<<お礼の時でも「済みません」>>
私たちが始めて外国に出かける時に必ずと言っていい程、「若し交通事故に巻き込まれても、決して"I'm sorry"と言ってはいけない」と言われます。
確かに考えて見ますと、「済みません」を謝る時の他に「有り難うございました」の意味で普通に使われています。
良く言われるように、「済みません」は、昔の村社会で互いに自分の非を認め合う事で、円滑にの物事を進めるのが日常化して遂に習慣になったのでしょう。
普通の日本人、特に高年になるほど「済みません」を良く使うようです。
<<「済みません」精神の良い所>>
この習慣や考え方には良い事もあります。
店ではお客からクレームがついた時、主に顧客側に非があっても、自分の方にも何らかの非があることを認めて「済みません」と謝り、商品の改良ややサービスの向上に勤めようとします。
それで日本の小さな商店から、大きなスーパーまでサービスが良いことで世界に知られています。
我が国のコンビニやスーパーなどが、海外にも進出を果たしています。
それが製造業になると、「済みません」精神で、上から下まで、客先からのクレームに自分にも一旦の責任があると感じて、製品の改善につとめ、その結果、自動車、時計、電気製品、など多くの分野で世界をリードする結果になっています。
その逆の例は、昔の三菱自動車、最近のパロマ湯沸器の例を見れば判るように、「済みません」の精神を忘れた会社は、大きな事故を隠したり、責任を他に押しつけようとして、大きな遅れを取ったり、取り返しのつかない状態になりかけています。
<<「済みません」精神の及ぼす悪影響>>
然し、これが対外関係では、外国出張前のアドバイスのように、何でも直ぐに「済みませんと」と言ったら大きな問題になります。
<原爆の問題>
昔の話では、広島の原爆の記念碑が建てられたとき「この過ちは繰り返しません」と言う様な意味の碑文が書かれたと言う報道を見た時に、「あれ?」と思ったのは私だけではないでしょう。
まるで原爆を落とされたのは天罰のような言い方です。
この「過ちは繰り返しません」は全国民の心の中に刻みこのれるべきで、原爆碑に書かれるものではないような気がします。
原爆だけに関して言えば、本当に悪いのは原爆を落とした国ではないでしょうか。
そして、原爆記念日にそれを落とした国を非難するようになったのは、極く最近のことです。
<憲法の前文と戦争放棄>
なおひどいのは、憲法に前文にあるように、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼してわれらの安全と生存を保持しようと決意」して、戦争放棄を決めた(または決められた)のです。
これを良く見れば、悪いのは皆日本で、他の国は皆平和国家ばかりだと言わんばかりではないでしょうか。
現実は他の国(米国を含めて)が全て平和国家かどうか、また日本の近隣諸国が公正と信義に値する国ばかりなのか現状を見れば良く判ることです。
そしてが避けられない現実なのです。夢のような理想を基にした、日本が良ければ戦争はおらないという、戦争放棄の基本理念が現実にそぐわないないために、今、防衛問題で揺れているのは当然です。
広島の原爆碑も、憲法の前文も、戦前派の人が首を傾げたことが、米国の占領下にあったこともあり、否応なしに飲み込まされて、今までそのままにされてきているのです。
また、戦後50年もの間、何十度、日本の首相が外国に第二次大戦のことで謝ったか、世界に例を見ないでしょう。
最近では、靖国問題に関する中国、韓国の干渉にに当たって、顧客のクレーム処理のように、日本側にも非があるとして、マスコミ、政界の議論の的になり、その事がクレームを付けた側を利する結果になっています。
こんな事は諸外国に外交問題が起こった時、相手国を利するような内輪もめするなどで考えられますか。
日本は「済みません」の精神を有効に活かすとともに、むやみに「済みません」「済みません」といって日本の足を引っ張らないようにして貰いたいものです。