<<葬式のお布施がなんと75万円?>>
私と同年配の知り合いの葬式が終わって、良く問題になるお布施の額が判らないので、お寺に直接訊ねたところ、なんと75万円のメモを貰ったそうです。
お寺の仕事と言えば、お通夜と葬式で、住職と伴僧の二人で、それぞれ一時間だから、一人一時間当たりで約18万円になります。
<<私の考えたお布施の意味>>
この話を聞いて、お寺に上げるお布施の意味を考えて見ました。
お布施には仏教上の意味はあると思いますが、常識的に考えと葬式だけでなく、法事などのお布施も、単なる時間当たりの費用以外のお礼も含まれているのでしょう。
<戦前の仏教>
戦前ではまだ仏教が盛んでしたから、仏教の教えが色々の形で人々の間にしみこみ、世の中に役だ立っていた様な気がします。
またお寺でも色々な行事があり、多くの人達を集めていましたし、私なども友達と一緒にもお寺の日曜学校にも通っていました。
つまり今流の言い方で言えば、世の中の社会教育環境の改善維持に役立っていたような気がします。
それで、お布施と言うのは、葬式と言う機会に死者の弔いと、普段からお寺にお世話になっているお礼の意味があったのでしょう。
<戒名代のトラブル>
それでまた思い出したのですが、家内の知人はもともとお寺の出身なので、そのお父さんは死ぬ前から彼の父から戒名を貰っていました。
死後、そのことを行った所そのお寺から葬式に出るのを拒否されて、大慌てで、米国にいた親戚のお坊さんを呼んだそうです。
戒名の費用も良く問題になりますが、上のように考えるとある程度なっとくがいきます。
<<戦後の教育環境>>
戦後米国の進駐軍は、神道や、武士道などの日本古来の美風を否定して、米国流の教育を押しつけて来ました。
それで私ども国民も、すっかり自信をなく、新しい民主主義の他によりどころを失ってしまいました。
自由と権利、個性の尊重ばかり、教え込まれ、それに伴う権利、義務などの教育はないがしろにされてきました。
これから今まで続いている社会の劣化が始まって来たのです。
そのとき仏教の関係者はどうしたのでしょう。
神道は否定されたしたが、仏教については殆ど制限はありませんでした。
その時こそ、仏教関係者が立ち上がらねばならなかったのです。
一方、戦後の合理的な考えかたの拡がりとともに、所謂地獄、極楽的な説法はすっかり通用しなくなりました。
お寺も良く言われるように、葬式、観光仏教になってしまいました。
仏教はもっと深い哲学的な思想に成り立っていると思うのです。
そしてそれは現代に通じることも多くあると思うのです。
そして仏教への世間へのニーズがなくなってはいなかったのです。
その極端な例がオーム真理今日教でしょう。
<<今こそお坊さん頑張って下さい>>
仏教の信者の姉に聞くと、大きな行事には全国から多くの若い学生などが集まるそうです。
現在新聞で見るように、社会教育環境は大きく劣化してしまいました。
そして、それがとどまりそうな情勢ではないようです。
今盛んに教育改革が言われていますが、それだけに頼っていては、世の中が改善するまで、生徒たちが世に出るまで10年以上かかると思います。
社会環境の改善にはどうしても宗教の力が必要と思います。
今こそ仏教関係者の立ち上がる時です。お寺での活動は勿論ですが、仏教などに興味のない人にも、瀬戸内寂聴さんのように大空説教をしたり、資金を募って、テレビ、ラジオなどで講演をしたり、義援活動や、人生相談などをしたりしてはどうでしょう。
そして、人々がその活動を認めれば、皆喜んでお布施を出すようになると思います。
<靖国訴訟で見るお袈裟の人>
靖国関係の訴訟がある度に、袈裟をかけた人がテレビで出ますが、国民のだれもがそんなことでお坊さんの活躍を期待していないと思います。