akikoの「活動」徒然記

活動弁士佐々木亜希子の身の周りの出来事やふと感じたこと

豊田直巳「戦火の子どもたち」写真展

2007-06-19 | 映画・芸術・エンターテインメント
18日は夕方『やぐちひとり(C)』のナレーション収録。いつもなら前の週の水曜日なのだが今回は特別。ナレーション少なかったこともあり、収録はあっという間に終わる。

その後、豊田直巳「戦火の子どもたち」写真展&トークショーへ。豊田さんとは一昨年ピースボートで水先案内人として御一緒してからの御縁。神楽坂の会場は、入りきれないくらいの人で熱気にあふれていた。

豊田直巳さんは、イラクやパレスチナ、アフガニスタンなど、戦争や紛争の中で生きる、あるいは死んでいく市井の人々を撮り続けるフォトジャーナリストである。1983年に、初めて訪れたパレスチナ難民キャンプで「この現状を日本の人たちに伝えてほしい」そう言われてから、民族紛争の中、戦火と占領の中、貧困と蔓延する感染症の中、必死に生きる人々の姿を写真に収めてきた。
そこには、戦争の残酷さとともに、どんなに傷ついても「生きる」ことに真直ぐで無垢な命が写し出されている。悲惨なだけではない、豊田さんの彼らへの愛情と平和への願いと暴力への怒りが込められていて、一枚一枚が重厚なメッセージを投げかけてくるのである。

豊田さんは、いくつもの「現場」を歩き続けてきた。不都合な部分は隠蔽され、歪曲されて、真っ当に報道されない現実を目の当たりにしながら、そこに体を張って立ち向かっている一人である。

イラク戦争下、昼夜を分かたず振り注ぐ米英軍の無差別爆弾で犠牲となったのは、老若男女、多くの武器を持たない市民。爆撃で肉体も生活も友人肉親も奪われ、さらに劣化ウランが原因と思われる難病、奇病、ガンや白血病に苦しまなければならない。彼らは、民主主義の対極にある暴力の現場で、逃げることもできず、犠牲と恐怖を強いられ続けている。
同じ民族同士の終わらない紛争も、彼らが殺しあいたくなくても、軍需産業でうるおう他国から次々に銃が供給されてくる。そしてそこに武器がある限り、人々は脅かされ、血で血を洗う紛争が続く。

日本は銃を保持することが法律で禁じられているから安心していられるのだ。もし、個人で誰でも所有できるようになったら、忽ち日常生活は脅かされるに違いない。

人を殺すための武器などいらない。
他人を、他国を、犠牲にし破壊して利益を貪る人間という生き物は、地球上でもっとも質の悪い動物である。そして一番怖いのは、そうではないつもりで知らず知らずのうちにそこに加担していることである。文明は発達し、世界は格段に狭くなったのに、人間の意識はどれだけ変わったか。

息苦しくなる想いとともに、世界と自分をみつめさせられる。豊田直巳「戦火の子どもたち」写真展が各地で開催されて、多くの方に観ていただけたらと思う。



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