長島充-工房通信-THE STUDIO DIARY OF Mitsuru NAGASHIMA

画家・版画家、長島充のブログです。日々の創作活動や工房周辺でのできごとなどを中心に更新していきます。

370. 久々にジャズのライブ・ハウスに行く。

2019-05-25 18:33:32 | JAZZ・ジャズ


4/12~5/6に開催していたしていた千葉県市川市の公立美術館、芳澤ガーデンギャラリーでの個展会期中、地元のジャズ・ライヴハウス「h.s.trash」に3回通った。

市川という街は僕の生まれて育った故郷であり、途中東京で下宿などもしたけれど20代後半まで住んでいた。久々に個展の打ち合わせや個展会期に行ってみると「浦島太郎状態」でもあるのだが、実家があった場所や子供のころ遊んだ場所、母校などがとても懐かしく思われた。そして10代の後半からお酒とジャズにはまってからはいろいろなお店に通ったのだった。僕が通った1970年代の後半から1980年代の市川はジャズがさかんな街でもあり、往時、勢いのあった頃は13件以上のジャズ関係のお店があったのだった。それが現在では4軒程に激減してしまいライヴを行っている店は今回ご紹介する「h.s.trash」と、もう一軒のみ。まさに隔世の感ありと言ったところである。

最初にこの店に入ったのは今から実に40年前のことになる。当時、美大浪人をしていて、その浪人仲間と2人で重い店のドアを開けたのである。なぜかジャズ屋の扉と言うのはみんな分厚くて重たい。確か記憶では友人の下宿で一杯飲んできた勢いだったように思う(まだ未成年だったのにねぇ、もはや事項だろう)。その頃はライヴハウスではなくてカウンターのある「ジャズ・バー」的な雰囲気の店だった。カウンターに二人で座るなり当時、雇われ店長だったK氏に年齢と今何をしているのかを尋ねられ「浪人生のクセにこんな店に来るなーっ!!」と怒鳴られてしまった。この時にかかっていたLPが忘れもしないトランペットのテッド・カーソンのリーダーアルバム " ジュビラント・パワー " というアルバムだった。なんと形容したらよいか思いつかない、それまで聴いたことがないブリリアントな音だった。このK氏の一言とカーソンのLP、そして店内の「大人な雰囲気」が気に入ってしまい以後、不定期に通ったのだった。

そして何年か通う間に店長や店員の方々も入れ替わって行った。その都度に「本当のマスターはどこにいるの?」と尋ねると「今、インドからネパールを旅しています」とか「アフリカに取材旅行に行っています」とか「北欧に出かけています」といった答えが返ってきた。さらに「マスターはいったい何者なの?」と尋ねると「本人は旅人と自称しています」などと言う答えが返ってくるのだった。ここのマスターは変わり者である。まぁ、「ジャズ屋のオヤジ」というのは大概変わり者である。僕がこの店に通い始めてリアルマスターに会えたのは結構、時間が経過してからのことである。以来、僕は陰でこのマスターのことを「フーテンのクマさん(本名がオオクマさんだから)」と呼んでいるのである。

以前はシンプルに「trash・トラッシュ(がらくた)」という店名で場所も今とは異なりJRの駅をはさんで反対口にあった。このお店も今年で開店45周年を迎えたのだという。そういうこともあり先月と今月にお店に3回顔を出し、ライヴも2回聴きに行ったのである。

先月行った1度目はベテランのサックス奏者、佐藤達哉氏と若手の注目ピアニスト永武幹子さんのデュオ。ソニー・ロリンズの名曲からスタートしたライヴ演奏はテナーとソプラノという2種類のサックスを使い分ける佐藤氏の円熟したパワフルなプレーと、この店のマスターが「天才肌」と太鼓判を押す永武さんのバド・パウエルを連想する音がスリリングに絡み合い素晴らしい内容だった。永武さんの弾きながらメロディーを歌うところがまたパウエルっぽくてカッコいい。

今月初め2度目はヴォーカルの井手理夏さんとベテランのベース奏者、大西慎吾氏、ピアノの杉山美樹さんのライヴ。井手さんのハスキーなヴォイスは相変わらず心地よく素敵だった。最近ではジャズとロックの融合したヴォーカルを目指しているとのことでビートルズやエリック・クラプトンの曲のカヴァーなども聴かれて嬉しかった。大西氏のズシリと重く渋いベースと杉山さんのスインギーなピアノもとても心地よかった。

久々にかつて「古巣」だったお店に通って懐かしくもあり、まだ頑張って営業していることが嬉しくもあった。

東東京方面、千葉方面にお住まいのジャズ・ファン、音楽ファンのブロガーのみなさん、是非一度、週末のライヴに出かけてみてください。お店の詳細は以下のとおり。

ジャズ ライヴハウス " h.s.trash " 千葉県市川市市川 1-3-20 tel:047-323-5066 http://red.zero.jp/h.s.trash 

画像はトップがお店の看板。下が向かって左からお店の看板、2回のライヴのようす、店内の僕とマスター等。



               








369. 『ライヴ・プリンティング② 木口木版画を摺る』

2019-05-14 17:22:30 | イベント・ワークショップ
前回の投稿内容である個展終了の御知らせと時系列が逆になってしまった。

4/12~5/6まで開催された千葉県市川市の公立美術館、芳澤ガーデンギャラリーでの個展『長島充 - 現実と幻想の狭間で - 』の会期中、5/4(土)に関連イベントとして『ライヴ・プリンティング② 木口木版画を摺る』というタイトルで版画の解説トークと摺りの実演を行った。前回、4/20(土)に好評のうちに行った『ライヴ・プリンティング① 銅版画を刷る』の姉妹編とも呼べる内容である。
このようなワークショップ的とも言える版画の摺りの実演を美術館や公共施設で行うようになったのは15年以上前からだと思う。イベントの機会をいただき度に行ってきた。


何故、このようなことを続けているかというと我々、版画の制作者というのは個展などの会場で常に来場者から技法についての説明を強いられる。例えば「銅版画というのはどのように彫って、刷っているのですか?」「木口木版画って、普通の木版画とどこが違うんですか?」等と言う内容である。
版画の中でも板目木版画は日本人には「浮世絵」や「年賀状」のイメージが強くその技法内容も一般の人たちには想像しやすい。それに対して西洋から輸入された版画である銅版画や木口木版画、リトグラフ、シルクスクリーン等の版画技法は一般の人たちにはほとんど知られていないと言っても過言ではないだろう。
なので、版画の展覧会場では版画家は技法の質問に対しての説明にかなりの時間を割かなければならない。絵の内容は二の次ということも多いのである。

このことは、版画家、版画商、版画関係者がその普及を怠ってきたということもあるのではないだろうか。そこで甚だ微々たる歩みではあるが私個人としても、より多くの人たちに版画芸術の魅力を理解していただこうとこうした実演活動を続けているのである。勝手に「版画辻説法」と名付けている。

今回のイベントも前回同様に美術館のロビーで13:00からスタートしたのだが、参加希望者の方々はすでに12時頃から集まって来ていた。前回の銅版画もたいへん好評をいただいたのだが今回も第一回目は70名程の参加者が集まった。

初めに解説トークとして木口木版画の西洋での歴史と技法、代表的な作品のコピーなどを説明と合わせて観ていただく。「版画紙芝居」である。それから版木の材質や彫りと摺りの道具の説明を実物を見ていただきながら行う。そして15年前に偶然知り合った、昭和30年代まで木口木版画の職業彫り師として活動していたF氏から譲り受けた「小刀(こがたな)」と呼ばれる彫刻刀や実際に広告のイラストレーションとして使用された版木などを紹介した後、実際に摺って見せる。その後、自分が制作した木口木版画の「野鳥版画」や「蔵書票版画」を摺って見せた。

1回のトーク&実演が40-50分だったろうか。30分の休憩をはさみ2回目も同じ内容で行った。この時は20名から30名の参加者だった。前回の銅版画の実演と合わせトータルで約200名近くの方々が参加されたことになる。まだまだ微々たる歩みではあるが少しでも版画の魅力を感じてもらうきっかけができれば幸いである。

今後も機会があれば、可能な限り「版画辻説法」を続けて行きたいと思っている。今回、僕の提案に賛同していただいた美術館関係者の方々、会場設営をしていただいたボランティアスタッフの方々、そして熱心な参加者の方々にこの場をお借りしてお礼申し上げます。ありがとうございました。

画像は高校のクラブの後輩でカメラの腕がプロなみのUGA氏に撮影していただいたカットから使用させていただいた。




                           


368.個展『長島充 - 現実と幻想の狭間で - 』 終了しました。

2019-05-08 17:50:02 | 個展・グループ展
市川市芳澤ガーデンギャラリーで4/12~5/6まで開催された個展『長島充 - 現実と幻想の狭間で -』もおかげさまで盛会の内に終了いたしました。

大型連休が入って長期の旅行に行く方、家で休養する方などが多く、入館者がどちらに転ぶか心配していましたが連日多くの方々が入館され、さらにみなさんとても丁寧に時間をかけてご高覧いただきました。用意した芳名帳には600名の方々が記帳され美術館側の記録では2350名の方々の入館が記録されたようです。入館者のうち最も多かったのは初めてリアルで僕の作品をご覧になる方々で、このこともとても開催して良かったと思っています。

僕自身、普段は画廊や公共空間等、発表する場所も変えている「写実(野鳥版画)」と「幻想(銅版画や絵画等)」の2つの表現の作品群を始めて同一空間に展示しましたので、どのように見えるのかとても気がかりでしたが「別に違和感はない」「一人のアーティストの表現として繋がって見える」などのご感想を多くいただきホッと胸を撫で下ろしているところです。

それから関連イベントとして2日に分けて行った『ライヴ・プリンティング(版画の摺りの実演)』も2回とも満員御礼状態で大好評のうちに行うことができました。作家としても多くのみなさんに喜んでいただけて幸いです。

画廊での個展、公共空間での個展、いつも最終日に思うのですが、展覧会が終了していざ会場を立ち去る時、とても切なく寂しい気持ちになります。ある音楽家の言葉に「音楽は演奏し終わると空中に消え去ってしまうものだ…」という有名なものがあります。CDなどの記録媒体というものは会場の空気感や雰囲気までは再現できません。音楽のように演奏時間のスパンは短くはありませんが美術の展覧会も終わってしまえば何てことはありません。こちらも画集やポストカードなどの印刷物はリアルな展示空間とは別物です。これを「一刹那」「無常」とでも言うのでしょうか。人は皆、そのような時間を生きて活動しているのだなとしみじみ思います。唯一残るとしたらその展示空間にその時に僕といっしょに作品をご覧いただいた方々の記憶と心の中に焼き付いた映像だけということになるのでしょう。

最後にこの場をお借りしてこの個展を企画し開催していだいた美術館スタッフの皆様、会場に当番でつめていただいたボランティアスタッフの皆様、そして御来館いただいた多くのみなさんに感謝いたします。ありがとうございました。

個展やグループ展というのは通過点。みなさん、また次の未知のポイントでお会いしましょう。


画像はトップが最終日に会場で挨拶をする僕。下が最終日の美術館のようすと会場での僕。