彼とは、大学時代同じ下宿にいた。不精な爺と違って、いつも年賀状など戴き律義な彼であった。昨日奥様から知らせを貰った時は、本当にショックだった。一日落ち着かず、仕事もミスの連続だった。年に1~2度だが電話する。毎回のように今度こそは「逢おう」と約束するのだが、もうできない。毎年、彼から極上のリンゴが送られてくる。最後(昨年11月)のリンゴは王林・金星・サンふじであった。リンゴを見るたびに彼を思い出す事になるだろう。
中年の頃・初老の頃・・・いつも逢っていたように思うのだが思い出せない。彼と最後に逢ったのはいつだろう。ひょっとしたら、昭和50年3月が最後だろうか・・・。長女が生まれる2カ月ほど前、お腹の大きい女房を連れて、姫路城を見に行こうとした時のことだ。それぞれ上り下りのホームで電車を待っていた。線路の向こうに彼が立っていた。歴史の教師である彼は春休みに関西各地を旅していたのだ。奇跡的だった。彼は、急遽予定を変更して、我々と一緒に姫路へ行くことにした。毎年のように逢っていると思えるほどだが、以来彼とは逢っていないようだ。25歳の時の顔から爺の頭の中は変わっていないのかも…。今、息子さんが25歳前後だろう。35~6年ほど前の彼に逢えるだろう。
彼は永遠の眠りに就いた。また一人友達が目覚める事のない眠りに。