●訃報 Obituary
柳生 博氏(1937-2022)/Hiroshi YAGYU 俳優、司会者、作庭家、日本野鳥の会名誉会長 Japanese Acter, Honorary Chairman of the Wild Birds Society of Japan.
4/16(土)、俳優、司会者、作庭家で我等が日本野鳥の会名誉会長の柳生博氏が老衰のため85歳で他界された。21日から、山梨県北斗市にある氏の運営する公共刷設・ギャラリー・レストランの「八ヶ岳倶楽部」の公式ホーム・ページで発表されてからTVニュースやSNSでの投稿が多く上がっていた。
僕が会長(生前こう呼んでいた)と出会ったのは晩年、日本野鳥の会会長の頃だった。知人である野鳥の会の役員の方に会員で野鳥を彫る版画家として紹介していただき都内目黒区にある本部で引き合わせていただいたのがきっかけだった。
最初に交わした言葉をよく覚えている。会議室で紹介され力強い握手をされてから、いきなり会長が「ところで版画っていったい何だ!?」と真顔で詰め寄るように尋ねられ、僕がとっさに「文化です!!」と答えると「そうか版画って文化なんだなぁ!!」と繰り返されて、いたく感心されていた好奇心に溢れる顏を鮮明に覚えている。
その後、会合や取材、野鳥の会関係の飲み会で何度かご一緒し、「一度、八ヶ岳にいらっしゃい!」と誘っていただいたので6年前に会いに泊りがけで行ったのが今回の画像である。
とにかくお酒大好き、人大好き、自然大好きな方だった。この日も八ヶ岳倶楽部のレストランでランチを済ませると奥の院から出て来られ「版画の先生(会長は僕のことをこう呼んでいた)、今日は時間はイイんだろう?」、「じゃ、俺と飲もう!」と言って昼過ぎからビールで始まり、途中から会長の大好きな赤ワインが登場するともうあとは延々である…。
また会長の話は面白い! さすがは「ナイス・ミドル」と呼ばれた人気俳優だけに語り口調が魅力的でグイグイとその世界に引きずり込まれていった。 八ヶ岳の野鳥のこと、コウノトリの保護活動のこと、野鳥を取り巻く人々との出会いのこと、若い頃のこと、本当は役者ではなく画家になりたかったこと、俳優や芸能界の裏話…キリがなく続いたが、途中、飽きると言うことなどなく、気が付けば深夜0時を過ぎていた。約10時間も飲み続け、話し続けたことになる…さすがにこちらももうワイン浸けでヘレヘレ状態。
タクシーを呼んでもらって宿のべッドに転がり込んだのは翌日の早朝近くになっていた。
この日の飲み会で印象に残っている言葉はたくさんあるが、「俺は今、ネット社会になって衰退しているテレビ文化を再興したいと思っているんだよ…つまりそれは昔のようにテレビを家族で囲んで団欒することができるような番組が制作したくて、NHKのスタッフと企画を練っているんだ」と言うテレビ人としての言葉と…別れ際に何故か戦争中の話になり、茨城県の霞ケ浦がご実家だった会長が少年時代、近所に海軍の航空隊があった関係から訓練中の若い特攻隊員が出入りしていて良く可愛がってもらったのだと言う…そして全員が笑顔で挨拶してから九州の特攻基地はと向かって行ったのだと言うこと。この話をされながら会長はその場で嗚咽、号泣してしまった。
そして「なぁ、版画の先生よぉ、こういう俺みたいな野鳥の会の会長がいたってイイだろう!」とグシャグシャな泣き顔で仰られたのが強く印象に残っている。それはまるで俳優、柳生 博が演じる主役とドラマの中で出会っているような飲み会だった。
「もう一度会長とサシでとことん飲んで語り合いたいなぁ…」と思い始めた頃、コロナ禍となってしまい叶わず…会話に中で「気に入ったならば一度、八ヶ岳倶楽部で野鳥の版画の個展をすればイイ」と言ってくれたことも叶わず、叶わず仕舞いで悔やまれることばかり。
今頃はあちらの世界で野鳥たちに囲まれて笑顔で楽しくしているんだろうか? それとも大好きな赤ワインをしこたま飲んでいるんだろうか? あぁ、悲しいかな、寂しいかな…やるせない。
「会長、僕がそちらに行ったら、まず最初に僕と一献やってくださいよ、ハンター・チャンス!! 男同士の約束ですからね!!」
謹んで素敵な会長のご冥福をお祈り申し上げます。
合掌
柳生 博氏(1937-2022)/Hiroshi YAGYU 俳優、司会者、作庭家、日本野鳥の会名誉会長 Japanese Acter, Honorary Chairman of the Wild Birds Society of Japan.
4/16(土)、俳優、司会者、作庭家で我等が日本野鳥の会名誉会長の柳生博氏が老衰のため85歳で他界された。21日から、山梨県北斗市にある氏の運営する公共刷設・ギャラリー・レストランの「八ヶ岳倶楽部」の公式ホーム・ページで発表されてからTVニュースやSNSでの投稿が多く上がっていた。
僕が会長(生前こう呼んでいた)と出会ったのは晩年、日本野鳥の会会長の頃だった。知人である野鳥の会の役員の方に会員で野鳥を彫る版画家として紹介していただき都内目黒区にある本部で引き合わせていただいたのがきっかけだった。
最初に交わした言葉をよく覚えている。会議室で紹介され力強い握手をされてから、いきなり会長が「ところで版画っていったい何だ!?」と真顔で詰め寄るように尋ねられ、僕がとっさに「文化です!!」と答えると「そうか版画って文化なんだなぁ!!」と繰り返されて、いたく感心されていた好奇心に溢れる顏を鮮明に覚えている。
その後、会合や取材、野鳥の会関係の飲み会で何度かご一緒し、「一度、八ヶ岳にいらっしゃい!」と誘っていただいたので6年前に会いに泊りがけで行ったのが今回の画像である。
とにかくお酒大好き、人大好き、自然大好きな方だった。この日も八ヶ岳倶楽部のレストランでランチを済ませると奥の院から出て来られ「版画の先生(会長は僕のことをこう呼んでいた)、今日は時間はイイんだろう?」、「じゃ、俺と飲もう!」と言って昼過ぎからビールで始まり、途中から会長の大好きな赤ワインが登場するともうあとは延々である…。
また会長の話は面白い! さすがは「ナイス・ミドル」と呼ばれた人気俳優だけに語り口調が魅力的でグイグイとその世界に引きずり込まれていった。 八ヶ岳の野鳥のこと、コウノトリの保護活動のこと、野鳥を取り巻く人々との出会いのこと、若い頃のこと、本当は役者ではなく画家になりたかったこと、俳優や芸能界の裏話…キリがなく続いたが、途中、飽きると言うことなどなく、気が付けば深夜0時を過ぎていた。約10時間も飲み続け、話し続けたことになる…さすがにこちらももうワイン浸けでヘレヘレ状態。
タクシーを呼んでもらって宿のべッドに転がり込んだのは翌日の早朝近くになっていた。
この日の飲み会で印象に残っている言葉はたくさんあるが、「俺は今、ネット社会になって衰退しているテレビ文化を再興したいと思っているんだよ…つまりそれは昔のようにテレビを家族で囲んで団欒することができるような番組が制作したくて、NHKのスタッフと企画を練っているんだ」と言うテレビ人としての言葉と…別れ際に何故か戦争中の話になり、茨城県の霞ケ浦がご実家だった会長が少年時代、近所に海軍の航空隊があった関係から訓練中の若い特攻隊員が出入りしていて良く可愛がってもらったのだと言う…そして全員が笑顔で挨拶してから九州の特攻基地はと向かって行ったのだと言うこと。この話をされながら会長はその場で嗚咽、号泣してしまった。
そして「なぁ、版画の先生よぉ、こういう俺みたいな野鳥の会の会長がいたってイイだろう!」とグシャグシャな泣き顔で仰られたのが強く印象に残っている。それはまるで俳優、柳生 博が演じる主役とドラマの中で出会っているような飲み会だった。
「もう一度会長とサシでとことん飲んで語り合いたいなぁ…」と思い始めた頃、コロナ禍となってしまい叶わず…会話に中で「気に入ったならば一度、八ヶ岳倶楽部で野鳥の版画の個展をすればイイ」と言ってくれたことも叶わず、叶わず仕舞いで悔やまれることばかり。
今頃はあちらの世界で野鳥たちに囲まれて笑顔で楽しくしているんだろうか? それとも大好きな赤ワインをしこたま飲んでいるんだろうか? あぁ、悲しいかな、寂しいかな…やるせない。
「会長、僕がそちらに行ったら、まず最初に僕と一献やってくださいよ、ハンター・チャンス!! 男同士の約束ですからね!!」
謹んで素敵な会長のご冥福をお祈り申し上げます。
合掌