長島充-工房通信-THE STUDIO DIARY OF Mitsuru NAGASHIMA

画家・版画家、長島充のブログです。日々の創作活動や工房周辺でのできごとなどを中心に更新していきます。

312. 運慶展を観る。UNKEI Exhibition 

2017-11-23 19:05:20 | 美術館企画展
昨日、22日。東京上野の東京国立博物館で開催中の「興福寺中金堂再建記念特別展 運慶」を観に行ってきた。とにかく「史上最大の運慶展」というキャッチコピーだけに会場は連日とても混んでいるという評判だった。先に観に行った友人、知人からはまず午前中から午後早くにかけてはチケットを購入するために長蛇の列に並ばなければならず会場に入ってからも混雑していてアナウンスに追い立てられながら観なければならないと聞いていた。
あまりに混雑するため博物館側の配慮で急遽、22日から最終日まで夜9時まで観られるようになったという。これは渡りに船と出かけたわけである。実はこの展覧会、個人的には一年以上前に企画が公表されてからとても楽しみにしていたもので今年のメインの美術鑑賞に位置付けていたのである。

夜間に美術館、博物館に来るのは初めてではないが、ここでは初めて。夕刻チケット売り場に到着したが空いていてすぐに購入できた。敷地内に入ると博物館の本館などの建築がライトアップされて美しく独特の雰囲気を放っていた。どうやら日中の混んだ時間帯とこれから夜間に訪れる時間帯のちょうど中間に来れたようで会場もまだあまり混んでいない。これはとてもラッキーだった。

今展で僕が是非ジックリと観ておきたい彫刻が3体あった。その一つ目は運慶が19才の時にプロの仏師としてデビューした記念すべき像とされている「国宝 大日如来坐像」である。この像には特別な想い出がある。今から遡ること35年前、まだ20代の美術学校の学生だった頃である。学校の行事で「古美術研修旅行」という奈良・京都の寺院などを巡って日本の古美術を見学して回る旅行があった。その中でちょうど奈良と京都の県境に位置する場所に円成寺という寺院がありここの仏像を拝観する機会があったのだ。それほど大きくない本堂は本尊の阿弥陀如来坐像を中心にして周囲にはいくつもの仏像が安置されていた。お堂の中は昼でも暗く、高等学校の社会科の先生でもあるというご住職が1つ1つの像の前に据え付けてある蝋燭台の蝋燭に順番に火を点していくのだが薄明かりにボウッと浮かび上がる古い仏像はなんとも言えない雰囲気があった。全ての像の蝋燭に火が点くととても美しく静寂な空間が現出したのだった。この中に「国宝 大日如来坐像」があったのである。解説で「運慶19才の時の作」と言われ、すでに23才になっていた僕はとても驚いたのである。そこには若い年齢を感じさせない完成度が高く厳しい形の彫像が座っていたのだった。

あの大日如来に再会できる。今回はそれだけでも良いと思ったぐらいだった。会場に入ると展示のトップがこの像だった。実に35年ぶりの対面である。あの薄暗い照明の寺院の中で観た印象とはかなり異なって見えた。お寺と違って周囲をグルリと回れるのでゆっくりと何周もしながら観た。全てを照らし出してしまう博物館の明るいライティングの中だと記憶より小さくも観えた。だが、その完成度の高さと形の厳しさは相変わらずであった。奈良、平安の仏像彫刻の伝統を踏まえながらも若い仏師運慶によるこれから新しい何かが生まれる予感さえも感じとることができた。

次に運慶の父で仏師の康慶の作品群が展示されていた。興福寺の「重文 四天王立像」同じく「国宝 法相六祖坐像」などである。どれも素晴らしい鎌倉期のリアリズム彫刻で今にも動き出しそうである。この写実的感性はやはり親譲りなのであろうと思った。ところが続いて運慶作の一体の像が登場し雰囲気がガラッと変わる。静岡、願成就院蔵の「国宝 毘沙門天立像」である。初めて観る像であまり大きなものではないが同じリアリズムでも父、康慶のそれとはかなり表現感が違って観えた。個性と言ってしまうとそれまでだが、それまでの伝統的作風のものから抜きん出たように観えるのである。近代的に言えば「モダン」という言葉に近い感覚なのだろうか。以後、展示会場を進むごとに運慶色が濃くなっていった。 
神奈川県・浄楽寺の大きく迫力のある「重文 阿弥陀如来坐像および両脇侍立像」と「重文 不動明王立像」。そして3年前に東京の美術館で展示され話題になった和歌山県・高野山金剛峰寺の「国宝 八大童子立像」の小さいながら丹精な造形の像などは目を見張った。このあたり時間をとって観て行った。

そして今回ジックリ観ておきたい彫刻の内、残り2体の像までたどり着いた。その像は奈良・興福寺の「国宝 無著菩薩立像」と「国宝 世親菩薩立像」である。2人とも西域からインド、中国を経て日本に伝来した「大乗仏教」の重要な実在の歴史的偉人である。無著(むじゃく)はインド名をアサンガといい4世紀・北インドのガンダーラ国出身の思想家。世親(せしん)はインド名をヴァスヴァンドゥといい4-5世紀・パキスタン出身の思想家である。どちらも大乗仏教の中心的な思想である唯識思想の教理的な基礎を築いた人である。日本には奈良時代に「法相宗」として伝えられた。つまり日本仏教にとっても欠かすことのできない重要な思想家たちなのである。

この二人の偉人の偉大さを表現するため運慶は新たに制作チームを組んで、それぞれ高さが2メートルという迫力のある彫刻として完成させた。会場で対にセットされている2体をジックリと観て行くと、とてもリアルな表情をしている。そして頭部の骨格がかなり的確に捕えられている。実際にモデルを目の前にして制作したのではないだろうか。比べて行くと無著さんの方が中国系の顔立ちをしていて世親さんの方が西域的な顔立ちに観えた。そしてグルッと回って観て気づいたことだが運慶の表現は背面がリアルなのである。これは上記した高野山の八大童子などもそうなのだが背中から肩、後頭部にかけての表情、プロポーションがとても写実的になっているのだ。もともと仏像はお堂の壁を背にしてセットされるのが常であるので正面性が強い。しかし運慶はこの普段観えない部分にもかなりこだわりを持って制作している。これはそれまでの像には観られないことではないだろうか。2人の偉人を背中から眺めてみた。俗に「背中がモノをいう人」というが、まさにそんな感じである。背を向けても何かを語りかけてくる。

今日の目標が観れて一息しながら会場をボーツと観ていた。それほど混んでいなかった会場にも仕事帰りの人々なのか夜の時間帯になって来場者が増えてきた。いくつも林立する彫像の周りを多くの人々がグルグルと歩きながら観ている光景がなんとも不思議な感じである。普段は信仰の対象としてそれぞれの像が安置されている寺院などで静寂な空間の中に存在しているものが明るい博物館に担ぎ出されてきている。その周りを初めて顔を観る大勢の来場者が忙しなく動き回ってるのである。このようすホトケ様の世界から観るとはたしてどんなふうに映っているのだろうか。

ここまででかなり堪能した。見応え十分であり大満足である。これ以外でも「慶派」と言われる運慶の弟子たちや影響を受けた仏師たちの彫刻も興味深いものが数多くあった。最後にもう一度会場を逆戻りしながら運慶の代表作を観てから会場を出た。上野公園を歩いているうちに雨が本降りになってきた。展覧会の興奮が残る中、いつもの御徒町の蕎麦屋で新蕎麦で焼酎を一杯飲んでから帰宅した。

※展覧会は今月26日の日曜まで。まだご覧になっていない方はこの機会に是非、足を運ばれてください。夜の時間帯が比較的空いていてねらい目です。

画像はトップが世親菩薩像のアップ。下が円成寺の大日如来坐像、浄楽寺の不動明王立像、願成就院の毘沙門天立像、無著菩薩立蔵、世親菩薩の背面のそれぞれのアップ(以上、展覧会図録より複写)。会場の看板など2カット、ライトアップされた東博の本館等2カット。


                      









311. 友、ミラノより来る!

2017-11-10 18:37:32 | 日記・日常
9月初旬の事。イタリアのミラノに住む古くからの友人である画家のS氏が帰国し当工房を訪れた。もっと早くに画像投稿しようと思っていたら個展やグループ展が集中してしまい11月になってしまった。

S氏と僕とは美大受験の頃、東京の同じ美術研究所に通っていた頃からなのでかれこれ40年来の付き合いとなる。その後、二人とも都内の美術の専門学校へ入学、お互い絵画造形科と版画科と科は違ったが同級生となった。友と書いたが氏の方が年齢は2つ上である。美術学校卒業後お互い副手(大学でいう助手)として学校に2年間残った。つまり研究所から数えて9年間同じ学校の傘の下にいたわけである。「腐れ縁」とはこういう事かも知れない。

S氏は努力と忍耐の人で学生の頃から卒業後イタリアの美術学校に留学すると決めていて語学学校などにも通っていた。こうと決めると他にはいっさいブレないタイプの人間である。副手の任期2年間が終了した美術学校の卒業制作展の時、彼の忘れられない言葉がある。銀座のギャラリーで学生たちの作品を陳列した後、打ち上げ会の会場へと向かう途中に話しながら歩いている時のことである。春からのお互いの動きなどを確認していると「俺はイタリアに骨を埋めるつもりで行く!長島は銀座辺りでウロウロしていてくれよ。ガッハッハッハ…」と豪快に笑いながら言っていた。いや、イヤミなんかじゃない。この人はいつもこういう冗談混じりの本気の言葉をかますのである。まだイタリア留学の試験も受けていない状態の頃だった。

その後、官費留学を狙い手続きをとろうとしたが「専門学校卒は規定外」と文部省にあっさり断られ、奮起したS氏は私費で直接受験しミラノの国立ブレラ芸術学院の絵画コースに主席でパスしてしまった。本当にブレないのである。イタリアのブレラ芸術学院と言えば全生徒数が約4000人、ヨーロッパでもっとも大きな芸術アカデミーである。世界中からアーティストを目指し学ぶために学生が集まってくるのだという。その後、何人かの友人知人も留学し風の便りに氏のようすは聞いていた。そして精進の末、卒業時も主席で終了した。卒業後は一緒に留学した奥さんと2人、ミラノに残って作品制作を続け発表し、作家活動を現在まで続けているというわけである。
展覧会や私用で時折日本に帰国するので何度か東京で待ち合わせて会って飲んだりした。だいたいいつもお互いに今、制作で抱えている問題やイタリアと日本のアート・シーンの情報交換になるのだが、その時も「時間の許す限り東京のギャラリーを回るのだ」といってたくさんの作品資料を抱えていた。「俺はイタリアに骨を埋めるつもりで行く! 長島は銀座辺りでウロウロしていてくれよ」の言葉が現実になり始めたのであった。

今回はひさびさの帰国である。前回会ったのは5-6年前に開催した氏の東京汐留での個展オープニング・パーティー会場だった。8月に帰国先の実家から電話があり「今回は漠然と会うのではなく長島の工房に行って版画についていろいろとアドバイスしてほしい」という。さらに「版画を教えるという枠で美術学院の教授にノミネートされそうなのだ」ということだった。珍しいな。でもおめでたい話だ。「だいたいのところは解ったので、資料やら道具を用意しておく」ということで電話を切った。

9月7日当日、工房の最寄の駅で待ち合わせ迎えに行くといつもと変わらないいでたちのS氏が待っていた。数年前に大病をしたと聞いていたので心配していたが顔色も良く笑顔の再会となった。工房に着いてしばらく世間話やお互いの現状などを話した。氏は現在、ブレラ芸術学院で講師として教鞭をとりながら作品発表を続けている。最近発表した個展の作品集(画像)2冊をお土産にくれたのだが会場の1つは古城のような雰囲気の美術館。また作家として契約しているミラノの企画ギャラリーはモジリアニやフォンタナといった巨匠を取り扱ってきたところで氏が新作の絵画の個展をするとオープン前に出品作の半数以上を画廊側が販売してしまうのだという。我が国の画廊状況とはずいぶん違うのである。深く感心するいっぽうだった。

しばらくしてから本筋である版画のレクチャー。「特に木版画と銅版画について詳しく知りたい」ということだったので、歴史的なことや技法の事、必要な道具などについて時間の許す限り伝えて行った。S氏は基本的に真面目で熱心な人なので質問も多くその都度足りない資料も出てきて2階の書棚を探すことになった。しかし制作者同士のこういうやり取りというのは楽しくもあり、あっと言う間に時間が過ぎて行った。話し合いが一段落した頃、氏がおもむろに「普通は同業の人間にはこんなに技法的なことなども教えないと思うけど、長島のおかげで版画の世界に視野が広がったよ、今回の帰国の一番の収穫だ」と言ってくれた。

夕刻、また元の駅まで見送るとこれも氏のいつもの挨拶で「じゃあまたな!お互い作品制作を続けていればまたすぐ会えるよ。一度ミラノにおいでよ、チャオ、チャオ-ッ!!」と言って笑顔で改札をくぐって行ったのだった。



画像はトップが当工房でのS氏と僕。下が向かって左から同じく工房でS氏との1カット、S氏のイタリアでの個展作品集からほんの一部。抽象画の大作(油彩画)なのでなかなか画像ではスケールや雰囲気は伝わり難い。



      

310.谷津干潟での『野鳥版画個展』終了いたしました。

2017-11-02 17:34:38 | 個展・グループ展
千葉県習志野市の国設鳥獣保護区・谷津干潟自然観察センターで9/17から始まり、1カ月半におよぶロング・ラン開催となった「長島充 野鳥版画展 日本の野鳥 in 谷津干潟」も終了しました。先日、搬出作業も無事すみました。
同センターでは6年ぶり、3回目の個展でした。今回同センターで初めて出品の大判木版画を含む48点の「野鳥版画」を展示いたしました。10月に入ってからは週末に2度の台風の襲来したにもかかわらず多くの人々に来場していただきたいへん好評の内に幕を閉じることができました。
野鳥ファン、版画ファン、センター利用者、友人、知人そして今回、新たにSNSで知りあいになった方々にも遠方や地元からご来場いただきご高覧いただきました。それからグッズのオリジナル野鳥絵葉書や絵本、版画作品もご購入いただいた方も多くいらしてたいへん感謝しております。ありがとうございました。版画作品をご購入いただいた方々、これから発送作業に入ります。足りない作品は新たに摺ったり額をオーダーするものもありますので今しばらくお待ちください。


普段画廊などで展示する数の約3倍近くの版画作品を展示できたことで僕自身も今までとは違ったものが見えてきました。会場にいる日に雨天ということもあったのですが、その時はシットリした空間で自作をじっくり観て次の作品展開を考える良い機会ともなりました。前のブログで『野鳥版画』とは「野鳥」と「版画」、僕が二つの思い入れのある世界を一つにした造語であるというお話をしましたが「たかだか野鳥、されど野鳥」まだまだこのテーマでやるべきことがいくつも見え始めています。新たな制作に向け、ちょっとワクワクしているところです。

いつも会場で感じることですが、搬入展示の作業はじっくりと時間をかけて悩みながら行いますが、撤去搬出するのは早く、あっと言う間です。今展の担当者のHさんといっしょに作品の撤去を行いましたが壁面から作品が降ろされてしまうとそれまで賑わいを見せていた会場は「も抜けの殻」となってしまい一瞬寂しい気持ちになります。作家というものは長い年月地中で生活し盛夏に羽化すると1週間ほど精一杯生きて終わる昆虫のセミの生態とよく似ています。
つまり、狭いアトリエで長い時間作品を制作し、明るい会場で発表できるのはほんの一瞬ということです。ただ、卵がまた産み付けられたのでまたアトリエに籠って新たな作品制作をコツコツと始めます。

搬出日の最後にA所長と担当レンジャーのHさんと館内のカフェで反省なども含めた話し合いを行いました。センター内でもとてもご好評をいただいたようで「また、やりましょう。次回は是非、二か月間」と言っていただきました。たいへん嬉しくありがたいことです。
来年以降、谷津干潟に関連のある団体をご紹介いただき東京の展示スペースでの巡回展の企画も持ちあがっています。これをバネにまた次のステージに1歩進んで行こうと思います。

ご来場、ご高覧いただいた方々、そしてこの貴重な発表の機会を与えていただいたセンタースタッフのみなさん、どうもありがとうございました。この場をお借りして御礼申し上げます。


画像はトップが搬出作業の済んだ会場風景。下が向かって左から同じく搬出作業の住んだ会場風景、観察センター内風景、観察センターから眺めた夕刻の干潟風景2カット。