長島充-工房通信-THE STUDIO DIARY OF Mitsuru NAGASHIMA

画家・版画家、長島充のブログです。日々の創作活動や工房周辺でのできごとなどを中心に更新していきます。

372. 今年はビル・エヴァンス生誕90周年

2019-06-15 19:17:59 | JAZZ・ジャズ

今年はモダン・ジャズ界のピアニストの巨匠であるビル・エヴァンス(1929年-1980年)の生誕90周年の節目の年にあたる。

ジャズ・ピアニストの中でもとりわけ人気の高いピアニストということもありジャズ関係者の間では年間を通してさまざまな企画が催されている。中でも実録映画『BILL EVANS TIME REMEMBERED』は東京でも上映されとても話題になっている。"ジャズピアノの詩人" "ショパンに匹敵すべき作品" などと称され、ジャズ界のみならずロックミュージシャンやクラシックの演奏者にも影響を与えた演奏活動は素晴らしい内容である。

以前ブログでも触れたが、僕自身はというと17才から初めてジャズを聴き始めたのだが聴き始めから30代ぐらいまではどちらかというと黒人ピアニストの演奏に魅かれていた。例えばウィントン・ケリーやソニー・クラークのブルージーな演奏やマッコイ・タイナーのアフリカの大地を連想させるアグレッシブな演奏などである。
その頃はエヴァンスの音は何かクールで白人特有のリリシズムのように聴こえていてあまり興味を持たなかったのである。但し天才ベーシスト、スコット・ラファロと共演した名曲「ワルツ・フォーデビイ」を含む『リヴァーサイド4部作』だけは好きで聴いていた。それが、音楽の趣味は年齢と共に変わるもので40代半ば頃からはエヴァンスの音が心に響き始めて今日までずっと聴き続けているのである。

先月発売された隔月発売のジャズ雑誌『ジャズ批評 209号』の特集が「ビル・エヴァンス生誕90周年」だったので買って読んでみた。いろいろと興味深い記事の中でさまざまなジャンルのジャズ・ファンによる「私が選ぶビル・エヴァンス3枚」という記事があった。これがなかなかおもしろい。選者によってこうも好きなアルバムが異なるものかと楽しんで読めた。そこでこのブログを通じて以下に「僕が選ぶビル・エヴァンス3枚」を上げてみることにする。

①:"Bill Evans,From Left To Right:" パーソネル:ビル・エヴァンス(P,el-p)サム・ブラウン(g)エディ・ゴメス(b)ジョン・ビール(el-b)マーティ・モレル(ds)マイケル・レナード(arr,cond)オーケストラ 1969年、1970年、ニューヨーク&サンフランシスコ録音

②:"STAN GETZ & BILL EVAS" パーソネル:スタン・ゲッツ(ts)ビル・エヴァンス(p)ロン・カーター、リチャード・デイヴィス(b)エルヴィン・ジョーンズ(ds)1964年、ニューヨーク録音

③:"Bill Evans wiyh Philly Joe Jones / GREEN DOLPHIN STREET" パーソネル:ビル・エヴァンス(p)ズート・シムズ(ts)ポール・チェンバース、ロン・カーター(b)フィリー・ジョー・ジョーンズ(ds)1959年、1962年、ニューヨーク録音

①はエヴァンスがアコースティックとエレクトリックのピアノの双方を駆使しオーケストラをバックに得意のリリシズムを表現した人気盤。ジャズ・ボッサの名曲「ザ・ドルフィン」を収録。
②はモダン・ジャズ界のロマン派、2人による「奇跡の共演レコーディング」と呼ばれている名盤。バックにはベースに若き日のロン・カーター、ドラムスに巨匠、エルヴィン・ジョーンズなど当時の強力なリズム陣を迎えて二人のスリリングなアドリブプレイを引き立てている。
③はエヴァンスのアルバムの中では地味なものだが、こうした渋いスタンダード集にこそ、その魅力が光ると言うべきリラックスした快演集となっている。

以上、ブロガーのジャズ・ファンの皆様、機会があったら是非この僕が選んだ3枚を聴いてみてください。「駄作のないエヴァンス」なのできっとその魅力ある音を楽しめることでしょう。

画像はトップがビル・エヴァンス生誕90周年を特集したジャズ批評誌。下がそれぞれ僕が選んだエヴァンスのCDアルバムのジャケ。


   

 

371. 『没後25年 堀井英男 展』 を観る。

2019-06-08 18:57:48 | 美術館企画展
6月5日。茨城県水戸市の茨城県近代美術館に『 没後25年 堀井英男 展 』を観に行った。堀井英男(1934-1994)は茨城県潮来市出身の画家・版画家で現代の人間像を鋭い視点でとらえた幻想的な色彩銅版画や風景と人物を融合するような抽象的で不思議な水彩画を数多く制作したことで知られている。

そして僕の美術学校時代のゼミの先生であり、版画と絵画世界の師である。2012年に同美術館で企画による大きな回顧展が開催され弟子の1人である僕は画集に掲載するインタビューや展覧会期間中の「幻想絵画」のワークショップなどでご協力させていただいた。「早いなぁ…もうあれから7年も経ってしまったんだなぁ」

今回の展覧会は奥様である京子夫人がアトリエに保存されていた銅版画作品、水彩画作品を美術館に寄贈されたことから、そのコレクションのお披露目という意味も含まれている。総点数は50点強。初期のアーシル・ゴーキーに影響を受けた抽象的な大作油彩から人形をモチーフとした色彩銅版画の代表作、晩年の人間と風景を融合させた半抽象的な水彩画と見どころ十分な内容となっている。
この日は平日で朝から高速道を乗り継ぎ、昼ごろに到着、レストランで昼食を済ませてから入館しじっくりと拝見させていただいた。途中、中休みとして敷地内にある茨城県ゆかりの洋画家、中村つねの復元アトリエを見学してからもう一度入館しじっくりと観た。次回の展示はいつになるかわからないので網膜に焼き付けようと1点1点、丁寧に観て行った。

展示室を2巡し、中央のソファに腰を下ろしてボーッと作品群を眺めていた時にフッと浮かぶ想いがあった。想い出して見ると故郷の潮来市の公共施設、八王子市夢美術館、そしてこの茨城県近代美術館と師の大きな規模の回顧展は全て没後である。いろいろな事情はあったようだがこうした展覧会、ご本人がご存命であれば、きっととても喜ばれたのではないだろうか。以前、個展会場などで自作に着いて熱心に語ってくれた時の真剣な表情やユーモアを語る時の笑顔が思い出されるのだった。病没された60才という年は早すぎたし、今生きていれば85才というのは今日ではまだまだ元気である。最晩年の水彩画の連作を眺めながらこの後25年間があればもう1~2回作風の新展開があったのではないだろうか。

それから晩年に師が東京での僕の新作個展にいらした時に言われた言葉も思い出した。「長島が50才を超えるまで作品制作を続けていたら俺が食わせてやるよ」。その僕も今月21日に師が亡くなられた年齢となる。考えて見れば50才はとうに過ぎたけれどこの年まで作品制作を続けてこられているということが「俺が食わせてやるよ」ということだったのだろうか。「まだまだ、師の緊張感のある画風には追いつけないけれど、せめてその分長く生きて制作を続けて行こう」と自身の創作意欲を奮い立たせたのでした。

展覧会は今月の16日(日)まで。このブログを読んでいただいている版画フアン、絵画ファンの方々、この機会に是非「堀井ワールド」をご覧になってください。

画像はトップが色彩銅版画の代表作「青のスペース(部分)」。下が向かって左から同じく色彩銅版画作品(部分)と美術館内のようす。