3月15日。『京都古寺巡礼 聖獣・幻獣探訪の旅』2日目。この日の午前中は朝からJR京都駅前のホテルを出て、東山の三十三間堂を参拝した。スケジュールはここからまだ長いのだが三十三間堂でけっこうゆっくりとしてしまったので入り口を出たのが午後1時を過ぎていた。ここから右手に進み、2-3分の場所に次の目的寺院である「養源院・ようげんいん」がある。3月の平日の京都は本当に人が少なく静かな時が流れている。小ぶりな山門をくぐるとすぐに本堂である。
養源院は元々は天台宗の寺院だったが現在は浄土真宗の寺院となっている。文禄三年(1594年)戦国武将であった浅井長政の菩提を弔うために、長政の二十一回忌に長女・淀殿(幼名茶々)の願いにより、豊臣秀吉によって建立された。本堂は伏見城の遺構で、落城の時、德川方の鳥居元忠らが自刃した廊下が供養のためこの寺院の天井に上げられ「血天井」として有名になった。
僕の今回この寺院を訪れた目的はなんといっても本堂の大きな空間を占める襖絵「松図」と、いくつかの杉戸に描かれた杉戸絵「白象図」「唐獅子図」「犀図」といった絵画作品を観るためである。作者は桃山から江戸初期に活躍した敬愛する絵師、俵屋宗達(1570年頃~1643年頃)である。
入り口で拝観料を払い廊下に上がると係りの方が「少しお待ちください。後からみえた方と合わせて説明します」とのこと。しばらくしてから入り口付近にある「白象図」の説明となる。この宗達の杉戸絵ともひさびさの再会となった。正座をして見せていただく。シンプルで大胆な絵柄なので、それは覚えていたのだが杉戸の細かい質感は忘れてしまっていた。人間の記憶力というのも実に頼りないものである。それにしてもこの大胆な筆遣いの輪郭線と体色の白い胡粉とわずかな色彩による2頭の白象は何度見ても新しい。ある意味グラフィカル(版画的)な表現にも見えてくる。現代に通じる感性、表現だと思う。ノーベル物理学賞を受賞、日本の古典芸術に造詣の深い湯川秀樹博士がこの杉戸絵を観て宗達を「類まれなる天才」と評したことは有名な話。
白象としばらくにらめっこした後は廊下の奥の杉戸に描かれた「唐獅子図」。これも見事な作品である。宗達独特のうねる様なフォルムの唐獅子。そしてさらに白象が描かれた杉戸の裏面に描かれた「犀図」。犀とあるがこれは間違いなく麒麟である。この三対の杉戸絵の構成は、白象で来客を迎え、戸を開けると奥の正面の唐獅子が迎え、そして帰りに犀(麒麟)が見送るという工夫がされているのだそうだ。なるほど立体的に捕えると平面ながら動きが出てくる。この後、メインの障壁画「松図」と再会。この松も金箔地にタップリとして安定感のあるフォルムで描かれている。「豊かだなぁ…」思わず呟いてしまい、しばらく畳に座ったまま離れられなくなった。この後、狩野派筆による屏風絵、そして有名な「血天井」の説明を聞いてからお堂を出た。
午後2時前。養源院の庭の片隅に、ちょうど大きな木の切り株があったので庭仕事の人に一言挨拶をして持ってきたオニギリで遅い昼食をとる。今日はまだ先がある。早々と腰をあげて次の寺院へと向かう。すぐ隣に竜宮門の「法住寺・ほうじゅうじ」という寺院がある。後白河上皇を木曽義仲の焼き討ちから守ったと伝えられる有名な「身代わり不動明王」がご本尊なので、こちらにお参りしてから先に進む。南大門というこの地区の大きな山門を出て裏道を進むと東大路通という広いバス通りに出た。この通り沿いにしばらく歩いていくと本日の最終目的地としている「智積院・ちしゃくいん」に到着する。
智積院は真言宗智山派の総本山である。関東の成田山新勝寺や川崎大師平間寺、高尾山薬王院などもこの智山派に所属する。広い敷地内には大きな金堂、講堂、大書院などの建築が整然と建っていた。まず初めに金堂のご本尊である大日如来にお参りする。
この寺院での目的は収蔵館に展示されている桃山時代から江戸時代初期の絵師、長谷川等伯(1539年~1610年)一門が桜や楓などの自然を描いた障壁画(国宝)を観ることである。拝観受付を済ませ収蔵館に入るとやや抑えられた薄暗い照明に金箔地の障壁画が浮かび上がってきた。この時代の障壁画を代表する作品であり、まさに「絢爛豪華」を絵に描いたと言ってよい。中でも等伯父子の作品、「楓・桜図」は有名であり、木々の幹や枝の激しい動き、紅葉や秋草の写実性、空や池の抽象的表現、それら全てが融合して描かれていて見事というしかない。室内の4つの壁面に展示されていて、何度も何度も歩き回って観てしまった。
この障壁画は元々講堂の大きな空間に描かれたもので、現在、そちらには正確なレプリカ(模写)が設置されているということでそちらを観に向かう。講堂の障壁画の間に着くと艶やかな色彩の絵画が出迎えてくれた。確かに本物と比較すれば派手さがあるが、描かれた当時はこのように見えていたんだろうと推察できた。このあたりで閉館の時間16:30が迫ってきた。足早に名勝の池泉回遊式庭園や現代の日本画家が描いた屏風絵、襖絵などを観て回っているうちに閉館の合図の音楽が寺院全体に流れだした。
ここでタイムリミット。あわてて出口に向かい山門付近でちょうど来ていたタクシーを拾いJR京都駅へと向かった。今回もいつも通りギリギリまで粘って観て回ったのだった。
帰りの新幹線に乗車すると心地よい疲れが出てきた。その中で座席に着いて目を閉じると2日間で見て来た聖獣・幻獣たちの姿が闇の中に光を放って次々と浮かび上がってくる。来年以降制作する予定の絵本『シルクロード幻獣図鑑(仮称)』の構想がジワジワと結晶体となって固まってくるのであった。
画像はトップが宗達作の杉戸絵「白像」下が向かって左から同じく「白像」「唐獅子」「犀(麒麟?)」と養源院の本堂外観、智積院の金堂、長谷川等伯の障壁画(レプリカ)の一部、智積院講堂の五色の垂れ幕。
養源院は元々は天台宗の寺院だったが現在は浄土真宗の寺院となっている。文禄三年(1594年)戦国武将であった浅井長政の菩提を弔うために、長政の二十一回忌に長女・淀殿(幼名茶々)の願いにより、豊臣秀吉によって建立された。本堂は伏見城の遺構で、落城の時、德川方の鳥居元忠らが自刃した廊下が供養のためこの寺院の天井に上げられ「血天井」として有名になった。
僕の今回この寺院を訪れた目的はなんといっても本堂の大きな空間を占める襖絵「松図」と、いくつかの杉戸に描かれた杉戸絵「白象図」「唐獅子図」「犀図」といった絵画作品を観るためである。作者は桃山から江戸初期に活躍した敬愛する絵師、俵屋宗達(1570年頃~1643年頃)である。
入り口で拝観料を払い廊下に上がると係りの方が「少しお待ちください。後からみえた方と合わせて説明します」とのこと。しばらくしてから入り口付近にある「白象図」の説明となる。この宗達の杉戸絵ともひさびさの再会となった。正座をして見せていただく。シンプルで大胆な絵柄なので、それは覚えていたのだが杉戸の細かい質感は忘れてしまっていた。人間の記憶力というのも実に頼りないものである。それにしてもこの大胆な筆遣いの輪郭線と体色の白い胡粉とわずかな色彩による2頭の白象は何度見ても新しい。ある意味グラフィカル(版画的)な表現にも見えてくる。現代に通じる感性、表現だと思う。ノーベル物理学賞を受賞、日本の古典芸術に造詣の深い湯川秀樹博士がこの杉戸絵を観て宗達を「類まれなる天才」と評したことは有名な話。
白象としばらくにらめっこした後は廊下の奥の杉戸に描かれた「唐獅子図」。これも見事な作品である。宗達独特のうねる様なフォルムの唐獅子。そしてさらに白象が描かれた杉戸の裏面に描かれた「犀図」。犀とあるがこれは間違いなく麒麟である。この三対の杉戸絵の構成は、白象で来客を迎え、戸を開けると奥の正面の唐獅子が迎え、そして帰りに犀(麒麟)が見送るという工夫がされているのだそうだ。なるほど立体的に捕えると平面ながら動きが出てくる。この後、メインの障壁画「松図」と再会。この松も金箔地にタップリとして安定感のあるフォルムで描かれている。「豊かだなぁ…」思わず呟いてしまい、しばらく畳に座ったまま離れられなくなった。この後、狩野派筆による屏風絵、そして有名な「血天井」の説明を聞いてからお堂を出た。
午後2時前。養源院の庭の片隅に、ちょうど大きな木の切り株があったので庭仕事の人に一言挨拶をして持ってきたオニギリで遅い昼食をとる。今日はまだ先がある。早々と腰をあげて次の寺院へと向かう。すぐ隣に竜宮門の「法住寺・ほうじゅうじ」という寺院がある。後白河上皇を木曽義仲の焼き討ちから守ったと伝えられる有名な「身代わり不動明王」がご本尊なので、こちらにお参りしてから先に進む。南大門というこの地区の大きな山門を出て裏道を進むと東大路通という広いバス通りに出た。この通り沿いにしばらく歩いていくと本日の最終目的地としている「智積院・ちしゃくいん」に到着する。
智積院は真言宗智山派の総本山である。関東の成田山新勝寺や川崎大師平間寺、高尾山薬王院などもこの智山派に所属する。広い敷地内には大きな金堂、講堂、大書院などの建築が整然と建っていた。まず初めに金堂のご本尊である大日如来にお参りする。
この寺院での目的は収蔵館に展示されている桃山時代から江戸時代初期の絵師、長谷川等伯(1539年~1610年)一門が桜や楓などの自然を描いた障壁画(国宝)を観ることである。拝観受付を済ませ収蔵館に入るとやや抑えられた薄暗い照明に金箔地の障壁画が浮かび上がってきた。この時代の障壁画を代表する作品であり、まさに「絢爛豪華」を絵に描いたと言ってよい。中でも等伯父子の作品、「楓・桜図」は有名であり、木々の幹や枝の激しい動き、紅葉や秋草の写実性、空や池の抽象的表現、それら全てが融合して描かれていて見事というしかない。室内の4つの壁面に展示されていて、何度も何度も歩き回って観てしまった。
この障壁画は元々講堂の大きな空間に描かれたもので、現在、そちらには正確なレプリカ(模写)が設置されているということでそちらを観に向かう。講堂の障壁画の間に着くと艶やかな色彩の絵画が出迎えてくれた。確かに本物と比較すれば派手さがあるが、描かれた当時はこのように見えていたんだろうと推察できた。このあたりで閉館の時間16:30が迫ってきた。足早に名勝の池泉回遊式庭園や現代の日本画家が描いた屏風絵、襖絵などを観て回っているうちに閉館の合図の音楽が寺院全体に流れだした。
ここでタイムリミット。あわてて出口に向かい山門付近でちょうど来ていたタクシーを拾いJR京都駅へと向かった。今回もいつも通りギリギリまで粘って観て回ったのだった。
帰りの新幹線に乗車すると心地よい疲れが出てきた。その中で座席に着いて目を閉じると2日間で見て来た聖獣・幻獣たちの姿が闇の中に光を放って次々と浮かび上がってくる。来年以降制作する予定の絵本『シルクロード幻獣図鑑(仮称)』の構想がジワジワと結晶体となって固まってくるのであった。
画像はトップが宗達作の杉戸絵「白像」下が向かって左から同じく「白像」「唐獅子」「犀(麒麟?)」と養源院の本堂外観、智積院の金堂、長谷川等伯の障壁画(レプリカ)の一部、智積院講堂の五色の垂れ幕。