版されたさまざまな書物に目を通してみると、まず共通した構成が多いことに気が付く。西洋人にとって野生生物画というのはまず古代ラスコーやアルタミラの洞窟壁画の中に描かれた狩猟対象としてのプリミティヴな生物たちの話題や図像から大抵の場合始まっている。そこからアッシリア、古代エジプト等の壁画やレリーフ、彫刻などに観られるアニミズム(原始信仰、自然崇拝)の中の生物たちへと進み、ギリシャ・ローマ時代の神話世界の中での擬人化された動物や鳥類へと続いていく…この流れというものは野生生物画に限ったことではなく西洋美術の源流としてのものなのである。

だが、やはり野生生物画に限らず風景画、人物画などに見られる写実的な絵画表現の起源はと言うと、14世紀にイタリアやドイツを中心に起こったルネサンス文化の中での美術ということになるのだろう。イタリアの画家ジョットによって提唱された「自然を正面から、それらしく忠実に探究する」という考え方はそれ以後の美術家へと受け継がれていく。だが、ルネサンス期の写実的な絵画はキリスト教思想に基ずく人間中心の表現がほとんどであった。なので野生生物と言うのはあくまでもキリスト教・物語絵画の中での小さな脇役だったのである。
その時代の中でジョット以降、同じくイタリアの画家ピサネルロやドイツ・ルネサンスの画家、アルブレヒト・デューラーが「神の創造された自然や生物をあるがままに絵画に描くことこそが神の意志にかなうものである」という考え方のもとに、リアルな描法と細密な技法によりさまざまな生物を数多く描いている。

今回、画像添付し紹介する作品は、画家アルブレヒト・デューラーによって1502年に描かれた『若い野兎・Young Hare』(ウィーン・アルベルティーナ素描・版画美術館所蔵)と題された水彩画である。技法としては紙(おそらく羊皮紙?)に透明水彩絵の具とガッシュ(不透明水彩絵の具)の混合技法によるもの。画家による観察を通したそのリアルな写実表現は約500年以上も前に描かれたものとは思えないものである。野兎の毛並みや髭は画集の印刷からもたいへん細い筆の先で精密に描き込まれていることを手に取るように理解することができるし、立体感、質感共に絶妙な写実表現なのである。俗な言い方ではあるが「今にも動き出しそうな野兎」に見えてくる。目の表情もとてもよく描写されている。写真も科学的な資料も少ない時代に「よくぞここまで描き、作品として残してくれました」と言いたい。画集から転載コピーしたデジタルの画像ではあるがブログを読んでいる方々には、そのあたりをジックリと観ていただきたい。

※画像はトップがデューラー作・水彩画「若い野兎」の部分図。下が向かって左から全体図とそのほかの部分図、デューラー22歳の油彩画による「自画像(部分図)」。