長島充-工房通信-THE STUDIO DIARY OF Mitsuru NAGASHIMA

画家・版画家、長島充のブログです。日々の創作活動や工房周辺でのできごとなどを中心に更新していきます。

265.青木画廊開廊55周年記念『眼展・Part1』に出品する。

2016-10-29 18:43:13 | 個展・グループ展

芸術の秋、以下、出品する画廊企画のグループ展のご案内です。

・展覧会名:開廊55周年記念 「『眼展・Pirt1』 妄想キャバレー

・会期:2016年11月5日(土)~11月18日(金) ※11月13日(日)のみ休廊 平日11:00~19:00/日曜日12:00~18:00/最終日11:00~17:00迄

・会場:青木画廊 東京都中央区銀座3-5-16 島田ビル2F http://www.aokigallery.jp E-mail info@aokigallery.jp TEL 03-3535-6858  

・内容:1961年開廊の、ご存じ銀座3丁目の幻想アートの専門画廊が今年、55周年を迎えた。その節目の年を記念して開催するグループ展『眼展・がんてん』となる。今回、「キャバレー」を共通テーマとした作品を各作家1点+自由テーマ作品1-2点の展示となる。12名の作家による個性的な「妄想キャバレー」と約30点の平面作品、立体作品を展示します。幻想アートファン、一般アートファンの方々、この機会を是非お見逃しなくご高覧ください。長島は新作ペン・ドローイングを2点出品しています。各作家の作品詳細などは画廊ホーム・ページをご覧ください。

・作家在廊日:長島は初日、11/5の15:00~、11/18の最終日15:00~の2日のみ在廊予定です。

※初日、17:00頃からオープニング・パーティーあり。

以上。皆さま晩秋の良い季節、是非会場まで足をお運びください。会場でお待ちしております。

画像はトップがグループ展DMの表面。下が向って左から表面の拡大、DMの裏面と裏面の拡大。

 

      


264.『吾輩も猫である』 その四

2016-10-22 18:12:57 | 日記・日常

吾輩も猫である。名前はタマオという。♂のキジトラで今年で14歳になる。ヒトで言えば、もう高齢者の仲間入りである。これまでご主人が4人代わったが、今の「エカキのナガシマ家」に来てから早いもので10年になる。この家がわりと居心地がいい。ここまで5回、迷子やら病気やらで死にかけたが悪運が強いらしく生き延びてきている。

今月に入って朝晩が随分寒くなってきた。他の猫族同様、吾輩も寒いのは苦手である。そういえば、ついこの間までテレビの某国営放送で吾輩の尊敬する文学者である「ナツメソウセキ先生」のドラマが放映されていた。このブログの連載のタイトルもソウセキ先生の作品からいただいたものである。もっとも「は」と「も」は1字違うのだが、みなさんお気づきだろうか?主人公となる猫は研究者によると吾輩と同じキジトラ模様の毛並に茶色味が加わったような猫だという説が有力なようである。吾輩とても光栄に思っている。

話が横道に逸れたが、今回は前回もご紹介した相棒の猫、チミヨ、♀のミケの話題である。昨年、ナガシマ家の三女の方の友人が生まれたてで死にかけていたのを救助し、家で飼えないという事情から、この家に貰われて来たことを話したが、ちょうど今月の初めで1歳の誕生日を迎えた。そのチミヨを「ネコカワイガリ」していた三女の方も今春から北海道の「ダイガク」という所に行ってしまった。月日のたつのは早いものである。

家飼いの猫ということで、ちょうど半年前に動物病院で「ヒニンシュジュツ」という大きな手術をした。しばらくの間は、へこんでおとなしくしていたが、傷がいえると以前にもまして元気になり、家の中を激しく走り回っている。それから、よく食べよく寝るのでグングンと成長し今では、その体は吾輩よりも一回り大きくなり体重もかなり重い。食欲は日に日に増しているようで、ご主人夫妻には「デブチミ」というあだ名をつけられたりしている。吾輩は最近、年のせいか食が細くなりつつあり、いただくエサも数回に分けて食べているのだが、ウカウカして自分の餌ボールから目を離すと吾輩の残した分までたいらげてしまうありさまだ。見るに見かねたご主人が餌ボールを蓋付きのものに換え、チミヨの餌の量も管理して減らし始めている。

吾輩たちは、ヒトのように年齢の差による「ジェネレーションギャップ」などは無く、けっこう仲良く、遊んだり、闘ったり、寝たりしている。チミヨは吾輩から見ればまだまだ仕草もあどけなくカワイイものである。そして美人でもある。が、ボクシングの時、爪を思い切り立ててくるのだけはいただけない。これからは、お年寄りをいたわり、お手柔らかに接することを覚えてほしいと思っている。画像はトップが写真目線の吾輩。下が向かって左から吾輩の画像2カット、チミヨの画像5カット。

 

                    


263.ギター曲に浸る秋・その一。Narciso YEPES

2016-10-16 19:15:02 | 音楽・BGM

10月に入っても残暑や気候不順が続いていたが先週末から、つるべ落としのようにストンと涼しくなってきた。千葉北東部でも朝晩などは寒いぐらいである。これから秋が日を追うごとに深まってくる。

こうした季節の変わり目は仕事中のBGMも今までとは換えたい気分になってくる。このところ聴き始めたのがクラシックの『ギター曲』である。ギターと言えば先日テレビを点けると偶然、日本歌謡界を代表する作曲家で歌手の船村徹さんが、自身の代表曲「別れの一本杉」をギター弾き語りで歌っていた。御年84歳とは思えぬ張りのある声、そしてギターのトレモロ演奏を披露していた。しみじみとして心の奥まで染み入ってくる。船村徹、現役である。

話を元に戻そう。そうそうクラシックのギター曲だった。多くの人が、すぐに思い浮かべる曲は、たとえばタルレガの「アルハンブラの思い出」やロドリーゴの「アランフェス協奏曲」などスペインの名曲の数々ではないだろうか。確かにいつ聴いても良い曲ばかりである。

因みに僕がクラシックのギターという楽器を見直し始めたのは、バッハの「無伴奏リュート組曲」からだった。本来バロックリュート1本で演奏するこの曲をエドゥアルド・フェルナンデスというギタリストがギター用に編曲し1988年にロンドンで吹き込んだ2枚組のCDを聴いて、その音色の素晴らしさの虜になってしまった。それまでクラシック界で花形楽器と言えばピアノとヴァイオリンだろうと決めつけていた考え方が一気に音をたてて崩されていった。そもそもギターという楽器の歴史は古く13世紀まで遡るそうである。そしてその音色は「一台でオーケストラのような音を出す楽器」と例えられるように、とても豊かで奥深いものなのである。ただ、日本では他の室内楽と同じく、あまり人気がないのかCDなどで新譜が発売されても内容如何によらず廃番となってしまうものも多い。

1970年代、80年代からクラシック音楽を聴き始めた我々の世代で、この楽器を代表する演奏家を一人挙げるとすれば迷うことなくスペインを代表するギタリストのナルシソ・イエペス(Narciso Yepes 1927年~1997年)と答える人が多いだろう。1951年イエペス24歳の年、我が国でも人気のある映画「禁じられた遊び」の音楽、編曲、演奏を1本のギターだけで行いメインテーマ曲の「愛のロマンス」が大ヒットしたことは良く知られている。大の日本びいきでもあり、トータルで17回訪れているという。そして通常の6弦ギターよりも音域の広い10弦ギターを開発し、均一な共鳴を持つ透明度の高い音色を実現したことでも有名である。演奏する曲目のレパートリーは広い。そう言えばイエペスもバッハの「無伴奏リュート組曲」をバロックリュートと10弦ギターの両方で演奏、録音している。

録音枚数50枚を超えるイエペスの名盤の中から、お薦めするCDを選ぶとすると、かなり迷ってしまう。ギター曲の王道を行くスペイン音楽やバッハをあえて外して2枚を選んでみた。1枚目はイタリアの作曲家、ドメニコ・スカルラッティ(1685-1757)の「チェンバロのためのソナタ集」をイエペスがギター曲として編曲したアルバム。イエペスの卓越した表現力と演奏によりチェンバロよりも表情豊かに演奏されている名盤である。もう1枚はドイツ・バロックの大家、ゲオルク・フィリップ・テレマン(1681-1767)の「リュート二重奏曲」。これもイエペスがギター曲として編曲した1枚。アルバム全編が愛弟子の一人であるベルギーの女性ギタリスト、ゴドリーヴ・モンダンとの10弦ギターによる師弟共演となっている。バロックらしいくつろいだ雰囲気の演奏で2本のギターの掛け合いにイエペスの弟子への深い愛情が音を通して伝わって来るかのようでもある。

ここでイエペスの信念としている言葉を一つ、「芸術とは神の微笑みである」。みなさんも秋の深まる中、機会があったらこの2枚を是非聴いてみてください。

画像はトップが愛用の10弦ギターとイエペス。下が向かって左からフェルナンデス盤バッハ「無伴奏リュート組曲」のCDジャケ、イエペス盤スカルラッティ「ソナタ集」のCDジャケ、同じくイエペス盤テレマン「ギター二重奏曲」のCDジャケ、各種ギター曲CD。

 

         


262. ペン・ドローイングを制作する日々。

2016-10-07 19:18:11 | 絵画・素描

先月より11月のグループ展に出品する作品としてペン・ドローイングを集中して描いている。

ドローイング作品を個展やグループ展の会場で発表し始めてから18年ぐらいになる。初めの頃はいろいろな画材を使用し自己の表現の可能性を模索していた。鉛筆、色鉛筆、木炭、ペンとインク、水彩、アクリルなど、画材の種類を上げればきりがない。そして単一で制作すると言うよりは複数の素材の併用、混合であり正確には「紙にミクストメディア」とデータには表記するのかも知れない。当時、個展会場にいらした美術家の大先輩から、ある忠告めいた助言をいただいたことがあった。「君のこの作品はドローイングとは言わないね。英語のドローイングというのは、『線を引く』とか『線描』という意味があるからね。これは水彩画の1種だね」と。この時は特に気にせず「そうですか…」と答えていたが、その後も何故か脳裏に残る言葉になった。

その後、水彩やアクリル、テンペラや油彩などでの絵画作品も発表するようになると、時々この言葉が浮かび上がってきた。「線描」となると画材は紙素材に鉛筆やコンテ、そして今回のタイトルのペン・ドローイングということになるだろう。実は純粋にペンによる表現というものを避けてきたところがある。それは今まで絵画と並行して制作を続けてきた銅版画の表現とバッティングするからである。銅版画の中でもエッチングやドライポイント、エングレーヴィングなどの線表現はペン・ドローイングと酷似している。と、いうよりも歴史的にみればペンの方が歴史が古いので、それをどう版画の印刷表現で表すかということで技法が生まれたのである。どこで違いを見せるか、それが問題として引っかかっていた。ところが最近、絵画作品に対するドローイング表現として再チャレンジしてみたくなった。自称「チャレンジャー」を称してもいるので。

ペン・ドローイングをアクリルなどと併用し、始めた頃は伝統的な木軸に金属のペン先をつけ、インク壺にペン先をつけてから描く方法をとっていた。この頃、イギリス製の「ジロット」というメーカーからとても上質なペン先が出ていて、東京の画材店に行っては購入していた。ペン先が柔軟で表情のある線が描けるのと、ペン先の種類が用途によってかなり多いのが魅力だった。ところが5-6年前に製造中止となってしまい、愛用者としてとても残念な思いをした。

最近ではメーカーによってネーミングが異なるが「ライナー・ペン」「フェルト・ペン」と言われるロットリングに近い良いペンの種類が充実してきている。これはペン先にフェルトを固めた素材などを使用し太さも0・03mmから2mmぐらいまで出ていて一番太いものはペン先が筆状になったものまであり、かなり変化のある線が描ける。インクは油性、水性だが乾くと耐水性など他の画材との愛称も良い。顔料を用いているので描画後の耐光性も保障されているものが多い。最近、SNSを通じて海外のアーティストと交流を持つようになったが、具象的な表現をとる画家やイラストレーターの多くがこの種のペンを用いているようだ。このことにも刺激されて新作で使用し始めている。

秋の気配が深まる季節。パネルにピンと水張りした極細の肌合いを持つ水彩用紙にライナー・ペンを縦横無尽に走らせながら集中して描写する日々を送っている。ペンの仕事が一段落したら水彩絵の具により、絵に奥行きと深さを持たせていく。しばらくは早朝から緊張した時間が続きそうだ。作品の全体像は、ぜひグループ展の会場でご覧いただきたい。画像はトップが制作中のペン・ドローイング。下がペン・ドローイング作品のディテール2カット。以前、使用していた木軸の金属ペンの先、現在、使用している各種ライナー・ペン。