長島充-工房通信-THE STUDIO DIARY OF Mitsuru NAGASHIMA

画家・版画家、長島充のブログです。日々の創作活動や工房周辺でのできごとなどを中心に更新していきます。

208. 講演と音楽『世界の自然と自然・人と人をつなぐ渡り鳥』に参加する。

2015-09-14 21:23:54 | イベント・ワークショップ

13日。東京大学弥生講堂一条ホールで開催された講演と音楽会『世界の自然と自然・人と人をつなぐ渡り鳥』に参加した。このイベントは日本を代表する鳥類学者で東京大学名誉教授の樋口広芳先生ご本人の企画である。

今さらだが樋口先生と言えば野鳥の生態の中でもとりわけ「渡り鳥」の研究が良く知られている。1980年代からマナヅルやハクチョウ類、最近ではタカ類に超高性能の超小型発信機を装着し、衛星受信とコンピューターをとおして渡り鳥のルートを解明するという画期的な調査研究により、この分野に新風を吹き込んだ学者である。つい最近、NHKの野生生物をテーマとしたBS番組「ワイルドライフ」でタカの仲間のハチクマの渡りルートと生態について美しい映像を通して新知見を発表された。

今年の6月、このイベントの実行委員になっている方を通してオファーがあった。「BIRDERという鳥の月刊誌に掲載された長島さんの水彩画が、今回の講演内容にピッタリなのでチラシや会場内で投影する画像として使用させてほしい…と、樋口先生が言われているのですがどうでしょう?」とのこと。最初はわが耳を疑ったが、20代から憧れの存在の鳥類学者からのオファーである。渡りに船、二つ返事でお受けした。それにしても驚いたのは開催時期で9月だという。先生の中では思いついた時、すでにイベントの設計図ができていたらしく、講演者や音楽家、協力スタッフなどに次々とアポイントをとり、わずか三か月間で実現する運びとなった。素晴らしい。アートディレクターとしての素質もお持ちなのである。これには周囲の関係者から驚嘆の声が上がっていた。怒られてしまうが、ここで一言「学者だけに留めておくのは惜しい…」。

ご配慮もあり、会場に僕の野鳥をモチーフとした絵画、版画作品展示コーナーも設営させていただくことになった。当日、会場設営のため早めに家を出た。お昼前に東京大学農学部の正門をくぐり会場である弥生講堂一条ホールに到着。木造とガラス張りのポストモダンな建物。周囲の戦前から建つゴチック風な校舎とは対照的である。予め宅配便で送っておいた額装作品の荷をほどいていると現在樋口先生が教鞭をとる慶応義塾大学の研究生の方たちが設営を手伝ってくれた。あっという間に小展示会場の完成となった。

お昼を過ぎて開場時間近くになると参加者が次々にやってきた。前売りだったチケット300枚も早い時点でほぼ完売となり、キャンセル待ちが何人も出たそうだ。プログラムを見ると演題は三つ。一つ目は杉浦嘉雄氏の『此岸と彼岸をつなぐ渡り鳥-宮沢賢治「銀河鉄道の夜」の世界』と題した宮沢賢治の文学作品に多く登場するフアンタジックな鳥たちの宇宙。事前に講演の内容は知らされていなかったが、僕がギリシャ神話と星座の関係を描いた「わし座」の絵画作品の世界がそのまんま重なってくる内容で驚いてしまった。ディレクター樋口先生の手腕発揮である。この講演と次の講演の間に音楽の演奏があった。曲目は賢治の作詞作曲で最近、高倉健主演の映画で再び人気の出た「星めぐりの歌」である。たしか映画では田中裕子が歌っていた。演奏はソプラノ(山口由里子)、ヴァイオリン(鍋嶋芳)、チェロ(富樫亜紀)のトリオだったが、美しいストリングスと歌姫の良く通る声が会場に響き渡った。その間ずっと照明を落としたステージの壁面に僕の「わし座」の絵が拡大されて投影された。二つ目は遠藤公男氏の『北と南の離散家族をつないだ渡り鳥-アリランの青い鳥、シベリアムクドリをめぐる物語』というもので、朝鮮戦争によって南北に離れ離れとなった鳥類学者親子の奇跡的な再会を追った感動的なドキュメンタリー。この後の演奏は朝鮮半島民謡の「アリラン」だった。

そして最後が樋口先生による『世界の自然と自然、人と人をつなぐ渡り鳥-渡り鳥の衛星追跡研究の成果から』で世界地図とアニメーションを使用した渡り鳥それぞれの種のルート解析にはその神秘的ともいえる生命の営みに会場からは唸り声とも溜め息とも言えない声が多く起こっていた。印象的だったのは先生の「鳥たちには国境がなく、どこの国へも自由に渡っていく」という言葉と「今、目の前で観察している渡り鳥の同じ群れを異なる国の人々も観ているんだ」という人間と鳥をとりまく環境を絡めた言葉だった。そしてエンディングの演奏はバッハの「G線上のアリア」だった。

4時間にわたる講演会と音楽会もあっという間に過ぎて行った。参加者の中からは「今回限りとしないで全国を巡回してはどうだろうか」というような声もあがっていた。ありがたいことに僕の版画作品も熱心に鑑賞する人が多く、購入希望者も出た。このあと本郷で評判の中華料理店で関係者とスタッフにより打ち上げ会。研究者、文学者、自然カメラマン、音楽家、編集者などそうそうたるメンバーで楽しい宴が開かれた。今回の楽しい企画に御指名いただいた樋口先生をはじめスタッフのみなさんにこの場をお借りして御礼申し上げます。ありがとうございました。画像はトップがソプラノの声が響く会場の壁面に投影された僕の絵画作品「わし座」。下が向かって左から会場となった弥生講堂一条ホール外観、樋口先生と今回印刷物のデザインを担当した重原さんと展示コーナー前で撮影したスナップ、特徴的な14面構造の会場内風景、農学部敷地内のライトアップされた「忠犬ハチ公」像。

 

         


207.『吾輩も猫である』 その二

2015-09-06 20:58:03 | 日記・日常

黒虎のタマオである。このブログ、二度目の登場である。そもそもご主人がネタに詰まった時にしか出してもらえないのである。そして、ご主人夫妻には相変わらずひんしゅくを買っている毎日である。もっともひんしゅくを買うのは吾輩の習性…というよりも猫族の習性である「狩り」のことである。

以前にもお話ししたが、この家のご主人夫妻は「日本野鳥の会会員」とやらで、鳥だけでなく生き物全般が好きなのである。今までも野鳥ではスズメ、メジロ、アオジ、ジョウビタキなどを狩ってはリビングまで持ってきて自慢してきた。そのたびに大目玉を食らうので、このところ鳥たちとは仲良くしてきた。鳥以外なら良いだろうと、春先に「ヤモリ」と人間たちが呼んでいるトカゲに似た小さな生きものを狩ってきたのだが、ご主人曰くこのヤモリ「害虫などを捕ってくれるので人間に益をもたらす生きもの」なのだそうで、さらに「現在、減少している貴重な生き物」なのだそうだ。この時も前足を掴まれて「お仕置き」のポーズをとらされ、説教をされた。最近、ご主人は、とみに説教が長くなった…年のせいなのかなぁ。

それでは、猫の狩りの定番であるネズミなら良かろうと少し遠出をしてハツカネズミを捕ってきたのだが、こちらは奥さんの方が「ネズミ属のつぶらな瞳が好き」ということで、リビングに置いておいたところ甲高い悲鳴を上げられてしまった。昔から猫がネズミを捕るのは小説や漫画にも登場する日常茶飯なことなのである。だいいいち連中に大きな顔をさせておいたら、旺盛な繁殖力で町中がネズミであふれ、天井や床下などに入って来て運動会を始めるので、うるさくてしょうがないと思うのだが。それこそ人間にとって益をなさないのではないだろうか。しかし奥様曰く「わかっているけど、感情的な問題」なのだそうである。そして最後に二人そろって吾輩を叱る決め台詞は「食べるわけでもないのに、また無益な殺生をしてっ!!」である。

こうして付き合っていると人間というのは自分たちの小さな物差しを基準に益があるとかないとか、甚だ自分勝手な動物である。おっと、アトリエで絵を描いていた主人がコーヒーを飲みにやってきた。おとなしく従順な顔をして寝たふりをすることにしよう。画像はトップが主人に説教をされている吾輩のアップ。下が向かって左から同じく説教をされているようす。狩ってきたハツカネズミ、お気に入りのクッションの上で休む吾輩。