この曲はショパンの作品で特に有名な「24の前奏曲」曲集第15番雨だれです。サンドとの逃避行中作曲されたもので、主旋律はともかくとして、やむことない雨音が作中鳴り続ける、聴くものと、おそらくは作者もそう感じていたと思いますが不安に包まれています。ショパンの神経質なのはよく知られていますが、ここまで感情を露骨に出す音楽家だったのだなと今更ですが驚いてしまいます。
雨降りやまぬマヨルカ島の修道院で買い物に出かけたジョルジュ・サンドの帰りを待つショパン。嵐で足止めされたサンドが修道院に戻ったのは夜もよほどふけた頃でした。ショパンは孤独とサンドを失ったのではないかという焦燥感からこの曲を書き終えます。サンドが戻ったとき、ショパンは涙に咽びながら出来上がったばっかりの曲を弾いていたと言われています。ショパンの作品中とても人気のある曲であります。
抑えられぬ感情の発露、類まれなる作曲のセンス、平均律クラヴィーア曲集を全て暗記していたという芸術家の特性。相反するものほど愛おしく感じる矛盾。虚弱である彼の身体。
久世光彦は生前様々な随筆を綴りましたが、彼の文章には常に死が隣に佇んでいたように思います。生と死とは実は表裏一体となっており、この世における循環、生と死の輪廻転生を描いていたように思います。
ショパンは作品中、特に雨だれのなかで、悲しくなるほどの死への接近を試みたように思えてならず、ここでいう雨だれとは彼の溢れる涙の調べというべきか。その涙は主旋律にあるのではなく尽きぬ雨音、雨だれの連打音にあらわれていますので、お聴きになって確認されるとよいかと思います。死の調べに似た恐ろしく透き通った名曲だと僕は思った次第です。
2024/08/10 11:16 亀戸アトレ Pad6
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