長島充-工房通信-THE STUDIO DIARY OF Mitsuru NAGASHIMA

画家・版画家、長島充のブログです。日々の創作活動や工房周辺でのできごとなどを中心に更新していきます。

292. 五月の谷津干潟と個展の打ち合わせ。

2017-05-30 19:06:22 | 野鳥・自然
今月5日。久しぶりに習志野市の谷津干潟鳥獣保護区に行ってきた。今秋、9月から10月にかけて一か月半『日本の野鳥』と題した版画の個展を開催する予定である。この日はセンター・スタッフの方々との展示やワークショップの打ち合わせも兼ねている。

5月のこの時期の谷津干潟と言えば、旅鳥のシギ・チドリ類の春の渡りの最盛期である。例年だと少なくても3-4回は通っているところだが、今年はいろいろと仕事が重なってしまったので結局この日一日しか行けなかった。そしてその半分は仕事である。

スタッフの方々との打ち合わせが午後の3時からなので正午前までに干潟に着き、しばらくシギ・チドリ類の観察をすることにする。ところが、この日の干潟は潮回りもあまりベストではなかったのだが、干潟に着いて双眼鏡で全体を見渡すと鳥たちの姿がない。
ちょうど鳥仲間のT氏が四阿にいたので尋ねると午前中に猛禽類のハヤブサが出現し、かき回したため干潟面に降りて採餌していたシギ・チドリ類は東京湾方面に一斉に飛んで非難してしまったということだった。

仕方がないので淡水池に移動して水鳥を観察する。数日前までは主に旅鳥として春と秋に日本に立ち寄るカモ科のシマアジ♂が入っていたようだが、すでに移動してしまったようだ。この池で常連のセイタカシギなどを観察する。セイタカシギと言えば20代の頃、江戸川河口近くに広がる妙典の蓮田で初めて出会った思い出の水鳥である。その時には白と黒の羽色のコントラストとピンクが美しい長い脚という独特な姿に、とても感動し興奮して双眼鏡を持つ手が震えていたのを憶えている。現在、東京湾周辺の水辺では毎年、繁殖活動が観察され、よく見かける種類となった。

打ち合わせの時間が近づいてきたので観察センター内に入館する。顔なじみのスタッフのH女史、K女史が出迎えてくれた。挨拶も早々、秋の個展とワークショップの打ち合わせとなる。版画個展については谷津干潟で観られる野鳥を彫った作品を何点か含めるという希望があり、会期に行うワークショップについては谷津干潟に生息する鳥類を中心に題材とした消しゴム版画を制作することで決定した。その他、ポスターやフライヤーの印刷やプレスリリースの件なども話し合った。打ち合わせ後、干潟の鳥たちの状況などをうかがっているうちにあっという間に閉館時間となった。

二人と別れてからシギ・チドリ類が戻ってきているかも知れないと思い干潟に戻る。案の定、ハマシギの群れが干潟の外から飛翔して戻ってくるのを確認する。腰を据えてジックリ観ようといつものポイントに三脚をセットし、望遠鏡で観察をし始める。
干潟の端からよく観て行くとハマシギ意外にダイゼン、キアシシギ、オオソリハシシギなど常連組が入ってきていた。しばらくすると頭上から"ホイ、ピピピピピピ…”と聞きなれた声が落ちてくる。チュウシャクシギの小群が入ってくる。スマホを見ると17:35。塒入りの始まりである。夢中になって観ていたが、気が付けば夕暮れ近くとなり周囲には誰もいない。ボチボチ、店じまい。名残惜しいが干潟の鳥たちに再訪を誓って帰路に着いた。この日観察できた野鳥はスズメやカラスも含めて34種だった。

画像はトップが淡水池で観察したセイタカシギ。下が向かって左から同じくセイタカシギ1カット。干潟の風景3カット、ハマシギ、オオソリハシシギ2カット、チュウシャクシギ1カット。


                   

291. 青木画廊開廊55周年記念本『一角獣の変身』刊行記念展

2017-05-22 19:18:01 | 個展・グループ展
20日。東京銀座三丁目の青木画廊で開廊55周年を記念して2年半がかりで企画出版された記念本『一角獣の変容』の刊行記念展がオープンした。この日は、掲載され今展に出品した作家同士のサイン会も行われるということで出品作家の1人として午後から銀座に向かった。午後4時過ぎに遅れて会場に着くと溢れんばかりの関係者と祝いのワインの臭いで満ち溢れていた。

青木画廊は1961年に先代の青木外司(あおきとし)氏の頃から今日まで国内外のシュールレアリズム、幻想美術の作家を、目まぐるしく移り変わる現代の美術やその流行の中で左右されることなく一貫して企画、紹介してきた稀有な画廊である。まさに「日本アート界のレジェンド」と言っても過言ではないだろう。

その画廊の企画展の歴史、軌跡、数多くのアーティストたちと作品群は画廊のホームページや今回の分厚い記念本を手に取ってご覧いただけば理解できるのでここでは省略する。

そもそも僕がこの画廊に通いだしたのは20代の初めだったので、彼是36年前まで遡る。1980年代当時、ウィーン幻想派やドイツのカール・コーラップ、ホルスト・ヤンセン、シュレーダー・ゾンネンシュターンといった個性的で魅力的な画家たちの企画展を開催し、詩人で美術評論家の滝口修造やフランス文学者の澁澤龍彦が訪れる画廊としても美術界でよく知られていた。「みずゑ」という美術雑誌の裏表紙には青木画廊の広告がその月の個展の画家の作品写真と共にいつも掲載されていた。

そう、僕にとっては雲の上の憧れの画廊であった。その後、美術学校を卒業し、版画により作品を発表し続けていたが、それから18年後にこの画廊でドローイングの個展を開催するとは夢にも思っていなかった。一度は筆を折り二度と描くことはないと思い込んでいた絵画作品を「うちで版画ではなく絵を描いて発表してみなよ」と言って描くように薦めていただき、発表の機会を与えてくださったのも現オーナーの青木径(あおきけい)氏である。以後、グループ展への参加や個展での新作発表を通してずっとお世話になり今日に至っているというわけである。

今回、記念本の中で一番年長者は親の世代の方もいらっしゃる幻想絵画の諸先輩たちに交じって作品写真やアトリエでの写真、個展リーフレットでの紹介文など分厚くディープな内容の中でチラチラと登場させていただいている。画廊の55周年もたいへんなことだが、僕にとってのこの画廊での18年というのも灌漑深いこととなってきている。
青木画廊のような画廊は他には存在しない。是非、今後も60周年、65周年を目指し、古より、いつの時代にも存在し続けてきた幻想美術を企画紹介し続けていってほしい。ますますその存在意義が大きくなっている画廊に感謝と乾杯!!

展覧会は6月2日(金)まで。記念本の『一角獣の変身』は大手書店、amazon、画廊ホームページよりご購入いただけます。青木画廊のアドレスは以下の通り。

東京都中央区銀座3-5-16 島田ビル2F&3F http://www.aokigallery.jp

美術ファン、幻想美術フアンの方々、是非この機会に展覧会を観てください。そして画廊のメモリアルである素敵な記念本を御手に取って見てください。

                        





290. 絵本の制作が佳境に入る。

2017-05-11 19:27:29 | 書籍・出版
そろそろ初夏を迎える。新緑が美しい季節。こんな時期の天気の良い日は思いっきり屋外に出てアウト・ドアーを楽しみたいものである。ところが最近の僕は毎日工房に閉じ籠って机に向かい絵の仕事をしている。と、言うのも一昨年、依頼のあった絵本の仕事が佳境を迎えているからである。原画の入稿が来月の中旬と迫ってきている。

僕のようにフリーランスで絵画や版画の制作をしていると、画廊やデパートなどでの作品の発表意外にも、いろんな仕事をこなさなければ生活が成り立たない。これまでも絵と版画にかかわる仕事に関してはは大抵のことはやってきた。
その中で出版に係わるものも、雑誌の単発のイラスト、絵や版画と文章による連載、作家の文章への挿画、書籍のカヴァーデザイン、そして今回のような絵本制作と多種多様な内容である。自分でもよくこなしてきたと最近では感心している。

その中で、特に絵本の制作というのは長いスパンの仕事となる。編集部の企画から始まって、それを受けての絵コンテ制作、打ち合わせ、さらに仕上がりに近い形でのラフ・スケッチの制作、修正内容等、編集部とのやりとりが頻繁になり、ようやく原画制作のGOサインが出るのである。ここからは辛抱強く各ページを追って丁寧に絵を仕上げて行くことになる。
この仕事を一度でも受けたことのあるエカキならば大体想像がつくと思うが、いったいどの程度の仕事量かというと、最低でも30ページ前後の絵を描かなければならないので「絵画や版画などの新作個展を画廊で一回、開くぐらいの内容」となるだろうか。エカキが新作個展を開くには1年半から2年ぐらいは作品を描き貯めることになるので、手間暇としてはそのぐらいはかかっているだろう。

今回の絵本は「人間の生活圏の極く近くで生きるスズメたちの家族」がテーマとなっている。文章は鳥類の研究者でスズメが御専門のM氏によるものだ。昨年末頃、A社編集部を通して途中までの絵の画像をM氏に中間報告として見せてもらったところ「大変好評をいただいて仕上がりをとても楽しみにしてくださっている」という答えが返ってきたので少し安心した。

今週に入ってようやく全ページの絵に着彩の手が入った。あとは入稿〆切までそれぞれのページの絵にどこまで完成度を上げていかれるかが勝負である。まだ少し独房生活が続きそうだ。好きなアウト・ドアーに出かけるのは我慢である。

絵本の出版は来年の4月となる予定である。宣伝期間などのため早い入稿になっているのだ。またその時にはブロガーのみなさんやSNSの友人、知人のみなさんにお知らせすることにしよう。

画像はトップが最終ページを制作中の仕事机のようす。下が向かって左から提出した2回目の絵コンテの一部、修正の入ったラフ・スケッチ2カット、本画の中の1ページ、仕上がってきた原画の一部を並べたところ、水彩と合わせて原画制作に使用している色鉛筆。


                   








289. 『バッハ弾き』 その(一)/ J.S.Bach・Clavier Music   

2017-05-04 18:45:38 | 音楽・BGM
J.S.バッハの曲で好きなジャンルの曲として以前投稿した「無伴奏チェロ組曲」や「無伴奏ヴァイオリン組曲」と並び、クラヴィーア曲の数々を挙げることができる。バッハのクラヴィーア曲といえば、クラヴィコードとクラヴィチェンバロのいずれかのために作曲された曲を指す。
代表的な曲目の邦題を挙げると「平均律クラヴィーア曲集・第1集、第2集」「インヴェンションとシンフォニア」「フランンス組曲」「イギリス組曲」「パルティータ」「半音階的幻想曲とフーガ」「イタリア協奏曲」「ゴルトベルグ変奏曲」などがその代表的なもので今日でもしばしば演奏されているものだ。

そして、今回のタイトルである『バッハ弾き』とはこれらの曲を演奏するソリストたちのことを指している。この一群のクラヴィア曲の全曲録音を達成したソリストは過去に何人もいるが、特筆すべきはなんといってもカナダ出身の天才ピアニスト、グレン・グールド Glenn GOULD(1932-1982)の存在だろう。主に現代ピアノによる演奏だが、バッハの音楽思想に強く共感し独自の解釈と演奏方法により数多くの素晴らしい録音を残した。あのバッハ弾きの大家であるリヒテルをして「バッハの最も偉大な演奏者」と言わしめたのだった。
そして、「未知の地球外的知的生命体への、人類の文化的傑作」として宇宙船ボイジャー1号、2号にゴールデン・レコードとして搭載されたことでもよく知られている。

グールドの演奏は素晴らしい、グールド抜きにバッハのクラヴィア曲は語れない。僕自身も20代のLPレコード時代からグールドのバッハを繰り返し聴き続けてきた。その音は今聴いても鮮度を失わないどころかいつも新鮮に響いている。だが、あまり長い期間聴き続けていると他のバッハも聴いてみたくなるというのも人情というものである。それは他のジャンルの愛好家、美術愛好家や文学愛好家でも同じことが言えるのではないだろうか。

というわけで、今回からの投稿となるこの『バッハ弾き』はグールド以外のソリストのものを取り上げて行きたいと思いキーボードに向かったわけである。

第1回目として登場していただくのはオランダ出身のチェンバロのマイスター、グスタフ・レオンハルト Gustav LEONHARDT(1928-2012)である。この人のバッハへのこだわりも並大抵のものではない。元々、このクラヴィア曲群は古楽器であるチェンバロなどのために作曲されたものなので、その演奏は王道中の王道と言っても過言ではないだろう。
1950年、ウィーンにおいてバッハの「フーガの技法」を演奏してチェンバロ奏者としてデビューするが、その後、指揮法を学んだり、教会のオルガニストとして務めたりもしている。そして鍵盤楽器奏者として職人気質なのかと思いきや指揮、教育そして楽理研究にも熱心であり、特にバッハに関してはほとんどのジャンルの曲を研究対象とし、未完成とされていた器楽曲などを「完成された曲」などとして発表したことでも知られていて「現代のバッハ」などと呼ばれている。

レオンハルトの演奏の根底には美や真実への洞察力、調和の感覚、知性と衝動の均衡がある。そして楽器は手段に過ぎないとして、音響装置や装飾音ばかり取沙汰にする現代のクラシック界を嘆いていたとされている。グールドもそうだが対照的な古典主義者ともいえるレオンハルトも、かなりなこだわりの人である。この後、ご紹介するソリストも含めて『バッハ弾き』というのは一言で言って「頑固で変わった人」が多い。

最後にレオンハルトの演奏哲学を良く表している言葉を一つご紹介しよう。

「作曲された時代の人々の確信と理想をつかむことが、音楽家として確信を持って演奏することに繋がるのです」

まだ、レオンハルトのバッハを聴いたことがないという方々、その古典的な美しさと品格を併せ持つ音を是非、一度聴いてみてください。
画像はトップがレオンハルトの肖像画像、下が向かって左からバッハの肖像画、最近お気に入りのグールドのバッハアルバム、レオンハルトのバッハのCDアルバム3枚。