長島充-工房通信-THE STUDIO DIARY OF Mitsuru NAGASHIMA

画家・版画家、長島充のブログです。日々の創作活動や工房周辺でのできごとなどを中心に更新していきます。

147.『バルテュス展』

2014-06-13 20:47:04 | 美術館企画展

今月6日の午後から大雨の中、東京都美術館で開催中の『バルテュス展』を観に行ってきた。雨の平日は美術館が空いていてねらい目でもある。おかげで靴の中までグズグズになったが、我慢して会場に入った。

バルテュス(1908-2001)と言えば、20世紀美術のいずれの流派にも属さず、西洋絵画の伝統に触れながら全くの独学により独自の具象世界を築き上げたことで良く知られている。そしてあのピカソをして「20世紀最後の巨匠」と言わしめた作風は神秘的で緊張感があり、どこか懐かしい印象を持つ。風景を描けばどこかセザンヌの構成を思わせ、褐色系の落ち着いた画面からはバルビゾン派の匂いもしてくる。パリで生まれ、芸術家の両親を持った彼はやはりフランスを代表する画家ということなのだろう。

僕がまだ油絵を描き始めたばかりの二十歳の頃、通っていた絵画研究所にヨーロッパの留学から帰国したばかりのSという先生がいた。その先生が油彩画の魅力について語り始めると留学先で購入してきたバルテュスの画集を開きながら「バルテュスの絵肌がいいんだよ」と繰り返し言っていた。この頃からこの画家は僕にとって、雲の上にいるあこがれの存在であった。

今回の展示は代表的な大作も多くかなり見応えがある。作品の間隔もゆとりを持って掛けられていてとても観易い。そして大雨のため入場者が少なく、ゆっくりと納得いくまで見ることができた。どれもが傑作でベストを決めかねるが個人的にはブルゴーニュ地方のシャシー城館時代に風景画に目覚めた頃に描かれた『樹のある大きな風景』が印象に強く残っている。色彩もイタリアルネサンスのフレスコ画を連想させる明るいものだ。得意の少女をモチーフとした作品では『美しい日々』 『猫と裸婦』 などに見られる対角線を強く意識した構図をとったものが魅力的だった。そして最も目をひいたのは節子夫人の全面的な協力で実現したという最晩年のアトリエを再現した展示である。使い込まれた絵筆や絵の具類、そしてたばこの吸い殻まで。画室での厳しい制作の中、画家の息遣いが伝わって来そうな雰囲気が再現されていた。

最後に会場でのビデオ上映で心に残ったバルテュスの言葉を2点ご紹介しよう。1つ目は何故、少女をモチーフに選ぶかという問いに対してのもので「自分にとって少女は不可侵な存在で、神聖なものに接する思いしかない…そしてそれこそがインスピレーションの源である」 2つ目は僕が座右の銘にしていきたいと思うもので、生涯自身を芸術家だと言わなかったバルテュスが常日頃語っていた言葉。「絵を描くことは職人技なのだ。今の画家はみんなそのことを忘れている。だから私は芸術家ではなく、職人としての画家だと考えている」 展覧会は今月22日まで。7月5日から9月7日まで京都市美術館に巡回する。美術ファンならばこの展覧会を見ない手はない。まだという方は必ず行きましょう。画像はトップが会場入り口の看板。下が向って左から『樹のある大きな風景(部分)』 『猫と裸婦(部分)』 『晩年のアトリエ風景の写真コラージュ』 いずれも展覧会図録から複写。

 

      


140.『栄西と建仁寺』展

2014-04-18 21:24:15 | 美術館企画展

毎年、ソメイヨシノの開花期に合わせ、上野の山の美術館、博物館の企画展を見に行くのが恒例になっている。今年の首都圏のソメイヨシノはちょうど満開の時期に天候が悪くて残念だった。

3日。東京国立博物館で開催中の『開山・栄西禅師800年遠忌特別展・栄西と建仁寺』展を観に行ってきた。いつものように電車を日暮里駅で降り、谷中の墓地をブラブラと散策しながら上野公園まで歩くコースをとる。ところがこの日は本降りの雨である。ちょうど見頃となった満開のソメイヨシノが強い雨のためにかなり散ってしまっている「もったいないなぁ…」。これも風情と言えば風情。桜並木の根本の水たまりに浮かぶたくさんの花びらを見ながらカメラに収めた。博物館に到着すると、この天候のせいだろう。さすがに空いている。ここでの特別展でこれほど空いている日も珍しい。

栄西禅師(1141~1215)と言えば、鎌倉時代、宋に渡り我が国に臨済宗を伝え、京都最古の禅寺「建仁寺」を開いたことで広く知られている。「茶祖」とも言われ、日本に茶をもたらし喫茶の習慣を根付かせたことでも有名である。依頼今日まで、「禅」と「茶道」は日本文化を象徴するものとして広く海外にも知られるようになった。同じ禅宗の曹洞宗開祖である永平寺の道元禅師の師匠でもある。今年はその「栄西禅師」の800年遠忌にあたるということで、禅師と建仁寺ゆかりの宝物の中から、彫刻や絵画、書などを数多く紹介する今回の企画展示が開催されることになった。

会場に入ってまず目についたのは寺院内で実際に茶道を行う部屋を再現したコーナー。整然と展示された茶道具や掛け軸、仏具などから作法に厳しい禅の宗風が垣間見られるようだった。開場を移動すると夥しい数の経典や文書が続く。さらに進むと建仁寺ゆかりの僧たちの肖像彫刻、肖像絵画が出迎えてくれた。そしてここから先が今回の僕のお目当てとなる絵画の名宝の部屋となる。狩野山楽、山雪、長谷川等伯、伊藤若冲など中世を代表する画家たちの名品が続く。そして『海北友松(かいほくゆうしょう)1533~1615』という画家の龍、花鳥、山水を題材とした墨による力強い障壁画には圧倒されてしまった。僕は勉強不足でこの画家のことを知らなかったが、建仁寺は別名「友松寺」と呼ばれるほど作品が山内には多く残っているということだった。「それにしともこの単純とも言える描線の大胆さと形の強さは他に例を見ない」 視線を引き付けられながらゆっくりと会場を移動する。

そして展示の最終章は目玉中の目玉となる俵屋宗達筆『風神雷神図屏風』。 かなりひさびさの再会である。前回観た時とも印象が違って見えた。宗達は日本美術史の中でも、かなり特異なタイプの画家だと思う。いったいこのフォルムの強さはどんな感性から出てくるのだろう。左右に飛び回る風神と雷神の交互に視線を移しながら長い時間、飽きずに立ちすくんでしまった。展覧会は5月18日まで。まだ観に行ってない方はぜひこの機会にどうぞ。画像はトップが宗達の『風神図』。下の向かって左から雨に散ったソメイヨシノの花びら、展覧会看板、海北友松筆の『雲竜図』『竹林七賢図』部分(展覧会図録から転写)。

 

         


129. 昭和の広重 『川瀬巴水展 -郷愁の日本風景-』 

2014-02-04 19:33:21 | 美術館企画展

先月17日。地元カルチャ-教室での版画の指導の後、千葉市美術館で開催中の『川瀬巴水展 -郷愁の日本風景-』を観に行ってきた。美術好きのブロガーのみなさん、いつもブログへのアップが遅くなり展覧会レポがリアルタイムでなくてすみません。

川瀬巴水(かわせ はすい 1883~1957年)と言えば大正から昭和にかけて活躍し、人気を得た風景版画家である。この時代衰退していた浮世絵版画(錦絵)の再興を目指した版元(今でいう出版社)の渡辺庄三郎と組み多くの木版画を制作した。日本中に取材したその風景版画は『昭和の広重』と称賛され、現在でも国内をはじめ海外にも多くの熱心なファンを持っていることでも知られている。版元を通し、浮世絵版画の彫り師や刷り師とのコラボレーションによって生まれた木版画は完成度が高く、とても充実した内容となっている。版画というものは本来において西洋でも東洋でもこうした共同作業、共同出版から生み出されるものなのである。

千葉市美術館は今展で来場者が200万人を超えたという。市立という規模としてはたいへんなことである。今までも伊藤若冲、曽我蕭白、田中一村などの個性的な画家の企画展を開催し好評を得てきている。美術館の志向性がぶれずにしっかりとしているということだ。

午後遅めに到着、千葉の街が一望できる7階のレストランで日替わりランチを食べてから、2つの階に分かれた会場に向かった。額装され整然とかけられたカレンダーサイズの風景木版画が約300点。その数に圧倒され、見始めは「全部見られるだろうか?」という気持ちが先立ち、飛ばし気味に観てしまう。巴水の作品の中で僕が特に好きなものは雪景色を主題にしたものと、画面全体に深いブルー系の色調をおびたもの。今回の作品群の中からもけっこう見つけることができた。「雪と青」この2つの表現に作家の特色が強く出ているものだと思っている。それから良かったのは版画の下絵や日本各地に取材した個人コレクションのスケッチ・ブックが多く見られたこと。走るような鉛筆の線やラフに塗られた水彩に現場での作者の息づかいまでも感じることができた。

それにしても作品数が少し多すぎた。ほぼ同寸法、同じような密度の木版画なので、余計そのように感じた。1点1点の印象が薄くなってしまったように思う。もったいない。欲を言えばテーマ別に2期ぐらいに分けて展示してほしかった。画像はトップが川瀬巴水作木版画 『芝増上寺 東京二十景』部分。下が同じく『前橋敷島河原』部分、風景取材したスケッチブック(以上、展覧会図録より複写)。美術館入り口の看板。

※展覧会は1/19に終了しています。

 

      


127. オディロン・ルドン -夢の起源- 展

2014-01-22 21:12:20 | 美術館企画展

このルドン展が良かった!! 先月の13日、新潟市美術館で開催されていた『オディロン・ルドン-夢の起源-』展を観てきた。たまたま新潟市内2か所での個展開催中に知った展覧会だった。画廊に置かれていたチラシを見ると絵画作品が多く出品されていそうである。こんな近くに敬愛するルドンが来ているのだから観て行かない手はない。と、言うわけで個展会場にしばらく在廊してから新潟市美術館に向かった。

絵を描き始めてから今までに、いったいいくつの「ルドン展」を観てきたか憶えていない。特に好きな画家ということもあるが、企画展が多いということは、それだけ日本でも根強い人気のある画家なのだろう。ルドンは印象派と同時代にあって、特異な存在の画家である。同時代の画家たちがひたすら外光と色彩の科学的分析をしていた頃、物語性と自己の内面世界を追求した人であった。今まで観てきた企画展ではだいたい初期から晩年までの作品を時系列に並べているのが常だった。初期の風景や樹木を写実的に描いた絵画・素描作品から始まって、ボルドーの版画家ロドルフ・ブレスダンとの出会い、ポーやボードレールなど同時代の文学者からインスピレーションを得て制作を始めたモノクロームの石版画作品集の数々…そして晩年、色彩に開眼してからのパステル画や油彩画の大作と、追って行く。今展も御多分にもれずこの方法をとっていたが、普段よりも絵画作品が多い。それもルドンの故郷であるボルドー美術館のコレクションと日本で屈指のルドン・コレクションを誇る岐阜県美術館の収蔵作品が出品されていた。僕、個人初めて観る絵画が多くうれしくなってしまった。特に岐阜県美術館はいつかはルドン作品を観に訪れたいとも思っていた。

その中に数点、『アポロンの戦車』や『オルフェウスの死』、『スフィンクス』など神話世界を題材とした比較的大きな作品に見応えのあるものがあった。ルドンの絵画は不思議な魅力に満ちている。近づいて見るとかなり粗い筆のタッチなのだが、光と闇、明暗の構成がしっかりと仕上がっている。長いモノクロームの版画制作時代に会得した技なのだと思う。地方都市での企画展ということもあって会場も空いていて、1点1点ゆったりと贅沢に観ることができた。東京ではこうはいかない。これだけの内容であれば間違いなく他人の頭越しに観ることになる。「偶然とはいえ、こんな展覧会との出会いというのも、たまにはあるんだなぁ」 ひさびさにかなり得をした気分になって会場を後にした。画像はトップが絵画作品『アポロンの戦車』の部分、下が会場入り口の看板、絵画作品『オルフェウスの死』、『花の中の少女の横顔』の部分(いずれも展覧会図録から複写。

※展覧会は昨年、12月23日で終了しています。

 

      

 

 


117.ターナー展

2013-12-10 20:31:52 | 美術館企画展

先月の23日、東京芸術大学美術館で『興福寺仏頭展』を見たその足で、同じ上野の山の東京都美術館で開催中の『ターナー展』を頑張って観てきた。

フリーランスと言えば聞こえが良いが盆も正月も土日もなくバタバタと仕事をしている身なのでフッ、と時間ができた合間にしたいことを一気に済ませておかなければならない。印象が薄れるので大きな展覧会はなるべく一日一つと決めているのだが、展覧会のはしごというのはひさびさである。芸大の企画展が比較的空いていたのに対して、こちらは某国営放送の美術番組で紹介されたせいかかなり混んでいた。我も我もと野次馬的に押しかけるのもどうかと思うのだが、見たい気持ちはみんな一緒なのでこれもしょうがないことだろう。人の頭越しに絵を見る覚悟で会場に入った。

ターナーと言えば19世紀イギリスを代表する風景画家として我が国でも知られている。最近、たまたまイギリス生活の体験のある知人から聞いた話だが、「…イギリス人はほんとうにターナーが好きで美術館や公共施設はもちろん、ロンドンのメインストリートの画廊街のウインドーにも必ずと言っていいほどターナーの風景画がかかっている」と言っていた。まぁ、国民的画家ということなんだろう。僕はロンドンに行ったことはないが、絵を描き始めてから今までさまざまな企画展や印刷物でこの画家の作品を観てきた。企画展が多いということは日本人もターナー好きなんだろうな。展覧会は初期の古典的表現の風景画~ナポレオン率いるフランス軍との戦時下に描かれた牧歌的風景~平和をとりもどした英国の風景~イタリア、ドイツ、オランダなどヨーロッパ大陸への旅行のおりに描かれた風景~後期の海景画と時系列ごとに展示室が分かれていて順を追って観られるように構成されている。

初期のカッチリとした古典的風景や抒情性を感じるヴェネツィアの連作なども魅力的だが、個人的には後期の海景画に観られる朦朧とした絵画に強く惹かれる。近づいてよーく観ると群衆やら遠景の建物やらを油彩画の荒々しいタッチの中に見出すことができるのだが、少し離れて観るとボワーッとして何が描かれているのか解らない。確認しようともっと距離を離れてみると広がりのある空間が浮かび上がってくるから不思議である。具体的な風景を描いているというよりも大気中の水蒸気や光を描いているである。実はこの展覧会でぜひ観たいと思っていた作品がある。おそらく後期のものだろうが、ターナーの作品の中に幻想的主題のものがいくつかある。それはこの朦朧とした光や空気の中に幻獣や空想上の生物が登場する一連の作品である。この数点があるのでターナーは『フアンタスティック・アート(幻想美術)』のカテゴリーに分類されることがしばしばある…残念ながら今展には来ていなかった。また次の機会に期待することにしよう。

日本での最大規模のターナー展ということもあり、こちらもかなり充実した内容だった。興福寺展と合わせ精神的に満腹状態になって外に出るといつの間にか日が傾きかけていて、少し黄色味がかった午後の光にイチョウなどの街路樹の紅葉が何とも言えず美しく光り輝いていた。「この光と色彩、ターナーが今ここにいたらどんな風に描いただろうか」と、ふと想像してしまった。東京での展覧会は今月18日まで、来年1月からは神戸市立博物館に巡回する。まだ観ていないアート好きの方はこの機会をお見逃しなく。画像はトップがターナー展の看板。下がターナー24歳の自画像を元にした銅版画と後期の風景画作品2点(いずれも展覧会図録より部分複写)、斜光を受ける上野公園の樹木の紅葉。

 

         

 


116.興福寺仏頭展 

2013-12-08 14:01:47 | 美術館企画展

少し前の話題ですが先月の23日、上野の東京芸術大学美術館で開催されていた『興福寺創建1300年記念 国宝興福寺仏頭展』を見に行ってきた。

奈良の興福寺は『南都六宗』と呼ばれる仏教宗派のうち「外界のものはみな空(くう)であり、一切の存在は唯、自己の心(識)の表れに過ぎない」とみる唯識思想を中心におく法相宗の古刹である。4世紀のインドに起源を持つ仏教思想だが、『法相八祖』と呼ばれる8人の歴代祖師の中に『西遊記』の三蔵法師のモデルとして有名な玄奘(603-664)の名前も見られた。

週末で最終日前ということで心配していたが、想像していたほど混んではいない。比較的ゆったりと見ることができた。興福寺ゆかりの絵画、彫刻、書など全体的にかなり充実した展示となっているが、その中で特に印象に残ったのは仏法の護法神とされる2種類の『十二神将像』だった。一つめは東金堂の周囲に装飾されていたという『国宝板彫十二神将像』で我が国浮彫彫刻(レリーフ)の傑作とされている。平安時代の作だが、レリーフ表現ということで写実性がおさえられているということもあってか、プリミティブでユーモラスな表情を持っていた。今までさまざまな十二神将像を見てきたが、このような像は初めてである。二つめは別の階に今展のメインとなる仏頭とともに展示されていた『国宝木造十二神将立像』でこちらは鎌倉時代に制作された立体像である。僕は学生時代から鎌倉彫刻のリアリズム表現が好きで魅かれ続けているのだが、この像は傑作である。力強い動きと迫力のある顔の表情に圧倒されてしまった。溜め息交じりに何周かしているうちに何故か像の足元が気になり見ていくと、一見すると似ている12体の履物がすべて異なることに気が付いた。ブーツ型、サンダル型等、それぞれがとても凝った形に彫られている。これも一つの発見であった。

振り返って部屋全体をボーッとながめていると存在感のある仏頭がj慈悲深い表情でみつめていた。おなごり惜しいが、この日はもう一つ美術展を見る予定で出てきたので、会場を後にした。2018年、興福寺中金堂が再建、落慶予定となっている。機会があったら再建されたお堂の採光の中で仏像群に再会してみたい。画像がトップが美術館入り口の展覧会看板。下が左から仏頭、板彫り十二神将の中・波夷羅大将、木造十二神将立像の中・伐折羅大将(いずれも展覧会図録より部分複写)。

※展覧会は先月、24日で終了しています。

 

      

 


113.モローとルオー展

2013-11-26 21:24:17 | 美術館企画展

15日、東京、パナソニック汐留ミュージアムで開催中の『モローとルオー-聖なるものの継承と変容-展』を観てきた。

ギュスターヴ・モローと言えばオディロン・ルドンと共に19世紀フランスを代表する象徴主義の画家である。印象派などの当時新しい芸術運動が盛んなパリにあって、絵画の主題をこの時代としては古い聖書や神話などに求め、想像力豊かな個性的表現に昇華させたことで有名である。晩年は国立美術学校で教鞭をとり名教授としてルオーを始め、マティス、マルケなど優秀な後進を輩出したことでも知られている。

その一番弟子で絆の深いルオーとの師弟展である。かなり期待に胸を膨らませて会場に入った。展覧会の構成は「ギュスターヴ・モローのアトリエ」「裸体表現」「聖なる表現」「マティエールと色彩」「幻想と夢」というセクションに分かれて2人の作品を紹介している。今回特に「レンブラントの再来」と賞賛されたルオーの初期の作品『石臼を回すサムソン』や『死せるキリストとその死を悼む聖女たち』など、画集でしか見たことのない作品と出会うことができたことは大収穫だった。褐色系の画面に構成された古典的表現の絵画は圧巻で、20代のルオーの煌めく才能を確認することができた。

モローの弟子たちへの指導というのはそれぞれの個性を重視した自由なものだったようである。マティスのように先生の作風に拒絶反応を抱き、全く別のベクトルに進んでいった生徒とは異なり、ルオーという人は作風のみならず、その精神性にも強く影響された弟子だったと思う。それは二人の個性が完成した時代の作品を比較した部屋のモロー作『パルクと死の天使』とルオー作『我らがジャンヌ』という作品を見てもあきらかだが、主題にしても近代絵画のこの時代に2人共『聖書』に主題をとったということにも表われている。

『マティエールと色彩』の部屋に数点の気になるモロー作品があった。それは『エボーシュ・油彩下絵』と解説版にある一連の油彩画だった。一見して何が描いてあるのか解らない抽象画を想わせる作風である。荒々しい筆のタッチで色彩が躍るように自由に塗られている。以前、入手した仏語版の画集にも同様の連作が掲載されていた。いわゆる習作やエスキースとも違う。研究者たちによると「後に制作する作品に向けて、色彩の適正なバランスを判断するための試作」なのか、それとも「それ自体が自立した作品」と見るべきか議論されているものらしい。あるいはこの連作を「抽象絵画の先駆的表現」とする研究者もいるようだ。いずれにしても未完の美とでも言うのだろうか、不思議な魅力を持った作品群である。真相は天国にいるモローに尋ねてみなければ解らない。

会場は美術館企画展としては空いていて、ゆったりと師弟の個性を堪能することができた。展覧会は来月10日まで。その後、松本市美術館に巡回する。まだご覧になっていない方は、ぜひこの機会に。画像はトップがモロー作『エボーシュ』部分。下が同じくモロー作『パルクと死の天使』の部分とルオー作『我らがジャンヌ』部分。(以上展覧会図録より複写)展覧会看板。

 

     

 

 


97.『貴婦人と一角獣展』

2013-07-30 14:21:41 | 美術館企画展

近年、東京周辺での美術館の企画展はどれも充実した内容で、行ってみたいと思うものが多い。日本の美術館側の対応が世界的に水準が高いのだろう。もちろんその全てを見ることは不可能であるし、また仕事にも支障をきたす。

と、いう訳で六本木の国立新美術館で今月始めまで開催されていた『フランス国立クリュニー中世美術館所蔵 貴婦人と一角獣展』に行って来た。今回も会期ギリギリの滑り込みセーフである。一角獣と言えば幻想絵画好きの人達は、ドイツ文学者で美術評論も数多く手がけた種村季弘氏の『一角獣物語』を思い出すだろう。そして絵画作品ではなんと言っても19世紀フランス象徴主義の画家ギュスターブ・モローの『貴婦人たちと一角獣』を思い浮かべるだろう。一角獣(Unicorn)という白馬の体に長い一本角を持つ空想上の動物は西洋で15世紀まで実際にアフリカ、インド、中国などに生息していると信じられていた。そして古い探検記や動物誌に挿絵入りで紹介されている。シルクロード文化圏ではこれが長い時間の交易により中国に伝わり『麒麟』になったのではないかとも伝えられている。東西文化圏といっても結局はつながっているんだねぇ。西洋では一角獣は告知、啓示、純潔、精神などの象徴であり、絵画などの主題として貴婦人とのペアで表されることが多い。

ひさしぶりの新美術館。展覧会も終盤で混んでいるのではないかと思ったが、それほどでもなかった。上野の山の美術館よりはずっと空いている。会場に入って圧倒されたのは今回のメイン作品である『貴婦人と一角獣』」の6面のタピスリーである。高さ、幅共に3mを超えるその大きさもさることながらさまざまな寓意を盛り込んだ煌びやかで緻密な画面は圧巻でひとつの部屋を囲むように展示されているのだが、物語世界の深い森に迷い込んだような錯覚さえ覚えるような空間を演出していた。原画の作者は15世紀パリで活動していたジャン・ディープルという画家だという。今までもいくつかの中世ヨーロッパ作品の企画展でタピスリーは見てきたが、これほど圧倒されたことはない。デザイン的にも真っ赤な背景に一角獣や貴婦人を中心として周囲に数多く散りばめられ織り込まれた花々、木々、動物、鳥類など時間をかけて何度も回りながら見たのだが飽きることはなかった。タピスリーは織物工芸に属するものだろうが、そんなジャンル分けなど忘れてしまうほど絵画性と密度を併せ持った作品群であった。最後に20世紀初頭に、このタピスリーを見て感動したリルケの連作詩の中から翻訳されたその一部をご紹介しよう。

…彼女たちはその獣を穀物で養うのではなく、

ひたすらに、それが在るという可能性を糧として養った。

そしてそれこそが獣にその身から

額の角を生いはやす力を授けたのだ、一本の角を。

獣は一人の処女の許へと迫りより、

銀の鏡のうちまた彼女のうちに存在した。

 -ライナー・マリア・リルケ『オルフォイスによせるソネット』第二部第四歌より

画像はトップがタピスリー『一角獣と貴婦人」部分図(展覧会図録より) 下が同じくタピスリー部分と国立新美術館内部。

 

  

 


90.『ラファエロ展』

2013-06-20 21:42:11 | 美術館企画展

先月より仕事が立て込んでいてひさびさのブログ更新である。と、いう訳で内容もすでに終了してしまった。美術館企画展のこと。今更ですが国立西洋美術館で開催されていた『ラファエロ展』について書きます。

展覧会は3月から今月始めまで開催されていた。行こう行こうと念じつつ、いつものことながら終了間際になってやっと腰が上がった次第である。このところ上野公園内の国立博物館や西洋美術館で開催される大規模な企画展の混み方は尋常ではない。特に某国営放送のテレビ番組で紹介された後の混雑ぶりは異常と言っても良い。まず大勢の来場者の流れに押されながら人の頭越しにようやく鑑賞するというのが常である。ましてや我が国初公開となる巨匠『ラファエロ展』とあってはどれだけ混雑するのか解ったものではない。事前に「午後4時過ぎると比較的空いている」という情報を知人から得たので今回から試してみることにした。ところが美術館に着くと会期終了間際ということもあってか長蛇の列。覚悟を決めて最後列に並んだ。

今更だが、ラファエロ・サンツィオ(1483-1520)と言えばレオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロと並びイタリア・ルネサンスの三大巨匠と呼ばれる天才画家である。その優美かつ完璧な画風は19世紀半ばまでの西洋の画家にとって絶対的な手本とされて来た。まさに『神の手』がなせる技である。会場に入るとまず有名な『自画像』が出迎えてくれた。「それにしてもラファエロって色男だな」人に流されながら順を追って見ていくと初期宗教画作品は工房に入り学んだと言われているペルジーノの影響が強く見られる。それにしても板に油彩で描かれた絵画作品は保存状態がたいへん良好で色彩が輝いて見えた。ポスターにも使用された今回のハイライト作品『大公の聖母』の前まで来るとさすがに人が動かない。仕方ないので少し後方まで下がって秘密兵器である『単眼鏡』をポケットから取り出し、画面を舐めるように見ていった。磨き抜かれた描画技法と合わせ画家自らの深い信仰心をも感じる傑作である。何度も溜息が出た。

今回の展示で予想外に良かったのは小さな肖像画の連作だった。その中で特にダ・ヴィンチの作品を研究して描かれたと言われる『無口な女(ラ・ムータ)』という女性像はその場の空気や時間までも感じさせてくれるリアルな表現となっていた。

みんないい展覧会は見たいのであるから人の多さは仕方がない。それを差し引けば、ひさびさに充実した内容の観ごたえのある企画展だった。画像は向って左から」ラファエロ展入口の看板。2点の肖像画の部分(展覧会図録より複写)。

     


83.特別展 『飛騨の円空-千光寺とその周辺の足跡』展

2013-04-10 19:28:48 | 美術館企画展
先月末、東京国立博物館で開催されていた『飛騨の円空-千光寺とその周辺の足跡』展を観に行った。

円空(えんくう1632-1695)と言えば江戸時代前期の行脚僧であり日本全国に『円空仏』と呼ばれる独特の作風を持った仏像を残したことで知られる。その創作活動の範囲は北は北海道、青森県から南は三重県、奈良県までおよんでいる。今回の展示は円空の故郷でもある岐阜県高山市の千光寺所蔵の61体をはじめ、同市所在の円空仏100体で構成されている。

この日は雨天の平日、上野公園のソメイヨシノもそろそろ散り始めていたので、博物館も空いているのではないかと思い、朝から出かけた。読みは当たって会場に着くといつもより空いていた。入場するとさっそく素朴で荒削りの木彫仏が出迎えてくれた。その表現は『一刀彫(いっとうぼり)』などと伝えられているが、実は幾種類もの彫刻刀で丹念に彫られているらしい。昔から興味のあった円空だが、なかなか本物を見る機会がなかった。そういえば木版画の巨匠である棟方志功氏は円空仏に始めて出会った時、思わず「僕のオヤジがいるっ!!」と叫んだらしい。円空の素朴で力強い彫りの表現は棟方氏の木版画の刀表現と重なるものがある。

展示の中で特に大きく目をひいた仏像は『金剛力士(仁王)立像 吽形』である。千光寺境内の地面から生えていた栓の大木に木目や節などを生かしながら彫られたこの像は会場で力強い存在感を放っていた。次に同じく千光寺所蔵の『両面すくな坐像』、日本書紀に登場する2つの顔を持つ飛騨の山の民の祖である。この像も木の性格に逆らわずに彫られたリズミカルな刀のタッチが美しい陰影を作り出していた。こうした迫力のある忿怒相の像とは対照的に柔和な顔立ちの菩薩や天を彫った像も魅力的だった。飛騨国分寺所蔵の『弁財天立像』はとても穏やかで優しい表情をしていた。

大乗仏教の思想に「草木や禽獣など自然界の森羅万象は仏の性を持っている」と伝えられている。円空の自然木から生み出される神仏は、まさにこの思想を現実の造形として現されたのではないか。ゆったりした会場で樹木の持つぬくもりや匂い、そして味わいのある木彫表現に癒された時間を持つことができた。画像はトップが『両面すくな坐像(部分)』、下が『弁財天立像(部分)』(以上、展覧会図録より複写)雨の博物館入口。