長島充-工房通信-THE STUDIO DIARY OF Mitsuru NAGASHIMA

画家・版画家、長島充のブログです。日々の創作活動や工房周辺でのできごとなどを中心に更新していきます。

261. 自己流健康法 その①

2016-09-30 20:23:00 | 日記・日常

今回、このブログを始めてから、初めての健康の話題。僕のように絵画や版画の仕事を毎日のように続けていると当然こことながら運動不足となる。一年中、インドア生活で机やイーゼルにへばり付いているのだから仕方がないと言えばそれまでだが、若いうちはともかく、ある年齢を超えると深刻な問題になってくる。

40代の半ばを過ぎた頃、毎年続けている市の健康診断で引っかかったことがあり、大学病院で詳しい検査をしてもらったことがあった。引っかかったのは「尿酸値が高い」ということでほおっておけば「痛風」になると脅されてのことだったが、詳しい検査の結果は「高血圧症」と「脂質異常」であった。これはまずいと言うことで担当の医師にどう対処していけば良いか相談したところ食生活を見直すための「食事指導」と「有酸素運動」を勧められた。つまり、サッカーで言えばイエローカードを切られたのである。

医者の指導に対しては昔から素直にできている僕は、検査結果の翌日からさっそく「有酸素運動」を開始した。まずは、器具も準備もなにも要らずに手軽に始められるウォーキングから。初めのうちはかなり張り切っていて毎日、工房の周辺を1時間強歩き、週に二日は遠出をして16㎞ぐらい歩いていた。3か月続いて再度、大学病院での検査。結果が出て医師の問診のとき担当の先生が驚いたような顔でカルテを見ながら「どーしたんですか、これ!?」と尋ねてきた。「えっ、どーしたって何がですか?」と切り返すと「血液、尿、血圧、心電図など、どれをとっても標準値かそれ以下です。正常です。どーしたら、たかだか3か月でこんな値になれるんですか?」と不思議そうに言うのだった。事情を話すと納得し、これからもがんばって続けるように励ましてくれた。ところが、ご多分に漏れず、こうした短期間で無理やり集中したような方法は続かなかった。1年もたたないうちに値がすべてリバウンドである。

その後、焦りがあったことを反省し、自分の体力に合った毎日続けられる量も見えてきた。外出やカルチャーなどの授業がある日、大雨や雪の日などを除き、ほぼ毎日軽いストレッチの後、40-50分のウォーキング(途中、短いランニングも組み合わせている)を今日まで続けている。その結果、血圧やコレステロール値も安定し、平均値を維持することができている。

ちゃんとジムなどに通い鍛えている人から見れば、たかだかウォーキングと言われるかもしれないが、最近観た健康番組で興味深い結果が出ていた。長年、ウォーキングを県民全員に推奨し続けているある県でアンケートをしたところ、1日6000歩以上歩いている人では「痴呆症」となる人がなく、1日7000歩以上歩いている人では「数種類のガン」の発症者がなく、8000歩以上歩いている人では「高血圧症と脂質異常症(メタボ)」がないという結果が出ているのだという…ばかにならない。

ウォーキングにしろ何にしろ、毎日続けるものは楽しんですることが長続きさせるコツである。僕の場合、家の周囲にコースを5コースぐらい設定している。「里山コース」、「田園コース」「住宅地コース」などと呼び、その日の体調や季節、気候によって使い分けている。真夏の炎天下の日は熱中症の危険があるので木陰の多いコースを設定したり、「ナイト・ウォーキング」と称して日が暮れて涼しくなってから住宅地内を中心に歩いたりしている。運動用具などはあまり必要ないが、歩数を測る万歩計とペットボトルの水、夜間は足元が暗くて見えなくなるので登山用のヘッドランプなどを小さなザックに入れ持参している。そして靴だけはグレードではなく、毎日歩いて疲れないものをとこだわって選んでいる。そして、1年間を通して里山環境の自然や動植物の変化も合わせて楽しむことも忘れてはいない。

運動不足解消に悩む方々、どうか手軽にできて効果に期待が持てるウォーキングあたりから始めてみてはいかがでしょうか。画像はトップがウォーキングシューズを履いた僕の両足。下が向かって左から玄関で靴ひもを縛って準備中の僕、本日歩いた「里山コース」風景6カット、コースで出会った季節の昆虫ハラビロカマキリ、常時持参しているペットボトルの水。

 

          

 


260.歌姫

2016-09-18 17:46:23 | 音楽・BGM

9月も中旬となりお彼岸が近付いてくると、そろそろ秋の気配がしてくる。今回はひさびさに仕事中に聴くBGMの話題である。以前のブログでも書いたが僕は季節によって聞く音楽が変わる。今年の夏は60年代のジャズをよく聞いた。最近集中して聞いていたのはテナーサックスのソニー・ロリンズ。けっこう夏の暑さに合っていた。暑さが和らぎ秋めいて来ると、やはり自然とクラシック音楽が聴きたくなってくる。今年もおそらくこれから冬にかけてクラシックを聴いて行くことになるだろう。

これも以前に書いたが季節を問わず朝一番にかけるのはモーツァルトと決めている。モーツァルトの長調のアップテンポの曲を聴くと寝ぼけた頭脳のセンサーがカチャカチャと音をたてて動き出すような気がするのだ。交響曲、ピアノ協奏曲、ヴァイオリン協奏曲、室内楽、ピアノソナタ…いろんな種類のCDをほとんど聴いてみたが2年程前、突然、歌曲が聴きたくなった。初めのうちは代表的な歌劇の『魔笛』や『フィガロの結婚』を聴いていたのだが、「歌もの」と言えばやはり女性ソプラノを中心に聴いて見たくなった。いろいろとネット検索しているうちに出会ったアーティストが今回ご紹介するバーバラ・ボニー女史(Barbara Bonney)である。最初に聴いてみたのは、やはりモーツァルトで『MORZALT LIEDER Barbara Bonney』というアルバムで日本語のタイトルが「春への憧れ~モーツァルト:歌曲集」という一枚。ピアノの伴奏だけで古典的でロマン的な歌曲を伸びやかで明澄な声により歌いこんでいる。これですっかりファンになってしまった。

その後、モーツアルト以外のCDも聴いてみた。ロマン派は得意なようで、シューベルトの歌曲集、メンデルスゾーンの歌曲集、R・シュトラウスの歌曲集、それからモーツアルトの末子、フランツ・クサファー・モーツァルトの歌曲集はいずれもピアノの伴奏のみでボニーの美声をしっとりと聴くことができる。その他で変わったところではウィリアム・バードなどイギリスの古典的な歌曲とアリアを集めたアルバムで古楽器をバックとした歌唱や、最近お気に入りのウィーンのオペレッタのアリア集は明るく可憐でユーモアもありとても聴き易かった。これは思い出しては繰り返し聴いている。そしてオーケストラ共演のものでは小澤征爾指揮、ボストン交響楽団とのフォーレの『レクイエム』も良いが、ボニーの声を中心に聴くという意味では印象が弱くなってしまうのは否めない。

ボニー自身、アメリカでオペラの歌い手としてデビューし活躍したのだが90年代のあるインタビューで「もうオペラは充分です。これからは歌曲に専念します」と宣言したという。やはりこの人の繊細で透明感のある歌声はピアノや室内楽的な小編成の伴奏により生かされてくるのだと思う。

今月に入って僕の工房での制作も水彩やペンによる細密なドローイング作品が多くなってきた。長時間の集中力と持続力が必要となってくる。明日も早朝から歌姫の美声によるBGMからスタートすることにしよう。画像はトップがモーツァルトの歌曲集のCDジャケット。下が最近お気に入りのオペレッタのアリア集のCDジャケットとボニーのいろいろなCD。

 

   

 

 


259.『河井寛次郎と棟方志功』展

2016-09-08 19:46:38 | 美術館企画展

先月24日。千葉市美術館で開催されていた『河井寛次郎と棟方志功』展を会期ギリギリに観てきた。毎度のことだが美術館での展覧会に行くのがいつもギリギリなのでブロガーの方々へのご案内にならない。事後承諾となってしまっている。それにしても千葉市美術館は良い企画展を開催している。浮世絵版画、若冲、蕭白など江戸の奇想絵画、近代版画などの企画展示などに目を見張るものがあるし、地理的にも工房から近いということで見たい企画の時には出向いている。

今回の二人の作家のコラボレーション展は「日本民藝館所蔵品を中心に」とサブタイトルがついている。日本民藝館は民芸運動の創始者として世界的に知られる柳宗悦(1889-1966)が創設し、その考えに賛同し、支えた個人作家の作品が収蔵されている。古陶磁の技法に精通した陶芸家の河井寛次郎(1890-1966)と国際的に評価され活躍した木版画家の棟方志功(1903-1975)は良き協力者として柳を実践面で支えた作家たちだった。そして二人は師弟の関係でもあった。

木版画家、棟方志功と言えば、僕たちの世代と、その上の世代ならば強烈な印象を持っているはずだ。牛乳瓶の底のような分厚い眼鏡をかけ、巨大な版木にしがみ付いて、すれすれに彫刻刀を振り回して制作する姿や、郷里である青森県の「ねぶた祭」で子供のように無邪気に踊る姿、そして独特の津軽弁で自作について熱く語るようすは1960年代から1970年代にかけて、よくテレビ画面で観ることができた。木版画を制作している人の多くが、その人生の中で一度は棟方作品の魅力に憑りつかれたに違いない。

僕も御多分にもれず版画青春期の頃、志功作品に憧れた一人である。1980年代ぐらいまでは美術館やデパートのギャラリーで棟方志功の木版画展がよく開催されていて足繁く通ったものだ。そして毎回その大画面の圧倒的な迫力と彫刻刀を絵筆のように自由自在に走らせるアドリブ表現に打ちのめされて帰ってきた。棟方氏は常に自作の版画を「板画(ばんが)」と名付け、板の上に刀で描いた絵画なのだと語っている。最も憧れるのはこのアドリブの部分で真似をしようと思ってもできるものではない。これまで氏に強く影響された木版画家は数知れずだが大抵「棟方調」に陥ってしまい乗り越えることができなくなるようだ。この表現にはそうしたアニミズム的な魔力が内包されているのだ。1960年代から1970年代にかけて棟方氏の大規模な回顧展がアメリカの美術館や大手ギャラリーで続けて開催された。その時に作品を観た当時のアメリカの現代美術の大家で抽象表現主義の画家であるウィレム・デ・クーニング(1904-1997)が「ムナカタの版画作品には我々が今、表現しようとしていることに共通したものを感じる」という意味のことを語ったという有名なエピソードがある。確かにデ・クーニングの初期のエナメルと油彩でキャンバスに描かれたモノクロームの抽象絵画(画像を下に掲載した)などはある時期の志功作品との類似性を見いだすことができる。そして二番目に憧れることはその膨大な作品数である。ちなみにピカソが素描や陶芸なども含めて生涯に残した作品数が約5万点と言われているが、志功の作品はその数ではるかに上回っているのだと言われている。おそらく起きている時間帯はすべてを制作に費やしていたのだろう。それも猛烈なスピードで情熱的に。あの小さな体のいったいどこにそんなにすごいパワーがあるのだろうか。

今回の展示内容に戻ろう。河井氏の古典技法と現代的な感性が融合したような陶芸作品も素晴らしかった。だが、どうしても版画制作者としては志功作品に目がいってしまう。そして志功がその生涯の師とした河井寛次郎がコレクションした作品が多い。当然ながら代表作が展示されているわけである。中でも木版画の連作『二菩薩釈迦十大弟子』は久々に十二点全て揃った状態を見ることができた。数十セットが摺られたが戦災などで消失してしまったため、いくつかの美術館などを除き12点全て揃っているものはとても少ないのだという。過日、テレビの美術品鑑定番組で個人コレクションによる12点が出品され、一億円の評価価格がつけられていた。この作品に関しては思い出もあり会場を二順し、さらにソファーに腰をおろしてじっくりと鑑賞させてもらった。

会場はそこそこ空いていてレストランでの昼食をはさみ、ゆったりと鑑賞することができた。僕にとって「棟方ワールド」はいつまでもたっても距離の縮まることがない憧れの表現世界なのである。画像はトップが棟方志功の木版画作品「大蔵経板畫柵」。下が向かって左から美術館入口、河井寛次郎の陶芸作品2点、棟方の木版画「二菩薩釈迦十大弟子」から4点、同じく「若栗の柵」、「倭桜の柵」、ウィレム・デ・クーニングの初期絵画作品2点(部分)、美術館外観。