市民から市職員についての苦言を聞くことがあります。
前市長時代、トップダウン型の市政運営が強烈に行われた結果であり、考え行動する職員の能力が育たなかったからではないか?
と考えていました。しかしながら、それが全ての職員に当てはまるものではないと考えるようになっています。
新人当時に体験したなら、それを変えていくのは至難の業で時間の掛るものかも知れませんので、一定の理解をした上で、共に市政運営にかかわっていかなければならないと考えています。
それが、ある一定の行政経験を積んだ職員ならば、いざという時の為に自らが力を蓄えておかなければなりません。それが職務です。
私の知っている職員の中にも自らを見失わずに、絶えず切磋琢磨して鞘の中の刀が錆びないように頑張っている職員がいました。
今はその職員がそれぞれの持ち場で実直に仕事をしていますが、
近い将来、彼らが団結して更に大きくなって市政運営を担ってくれると期待をしています。
しかし、過去の失われた10数年を理由にする職員がいたとするならば、早く鞘の中の刀を磨き本来の実力に戻し、これら個々の職員がもつ心の錆びを一刻も早く取り除き、キラリと光るものに変えていかなければならないと考えます。
タイトルに上げた「鞘の内」を調べると → 刀を抜かずして争いを治める事を、居合の世界では「鞘の内( さやのうち)」言うようです。
私は、何時いかなる時でも絶えず鞘の中の刀は手入れを怠らず、耐える時には耐え抜き、いざという時に役立てなければならないと考えています。