昨日の、補助金の返還請求に続き、遅延損害金の請求が発生していますので、
お知らせ致します。
前市長が産婦人科医誘致推進し、公募に応募した医師に対して5000万円の助成を行いました。
(当時は土地も無償貸与する予定でした。)
しかしながら、医師側の都合で事業を取り消されたために、
助成金の返済を求めましたが1400万円返済されたものの3600万円が分割返済になりました。
(双方合意の元、公正証書を作成し延滞の場合は遅延損害金が発生する内容も明記されていました。)
しかし、ある時期から延滞が発生していましたが、
市役所からの発表はなく私からの指摘で明らかにしました。
遅延損害金の請求を議会で再三に渡り、三木市に求め続けましたが、
三木市が最終的に請求はしないと判断しました。
その後、市長が変わり委員会で再度指摘し、
この度の1,346,912円の請求の件について、常任委員会で説明がありました。
質疑応答の中で、遅延損害金を請求しないと判断した事務手続き上の書類などは存在せず、
こちらが常任委員会で指摘するまで請求の是非でさえ検討していなかったことが分かりました。
過去の遅延損害金請求の不執行についての経緯は
今後、医師への請求で明らかになるのではないかと考えています。
また、時効期限は10年で現時点では成立していません。
最後に、この度の件については、議会や委員会で何度も指摘し、
多くの情報公開請求をしているのにも関わらず、
既に終わってしまった事として念頭になかった事については、
①プロフェッショナル職員の減少からくる弊害、
②職員数の減少による多忙からくる弊害、
③臭いものに蓋をしたまま単純に忘れていた(もしこれだと、一番質が悪い)
等のどれかが問題なのではないかと考えられます。
幾度となく提言していますが、プロフェッショナル職員の人材育成が急がれます。
下記は、27年5月20日民生常任委員会の議事録抜粋です。
◆大西委員 ちょっとだけ教えてほしいんですけど、
産婦人科の助成金返還ありましたよね。あれ今幾らまで返ってきてて、
ほんで幾ら残ってて、返済、あのときは1回30万円の返済っていう話があったと思うんですけど。
あと、最終支払いが何月に完結するのかというのがわかったら教えてください。
◎西本健康福祉部長 今現在、この5月末で最終の返還が終わる予定でございます。
5月末期限ですので、うちが市として認知するのは6月上旬になろうかと思いますが、
今はそういう状況です。
◆大西委員 委員長。
○初田委員長 どうぞ。
◆大西委員 そしたら、6月上旬に……。毎回返ってきてました。
以前僕が本会議でお話しさせていただいてから多分返ってきてるときと
返ってないときがずっとあったと思うんですけど、順調に返ってきてましたか。
◎西本健康福祉部長 私、記録を見る限り、ここ1年は順調です。
◆大西委員 順調ですか、わかりました。
委員長。
○初田委員長 どうぞ。
◆大西委員 あと、6月上旬にそれが最終的に返済されて、
利子とかはどないしてんですか。遅延とありましたよね。
◎西本健康福祉部長 利息というものはなかったと思うんです。
遅延損害金という言葉が公正証書を見させていただくとあります。
ただ、今大西委員がおっしゃったように、60万円から30万円に額を変更してます。
そやから、公正証書のとおりであれば、60万円やったものをその後おくれ気味といいますか、
ちょっと苦しい、しんどいというような話の中で、
市と御本人とお話しする中で30万円という話が出てきて。
30万円にすれば当然回数がふえるわけですから、最終のリミットはおくれますけれども。
ただ、そのときに話した時点で、
公正証書の内容というのはそこで一旦効力が切れるという話になりますので、
利益に関する損害金も私は発生しないというふうに理解しております。
◆大西委員 委員長。
○初田委員長 どうぞ。
◆大西委員 それは、そしたら三木市の見解という理解でええのかということと、
逆にその遅延金が発生するっていうことで公正証書を巻かれてましたから、
そこでもう遅延金が。途中で内容が変わってしまったから
遅延金はもういいんだっていう話になると、一方の市民に対しては
僕は損失を与えているんじゃないかなと思うんですけれども、その辺の見解はどないなんですか。
◎北井副市長 基本的に大西委員、今部長が言いましたように、
失効するとかというんじゃなくて、
公正証書というのはあくまでも市と相手側との約束事であって、
私とこがそれを使うかどうかというのは市のほうに判断を委ねられてると。
最終の切り札ですよね。 それで、答弁でもお答えしましたように、現金というかお貸ししたお金を
何とか返していただくというのを最優先に考えた中で、
我々としては弁護士さんとも相談しながら60万円を30万円にした。
おくれている中で事情も聴取しながら60万円を30万円にしたと。
それを、おくれてる中を、あれは120日を超えればという話になってます。
ただ、それも60万円と同じ考え方であって、
その120日を超えても市のほうがそれを回収するのを最優先として待った場合は、
それはその日を延ばして待ったということになりますので、
基本的に遅延金は発生しません。そういう考え方から遅延金は発生しないというふうに
市としては考えています。これは弁護士さんにも相談した上の判断でございます。
◆大西委員 委員長。
○初田委員長 どうぞ。
◆大西委員 60万円からずうっと、
多分あれ120日を超えてたときがあったんじゃないかのなと思うねんけどね、
60万円のときは。
なので、60万円を超えたときは僕はもう遅延金が発生してると思ってるんですよ。
ほんで、お互いの協議の中で30万円にするからじゃあ待とうよ、
待とうかという話になった部分については、百歩譲ってええとしましょう。
でも、60万円でずっときてたとき、ほんで120日を超えたときがあったとしたら、
その時点でその間だけでも僕は損害遅延金は取られるのがええのかなあと思ってて、
これは僕の見解、思いですよ。 ほんで、市と先生との話ですけど、その背景には市民の皆さんの税金がありますやんか。
それを僕ら役所の税金納めるときにちょっとおくれると遅延金取られますやんか。
でも3,600万円をずうっと続けて返してきてて、
そのときにおくれたら損害遅延金払うよっていう公正証書まで巻いてるのにもかかわらず
遅延金取れへんねんという話になると、市民の皆さんそれで納得しますかねって思うんですよ。
だから、その辺の説明責任というのは、
6月に返ってくるんでしたら6月に
ちゃんと市民の皆さんに報告と説明責任は僕は果たしていただきたいなと思います。
◎西本健康福祉部長 その公正証書にある120日を超えたかというと超えておりません。
議事録中120日を超えればと発言が北井副市長や西本部長からあり、
私もその数字に誤魔化されてしまいましたが、
公正証書には120万円を超えたらと記載されており、
副市長や部長が意図的に話をすり替えたのかも知れません。
当時、私も議員として多くの問題に取り組んでおり、
すり替えを事を見抜けなかった事について反省をしています。
職員の資質もさることながら、すべての指摘は、議員全体にもいえることではないでしょうか?
それぞれが、それぞれの立場で我がごととして、受け止め、考え、行動していかないと、ダメなのではないでしょうか?
仰る通りです。
他人事ではなく、我事として取り組まなければなりません。
この予算に賛成した会派と議員各位も猛省すべき事と考える。
まして、当施策に失敗し元本は北井(元)副市長の胡散臭いやり方で何とか回収したようだが、遅延金については誤魔化しの答弁や説明をしつづけ、市民の税金を軽んじた対応を見せた。その張本人たる藪本も北井も何ら後始末することなく事後処理をほったらかしにし逃げてしまった。
当時の担当部長であった西本部長も上司の意を汲んで逃げの弁明に始終した。市民目線でなく上司を忖度したこの部長が今や教育長職務代理とは三木市の教育体制も情けない限りだ。
税の公平を第一義に市民のための行政施策を運営するのが公務員の使命であろう。これをないがしろにする職員は公務員の資質が無いばかりか、市政運営の癌ではないか?。
癌は早いうちに取り除かなければ致命傷につながる。三木市の体力が落ちすぎない内に市民を裏切る嘘つき職員は早期駆除する必要がある。
この状況を踏まえて言う。
いじめを容認するまち三木市
見て見ぬふりのまち三木市
強いものに言われたら一緒にいじめるまち三木市
いじめっこの大将が去ったら、被害者のふりをすればいいまち三木市
これが三木市の正しい生き方。
身をもって示す幹部たち。
この人たちが三木市を牛耳続ける限り、隠ぺい体質は変わらないのかもしれない。
市民のためよりも自己保身が常に最優先されて反省もない方々が、今後も自分と近い人々の利益を最優先に業務を行っていく。
上司が常にそのような態度で優遇され続けるのを見れば、部下たちも見習わざるをえなくなっていく。
新市長がいかに良い方針を示しても、真ん中で骨抜きにしてしまう人たちがいるのではどうにもならない。
・・・ほったらかしにし逃げてしまった。
仰る通りです。忸怩たる思いでいっぱいです。
今は嘘つき職員を切り捨てる事が出来ないぐらい人事については組織が末期状態です。
その様な職員でも適材適所に活かすリーダーの肚が必要かと考えます。
厳しいご指摘かと思いますが、ごもっともなご意見だと思います。
しかしながら仕組み上、職員を簡単に解雇したり降格したりすることが非常に難しいのが現状です。(自ら責任を負い降格を願い出る職員がいないのも残念ですが)議員としても絶えず注視していかなければならないと考えます。