昨日の続き・・・
ふとん屋・綿屋という商いをしている人にとって、火災は本当に怖い。
確か皇太子様(秋篠宮様だったかも)がお生まれになった時だったと記憶している。学校に居た時、サイレンが鳴り「ああ・・生まれたみたいだね」などとみんなで話をしてた。
家に帰ったら、そのサイレンは火事のサイレンであり、火元がわが家(ふとんの仕立て場)であったことにびっくりした。消防車が来た時には大方鎮火していた。いわゆるボヤであった。家の隣が木型工場であり、そこには若い見習い工からベテランまで十数人が働いていた。爺の母が手に軽い「やけど」を負ったが、彼らが駆けつけての速やかな消火作業のお陰で大事にはならなかった。
冬は、ふとん作りの職人さんの手(指)を温めるために練炭火鉢を作業場の片隅に置いていた。火事のあと爺の母は、火の神様である火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)をお祭りする静岡県の秋葉神社(下社)にお参りに行くことを父に進言した。以来一年の安全を祈念して毎年練炭火鉢に火を入れ始めるこの時期にお参りに行くのである。十数年まえから、それは爺と婆の役目となった。
鳥居をくぐり、階段を上る。昇り終えると拝殿。
上社には一度だけ行ったがなかなか立派である。だが、秋葉神社の下社は粗末である。そんな粗社だから庶民の心が届くような気がする。朱塗りの立派な上社はセレブな人が行くところのように思えてくる。この時期周りの山々の紅葉も楽しみの一つである。
本当は11月後半が良いのかも・・・
東京の「秋葉原」という地名は、この秋葉神社からきているとか。火の神様だから参道には消防署のポスターも多い。これだけ庶民に近い神様だが、どこか寂しい神様のよう思える。いろんな神社に祭られているが、本殿ではなく摂社が多い。父であるイザナギ神から疎まれたからだろうか(イザナミの死因はこの火之迦具土神を産んだから)・・・爺の勝手な思い過しか。
秋葉神社に参拝したのち「可睡斎」に参拝して帰ってくる。元々禅宗のお寺である。家康幼少の頃、この寺の住職に助けられたということで、法堂の屋根には葵の紋が入っている。格式の高い寺である。明治の廃仏毀釈の時、この寺の奥の院に旧秋葉寺の本尊「三尺坊大権現」が祭られたそうだ。見たことはない。
三尺坊大権現を祭る奥の院 手前に天狗の像
爺の父母から聞いたことなので、真偽のほどは判らないが、「秋葉神社は火を興し、可睡斎は火を収める」から、両方お参りしてこそ意味があると言われた。また、火を消すのではなく「火をおさめる」ことから、会社の安定を祈念してこんなものが境内にはある。
大きな火箸と灰取り(スコップ状正式名称は知らない) アイシン高岡工場から
このあとは東名高速で豊川稲荷と三河一宮の砥鹿神社へと参拝しました。
右奥が豊川稲荷の本殿。手前の狐様(左右一対)は「木村寝台工業株式会社」からの寄進です。「木村寝台工業株式会社」ってどこの会社? 「パラマウントベッド」の前社名です。
全国の神社・仏閣をお参りすると、結構有名な会社(社長さんも含む)が参拝寄進されてますね。 たくさんの寄進で会社が大きくなるなら事は簡単です。
「天は自ら助くるものを助く」
今では我が家(会社)の歳時記になった秋の二日間の旅でした。