普通のおっさんの溜め息

戦前派から若い世代の人たちへの申し送りです。政治、社会、教育など批判だけでなく、「前向きの提案」も聞いて下さい。

いじめっ子は卑怯者だのキャンペーンをしよう

2006-11-26 09:21:30 | いじめ

<<私の経験(教えてgoo回答の訂正とお詫び)>>
私は戦前の生まれです。私の家は貧乏で、弁当はいつも鰹の削り節に醤油をかけたもの、服装は汚れっぱなし、そして私は人見知りする、気弱な子で、今なら恰好のいじめのターゲットになる筈の私でしたが、苛められた経験は全くありませんでした。
地域全体としても、[私の経験した戦前の小学校から今でいう高校までの間、友達に朝鮮の人や、昔、差別をされていた人達の子どももいましたが、殆どいじめなどありませんでした。]
今から考えますと、地域とその時世の中で(私どもがいた環境、つまり発展途上の街で新しい人が急激に増えているのを受け入れる開放的な環境と、当時「九州男児」に象徴される「男らしさ」が重んじられ、「卑怯者」が軽蔑されるる環境にあったからと思います。)
実は、教えてgooの「いじめは現実だと教えるこ--」の回答で上記の[私の経験した--]の文を書いていました。

http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2508574.html
それに対して他の回答者から、戦前にもいじめがあったとの指摘がありました。
これを見て私のミスに気がつきました。
最初に上記の括弧内の(私どもがいた環境--)の注記を入れていたのを、全体の文章を簡潔にするために誤って、削除してしまったのです。
ところがその質問は締め切りになっていて、訂正のしようがありませんでしたので、私のブログを利用して訂正します。
質問者や回答を読まれた方に結果として偏った情報を提供したことに対して、お詫びするとともに、指摘して頂いた方にお礼申しあげます。
このことに関する私の考え方の詳細は下記をご参照下さい。

http://blog.goo.ne.jp/mutouha80s/d/20061022

<<藤原正彦先生の卑怯を憎む心>>
11月24日の読売新聞の「よみうり寸評」に「国家の品格」の著者の藤原正彦先生のコメントについて書かれていました。
先生のコメントの概要は、
[弱いものいじめの現場を見たら弱い者を助けろ。見て見ぬ振りをするのは、卑怯だ。助けるのに禁じ手がある。1.大きな子が、小さな子を、男が女を殴っては駄目だ。2.大勢で一人をやっつけては駄目が。3.武器を手にしては駄目だ。4.相手が謝ったり、泣いたらすぐやめろ。禁じ手の理由はすべて卑怯だから。]
(寸評には書かれていませんでしたが、勿論最大の卑怯者はいじめっ子だと先生が書かれていました。)

寸評筆者のコメントの概要
遠く少年時代を思う。かって男の子は<卑怯>と言われるのを、一番の恥としていた。学校で頻発しているいじめ同じ理由だ。卑怯なことこのうえもない。

それについては私の小さい経験からしても、弱いものいじめをしたり、特定の人を大勢で苛めるものは卑怯者で人間として恥ずかしいことだと身に沁みていればいじめなど出来ないと思います。
寸評には書いてありませんでしたが、余所者や自分の合わない性格の人も受け入れることの出来ないじめっ子は心が狭く、そして人の気持ちの判らないからです。
藤原先生はこれを惻隠の情がないと言っておられました。

<<いじめ防止のキャンペーン>>
寸評の筆者の言う様に、そして私の少年時代のように、卑怯者は恥だと考え方、そして誰でも受け入れる開放的な環境が有れば、いじめ問題の大半は解決すると思います。
そして、良くネット上で出る苛められる側の子の問題についても、私自身の子供時代のように、本人がいじめっ子だなど、特に悪い子でないかぎり、どんな子でもいじめられることはなくなると思います。
問題は、卑怯者は恥ずかしいことだと言う考えを浸透させることだと思います。
すでにインターネットでもこのことが論議され始めたようです。

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/shuchou/27496/

問題は学校が、今までのように、「命は尊い」となどの奇麗事の教育だけてなくて、もっと直接に「いじめは悪いことと言う事」に焦点を置いて、例えば下記のような私が経験したようなやり方でこの考え方を徹底てきに教え込むことだと思います。

http://blog.goo.ne.jp/mutouha80s/d/20061114

そして、マスコミやインターネットを通じて、いじめっ子は卑怯者だのキャンペーンをすることだと思います。

いじめ防止の(私だけの)キヤンペーンにご協力お願いいたします。
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