
京都・天竜寺の管長だった滴水禅師が、備前国(岡山県)、曹源寺の傑僧・儀山のもとで宜牧(ぎぼく)という名で修行に励んでいたころの話です。ある夏の夕方、手桶の使い残った水を地面に捨てたところ、とたんに儀山から雷のような大喝(だいかつ)をくらいました。「水を捨てるとはなんたることだ。わずかな水でも、木の根本にかけてやれば木も喜ぶし、水も役に立つ」
それ以来、宜牧は一滴の水もおろそかにすべきではないと肝に銘じ、自分の法号を滴水と改め、修行に励みました。
この物を生かそうとする心づかいは、物に対してのみ発揮されるものではなく、人に対しても発揮され、人を生かし、人を育て上げるのです。一滴の水を大切にする人は、人を大切にする人です。
