今月26日。東京、上野の国立科学博物館で開催中の南方熊楠生誕150周年記念企画展『南方熊楠 - 100年早かった智の人 - 』を観に行ってきた。
午後遅くに会場に着いたのだが、平日の午後だというのに来場者がけっこう多い。1フロアーの1室を使用したさほど広くはない会場は熊楠の幼少時、学生時代、アメリカ各地やロンドンの留学時代、帰国後の熊野での研究期、といった時系列に分かれた展示や採集調査の標本や論稿、資料、人文研究についてのコーナーなど順を追って観て行ける構成となっていて解り易い。
僕が我が国を代表する生物学者、博物学者、民俗学者である南方熊楠(1867年-1941年)とその研究内容について知ったのは1990年代、前のバブル期のことだった。中沢新一氏の著作「森のバロック」(読売文学賞受賞作)の南方熊楠論や松居竜吾氏の著作「南方熊楠 一切智の夢」(小泉八雲賞奨励賞受賞作)を読んだことがきっかけだった。そしてちょうどこの時期、30年前に科学博物館で熊楠氏の大きな企画展示があったのだが、なんとこれを観そびれてまった。なので今回は、どうしても観たかったので時間を作って出かけたというわけである。
熊楠氏の生物学の主な対象となっているのはコケ類、地衣類、シダ類、藻類、菌類、そしてその代名詞ともなっている不思議生物の粘菌類(変形菌類)といった地味な隠花植物(現在は死語)であるが、今回の展示の中でも特に目をひくのは自ら制作したそれらの数多くの標本類と水彩絵の具によるスケッチ画であろう。これらの標本は実に丁寧に作られていて整理されていたようで制作技術も高かったと言われている。それでも制作してから100年以上経っているものもあるので台紙も含めてかなり傷みの激しいものもあり、むしろそのことが独特な雰囲気を醸し出してもいた。当時としては最高級の英国製水彩絵の具を使用して描かれたスケッチ画はまるで、つい昨日描かれたように新鮮な色彩のものもあった。エカキである僕はやはりここに時間を割いて観賞したのである。熊楠自身は生前に「自分は絵を描くのは得意ではないが必要にせまられて描いている」という意味のことを語っていたらしいが、どうしてどうしてスケッチ画は野外観察者としてのリアルな視線を感じ取ることができ、かつ美しい。
じっくり一回り観て1時間強ほどだった。一旦会場を出て別の階の小さな部屋で現代の研究者による「地衣類」の展示を観る。再度、熊楠展の会場入り口に戻ると今日のもう一つの目的、博物館学芸員によるギャラリー・トークの集合時間となった。入り口には続々と来場者が集まり、あっという間に溢れんばかりとなった。やはりテンギャン(和歌山弁で天狗のこと。生前、奇行の多かった熊楠氏につけられたあだ名)先生は人気があるんだなぁ。T氏という担当学芸員は和歌山の「南方熊楠顕彰会」のメンバーでもある。当然、熊楠については詳細にわたりスペシャリストなのである。もう一度同じ順路でゆっくりと解説を聞きながら会場を移動して行くのだが、とても解り易い説明内容であり、これまで知らなかった興味深い話題も多く参加できて良かった。
大正から昭和の初めにかけて、日本では前人未到の生物学研究を成し遂げた熊楠氏だが我が国では人文的著書は出版されてはいるが、生物学のきちんとした論文や出版物は出されなかったのだという。意外な気もするが、芸術もそうだが、昔から今も変わらない日本の学界の体質というものが垣間見られたような気がした。それでも、気が遠くなるような膨大な量の資料を残して逝ったのである。今回の展示だけでも溜息が出るようなものだが、熊楠氏が遺した全ての資料からすれば氷山の一角であろう。
熊楠氏は生涯にわたり定職を持たず自らの研究に没頭したとされている。当の本人はもちろん偉大であるが、あの時代、生物学やら博物学など軽んじられて見られていた頃に、その熊楠氏の才能とビジョンを理解し信じ、経済的、精神的に支え続けた南方家の人々の姿勢は立派であると思う。そして特に実弟の常楠氏に至ってはアメリカ遊学、ロンドン留学の資金を全て援助していたのだという。その金額は今の金額にして約1億円に相当するのだということだ。偉大な人物、偉大な功績の陰には立派な理解者、スポンサーがいるということだろう。
展覧会は3/4まで。熊楠ファン、生物学好き、博物学好きの方々、この機会に是非お見逃しなく。会場で熊楠ワールドの濃密なオーラを感じ取ってください。
画像はトップが科博の企画展入り口。下が展示物の数々と会場風景。
午後遅くに会場に着いたのだが、平日の午後だというのに来場者がけっこう多い。1フロアーの1室を使用したさほど広くはない会場は熊楠の幼少時、学生時代、アメリカ各地やロンドンの留学時代、帰国後の熊野での研究期、といった時系列に分かれた展示や採集調査の標本や論稿、資料、人文研究についてのコーナーなど順を追って観て行ける構成となっていて解り易い。
僕が我が国を代表する生物学者、博物学者、民俗学者である南方熊楠(1867年-1941年)とその研究内容について知ったのは1990年代、前のバブル期のことだった。中沢新一氏の著作「森のバロック」(読売文学賞受賞作)の南方熊楠論や松居竜吾氏の著作「南方熊楠 一切智の夢」(小泉八雲賞奨励賞受賞作)を読んだことがきっかけだった。そしてちょうどこの時期、30年前に科学博物館で熊楠氏の大きな企画展示があったのだが、なんとこれを観そびれてまった。なので今回は、どうしても観たかったので時間を作って出かけたというわけである。
熊楠氏の生物学の主な対象となっているのはコケ類、地衣類、シダ類、藻類、菌類、そしてその代名詞ともなっている不思議生物の粘菌類(変形菌類)といった地味な隠花植物(現在は死語)であるが、今回の展示の中でも特に目をひくのは自ら制作したそれらの数多くの標本類と水彩絵の具によるスケッチ画であろう。これらの標本は実に丁寧に作られていて整理されていたようで制作技術も高かったと言われている。それでも制作してから100年以上経っているものもあるので台紙も含めてかなり傷みの激しいものもあり、むしろそのことが独特な雰囲気を醸し出してもいた。当時としては最高級の英国製水彩絵の具を使用して描かれたスケッチ画はまるで、つい昨日描かれたように新鮮な色彩のものもあった。エカキである僕はやはりここに時間を割いて観賞したのである。熊楠自身は生前に「自分は絵を描くのは得意ではないが必要にせまられて描いている」という意味のことを語っていたらしいが、どうしてどうしてスケッチ画は野外観察者としてのリアルな視線を感じ取ることができ、かつ美しい。
じっくり一回り観て1時間強ほどだった。一旦会場を出て別の階の小さな部屋で現代の研究者による「地衣類」の展示を観る。再度、熊楠展の会場入り口に戻ると今日のもう一つの目的、博物館学芸員によるギャラリー・トークの集合時間となった。入り口には続々と来場者が集まり、あっという間に溢れんばかりとなった。やはりテンギャン(和歌山弁で天狗のこと。生前、奇行の多かった熊楠氏につけられたあだ名)先生は人気があるんだなぁ。T氏という担当学芸員は和歌山の「南方熊楠顕彰会」のメンバーでもある。当然、熊楠については詳細にわたりスペシャリストなのである。もう一度同じ順路でゆっくりと解説を聞きながら会場を移動して行くのだが、とても解り易い説明内容であり、これまで知らなかった興味深い話題も多く参加できて良かった。
大正から昭和の初めにかけて、日本では前人未到の生物学研究を成し遂げた熊楠氏だが我が国では人文的著書は出版されてはいるが、生物学のきちんとした論文や出版物は出されなかったのだという。意外な気もするが、芸術もそうだが、昔から今も変わらない日本の学界の体質というものが垣間見られたような気がした。それでも、気が遠くなるような膨大な量の資料を残して逝ったのである。今回の展示だけでも溜息が出るようなものだが、熊楠氏が遺した全ての資料からすれば氷山の一角であろう。
熊楠氏は生涯にわたり定職を持たず自らの研究に没頭したとされている。当の本人はもちろん偉大であるが、あの時代、生物学やら博物学など軽んじられて見られていた頃に、その熊楠氏の才能とビジョンを理解し信じ、経済的、精神的に支え続けた南方家の人々の姿勢は立派であると思う。そして特に実弟の常楠氏に至ってはアメリカ遊学、ロンドン留学の資金を全て援助していたのだという。その金額は今の金額にして約1億円に相当するのだということだ。偉大な人物、偉大な功績の陰には立派な理解者、スポンサーがいるということだろう。
展覧会は3/4まで。熊楠ファン、生物学好き、博物学好きの方々、この機会に是非お見逃しなく。会場で熊楠ワールドの濃密なオーラを感じ取ってください。
画像はトップが科博の企画展入り口。下が展示物の数々と会場風景。