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LIFT OFF! 平成21年3月14日朝、寝台特急「はやぶさ」ファイナルラン

2009-03-20 | 鉄道
はやぶさは旅立った 平成21年3月13日夜、寝台特急「はやぶさ」ファイナルランからの続き


東京行き「はやぶさ」最終列車の方向幕 東京駅へと向かうブルートレインは「はやぶさ」「富士」を最後に消滅した

平成21年3月14日


東京行き寝台特急「はやぶさ・富士」の、最後の夜が明けた。
車窓には、尚も涙雨。



一睡もせずに最後の夜を過ごした「ソロ」個室の室内は、一夜明けるとこの有様。





名古屋に到着。
昨夕の北九州での人身事故に端を発する遅延は夜間走行中に拡大したようで、現在1時間半程度遅れて走行しているとの車内放送がある。
「1時間半といわず、2時間でも3時間でも…いや、いつまでも終着駅になんか着いて欲しくない!機関車EF66よ無理するな、もっともっとゆっくり走れ!」
僕だけでなく、おそらく総ての乗客がそう願った筈。



だが、列車はあくまでも誠実に、涙雨を振り払いながら朝の東海道本線を駆け抜けていく。
名鉄の“パノラマスーパー”に見送られて、豊橋駅を通過。ブルートレインがスカーレットの名車“パノラマカー”と併走してコントラストの妙を競い合ったのも、今は想い出。







新幹線と並んで浜名湖を渡り、浜松駅に到着。
ここでも多くの人たちから出迎えと見送りを受ける。


浜松発車後、乗客全員に、乗務している下関の車掌さん達から手作りの乗車記念証が配られた。

乗務員の方々からの心尽くしの、思わぬプレゼント。丁寧に台紙にセットされた綺麗なカードだった。
下関の車掌さん達、ありがとうございます。



「はやぶさ・富士」は尚も東海道本線を東進する。
金谷駅を通過し大井川鐡道の線路を見て…



大井川を渡り…

晴れていればそろそろ富士山が見えてくるのだが、空は泣き止まない。

静岡駅を発車直後、東京へと向かう300系の新幹線「こだま」が「はやぶさ・富士」を追い抜いていった。
否、追い抜き去るのではなく、「こだま」は暫らくの間加速せず、鉄路の大先輩列車に寄り添うように走っていた。
見ると、「こだま」の乗客たちが手を振っている。そして、全ての乗務員室の窓が開き、新幹線の乗務員達が窓から身を乗り出して「はやぶさ・富士」に敬礼を送っている。
「はやぶさ・富士」の乗客と乗務員も、手を振り交わし敬礼を送り返しそれに答える。
やがて300系のタイフォンとEF66の汽笛が鳴り交わされ、2つの列車は離れていった。誇り高き鉄道員たちと、鉄道を愛する旅人たちの心がひとつに重なった瞬間だった。


終着駅東京が近付いて来る。
旅の終りが近付いて来る。


最後の停車駅横浜を出発。
「まだ終わりたくない、はやぶさと別れたくない!このまま時間が止まればいいのに…!」






平成21年3月14日午前11時33分、第9002列車寝台特別急行「はやぶさ・富士」号は終着駅東京に到着した。







「着いてしまった…終わってしまった…」
頭の中が真っ白になっていくのが分かる。

このときが来ることは、2年前に「九州ブルートレイン全廃」が新聞報道された時から解かっていた。覚悟もしていたつもりだった。
しかし、現実に自分が「はやぶさ」の旅の終りに立ち会っていると総てが崩れ落ちた。

「ああ…駄目だ、泣いちゃ駄目だ!」自分に云い聞かせる。
「さあ、行こう。降りなくちゃ…もうすぐ回送列車が出発する…」でも、その前にもう一度だけ…


「ありがとうございました!」

「はやぶさ」への、別れの言葉。誰もいなくなった寝台車の車内に向かって、僕は心の底からの感謝の気持ちを捧げた。それが精一杯だった。

 声も出さずに、僕は泣いた。




平成21年3月15日

正午前、熊本駅に帰って来た。


一昨日とはうって変わって、春うららのいい天気。
だが、熊本駅の3番のりばには、昨日までこの時間にはそこにいた筈の碧い列車の姿はない。

「終わってしまったんだな…」

八代行きの普通電車に乗り換えようとプラットホームを歩く僕の背後で、ふいに逞しくて暖かい声が聞こえた。
「えっ?今の汽笛は…」


蒸気機関車が、そこにいた。
「あそBOY、いやSL人吉のハチロクだ!もう熊本で試運転をやっていたのか!」
台枠の損傷という鉄道車輌の致命傷から奇跡の復活を遂げ、来月から熊本と人吉を結ぶ「SL人吉」として運転開始することになっている8620型機関車がやってきたのだ。
しかも…見慣れた、そして昨日別れを告げた、碧い寝台車を連れている!


「ハチロク、はやぶさを連れて来てくれたのかい?…ありがとう!
…また会えたね、はやぶさ!」


不死鳥のように甦った奇跡の機関車が僕を励ましてくれた、これもちょっとした奇跡。

そしてその時、僕は思い出したんだ。「はやぶさ」もまた不死鳥であることを。

大隈半島の山の中にある宇宙空間観測所。
そこへロケットで宇宙船を打ち上げるために通った宇宙工学者や天文学者を乗せて走り続けた夜汽車にちなんで「はやぶさ」と名付けられた小さな宇宙船が
宇宙の彼方へ旅立った。

宇宙船「はやぶさ」は名前の由来となったブルートレインにも負けない長旅をして、星の王子さまが住んでいそうな小惑星に辿り着き、星のかけらを拾った。
独りぼっちの宇宙船「はやぶさ」は長旅の大冒険で全身傷だらけだ。何度も倒れそうになった。
それでも「はやぶさ」は旅を続けた。たくさんの人たちが「はやぶさ」を愛し、励ましてくれたからだ。数々の困難に打ち勝ち旅を続けた「はやぶさ」は、いつしか不死鳥、奇跡の宇宙船と呼ばれるようになっていた。
今、宇宙船「はやぶさ」は、星のかけらを抱いて宇宙の旅の終着駅である地球を目指し旅を続けている。
懐かしい故郷の終着駅まで、あと少しだ…

宇宙船「はやぶさ」の旅路は、まさにブルートレイン「はやぶさ」の旅そのものではないか。
「はやぶさ」は宇宙を行く夜汽車だ。多くの人たちの気持ちを、情熱を、愛を運ぶ夜行列車だ。故郷の駅へと帰って来る夜行列車だ。
ブルートレイン「はやぶさ」はきっと昨日、そんな同じ名前と心を持つ宇宙船に会うために旅立ったんだ。

だから僕は、ブルートレイン「はやぶさ」にさよならはもういわない。
こういって送り出してやるんだ。

ブルートレイン「はやぶさ」、LIFT OFF!行ってらっしゃい…


はやぶさは旅立った 平成21年3月13日夜、寝台特急「はやぶさ」ファイナルラン

2009-03-20 | 鉄道
 目を瞑り耳を澄ますと、今も僕の心の中に碧い列車が駆け抜ける、汽笛が聞こえてくる… mitsuto1976



最後の「はやぶさ」9042列車を牽く機関車ED76 ヘッドマークが涙雨に滲む

平成21年3月13日

午前10:00 熊本駅



最後のブルートレインを送り出す準備の整えられた熊本駅はまさに「はやぶさ一色」。


コンコースには歴代ブルートレインと急行列車のヘッドマークが並ぶ。


正午前、東京駅からやって来た下り「はやぶさ」が到着。




この編成が4時間後には折り返し熊本発の最後の「はやぶさ」となる。




熊本駅に到着した「はやぶさ」は、整備点検を受け最後の熊本駅発「はやぶさ」となるべく、車輌の籍を置く基地・熊本車両センターに回送される。
住み慣れた“我が家”に戻るのもこれが最後となる。


約3時間後、熊本駅、15時頃。



「はやぶさ」出発式が始まり、多くの見送り客が集まっていた。


15時半頃、最後の「はやぶさ」となる編成が真紅の交流電気機関車ED76の90号機に牽引され到着、5番のりばに据え付けられる。
涙雨は降り止まない。



これから乗車する車輌、オハネ15 2002 B寝台1人用個室「ソロ」。
これまで幾度と無く乗車し、自分の部屋のように棲み慣れた「ソロ」が、僕の「はやぶさ」での最後のベッドとなる。
「ソロ」車の隣には、見知った顔の客車がつながっているのに気が付いた。最上級車輌のA寝台1人用個室「シングルDX」のオロネ15 3002は、かつてはオロネ25 2を名乗っていた車輌。忘れもしない、家族に連れられた12歳の僕が初めて「はやぶさ」に乗った時に連結されていた車輌だ。
「いつかはこのA寝台車に乗って、一人旅をするんだ」と憧れ夢見た車輌だ。

今夜は馴染みの定宿のような気の置けない車輌や幼い日に憧れた車輌に囲まれて、最後の「はやぶさ」の夜を過ごすことになるのか…



編成最後尾には、テールライトの下に赤い反射板が取り付けられていた。
この編成が、終着駅到着後はもう二度と再び乗客を乗せることもなく、車内電源を落とされたまま回送される運命にあることを示す、哀しい証。


平成21年3月13日15時57分、第9042列車寝台特別急行「はやぶさ」は熊本駅を出発した。




「ソロ」個室の小さな窓から眺める風景。
流れ去る車窓の、一瞬一瞬がもう二度と見ることの叶わぬ最後の景色。



「ああ…美しいな。夜行列車の窓から見る夕景は、何故こんなにも哀しくて美しいんだろう…」

「はやぶさ」は二度と再び辿らぬ通い慣れた鹿児島本線を走り続ける。
途中、博多駅発車直後に対向する下り貨物列車に発生した人身事故の影響で足止めされた為1時間ほど遅れて、九州最後の停車駅となる門司駅に到着。
ここで大分からやってくる僚友「富士」の到着を待つ。




遅れた「はやぶさ」を門司駅の手前で待ってくれていた「富士」が到着。
併結運転を始める前から、同じ編成を共に使い合う仲だった「はやぶさ」と「富士」。そんな親友同士のような2つの列車が連結され、1つの寝台特急「はやぶさ・富士」となる。
最期の時まで手を取り合い、一緒に旅を続けようとするジョバンニとカムパネルラのように。





門司駅を発車した第9002列車寝台特別急行「はやぶさ・富士」は関門トンネルに突入し、九州を離れる。
真紅のED76に代わって碧い列車の先頭に立つのは交直流電気機関車EF81-400番台。
旅客用、即ちブルートレイン牽引用としては僅か2輌が在籍するのみの、海底トンネル区間専用という文字通り“縁の下の力持ち”に徹した孤高の機関車は、今夜と明日の朝、最後の「はやぶさ・富士」を率いて関門海峡を渡りその任務を全うした後、ただひたすら黙々と往復し続けた海底の鉄路から静かに去っていく。
ここにも人知れぬ別れのドラマがあった。



本州に上陸した「はやぶさ・富士」は下関駅に到着。
ここで機関車EF81-400番台は切り離され、国鉄最強の大型直流電気機関車EF66が登場する。



“ヘラクレス”EF66がブルートレインの先頭に立つのも今夜が最後。
その最後の雄姿を一目見ようと押しかけた人々で、先頭車周辺は立錐の余地もない程。



カメラの放列の向うに現れた、重量感そのものの剛鉄の塊。
磨き抜かれ輝くナンバープレートを見ると…「あっ!42号機だ!」
何と、これまた僕が初めて「はやぶさ」に乗った時に牽引を担当していたEF66 42ではないか!
「最後の夜に、懐かしい顔が揃ったなぁ…!東京まで、今夜もまた頼むよ42号機!
今夜はオロネ25 2もいるんだ。1時間も遅れているからって怪力任せの回復運転に夢中にならずに、牽き出しと停止は特別丁寧に頼むよ!」



14系15型寝台車及び24系25型からの編入改造寝台車からなる、12輌編成のブルートレイン「はやぶさ・富士」はEF66 42に導かれ雨の山陽本線を邁進する。

昭和40年代、下関で水揚げされた海産物を逸早く大都市東京へと運び出す「鮮魚列車」を牽くために造られた、当時国内最速最強を誇った巨大機関車EF66。
速さと強力さを宿命付けられた貨物列車専用の機関車はしかしその後、東海道山陽本線の華であり最優等列車であるブルートレイン専用機に大抜擢される。
国鉄の分割民営化を睨んだ寝台特急「はやぶさ」の接客設備改善の為の「ロビーカー」連結に伴う編成の超重量化に従来の旅客用機関車が耐えられないことが判明、しかし強力型旅客機関車を新製する余裕のなかった国鉄は牽引力と高速走行性能共に余裕のある貨物機に着目したのだ。
かくして、新時代の東京発九州方面行き寝台特急専用機関車としてEF66に白羽の矢が立った。それはまさに、「はやぶさを牽引するため」だったのだ。
「はやぶさ」の為だけに用意された国鉄史上最重量級、15両編成の24系25型客車を率いて最高時速110キロで東海道本線の難所「関が原」を、山陽本線の難所「瀬野・八本松」を駆け抜けること、総距離1000キロを超える東京―下関間を交替なしで走破すること。これがEF66に与えられた新たな使命。
その過酷極まりない使命を、EF66は20年以上に渡って毎夜黙々と果たし続けてきたのだ。



だが、それも今夜まで。
今夜は、身軽になって少し軽くなった12輌編成の客車たちと一緒に、最後の夜を味わってくれ。そんなに頑張るな、走るのはゆっくりでいいんだ。
…もういいんだ、実直な巨人よ。剛鉄の身を削るような、機械の身体からも血が滲み出るような凄惨な任務はもう終わるんだ。
せめて今夜は、最後の旅を楽しんでくれ…


「はやぶさ・富士」は夜の山陽本線を進む。
停車駅毎に、多くの人達の見送りを受けながら。
「いつもいつも、通る夜汽車…」沿線の人々にとっては、生活の一部となっていたであろう夜行列車。
明日からは、もう想い出となる夜汽車…





午前4時過ぎ、大阪駅に到着。
大阪駅では乗客の乗降は行われない運転停車で、時間も時間なのでプラットホーム上には人の気配はなかったが、数人の鉄道員が無言で敬礼して見送ってくれた。
鉄道員にとってもブルートレインは特別な列車であるということはよく聞く。最後の「はやぶさ・富士」を見送る彼らの姿に、プロフェッショナルの誇りと寂しさを見た気がした。


京都駅でも鉄道員の敬礼と、夜明け前にも関わらず集まった鉄道ファン達に見送られてゆっくりと通過。
琵琶湖をかすめ関が原を乗り切った頃、車窓が薄っすらと青い光を帯びた。
「朝になったか…」
「はやぶさ・富士」最後の夜が明けたのだ。


LIFTOFF! 平成21年3月14日朝、寝台特急「はやぶさ」ファイナルランに続く