普通のおっさんの溜め息

戦前派から若い世代の人たちへの申し送りです。政治、社会、教育など批判だけでなく、「前向きの提案」も聞いて下さい。

裁判員制度反対

2008-09-04 11:25:08 | 政策、社会情勢

[「相棒」が取り上げた裁判員制度]
 先日、テレビ朝日系の地方局で「相棒」シリーズの「複眼の法廷」の再放送を見た。
 水谷豊さん扮する杉下右京と寺脇康文さん扮する亀山薫が、始めて施行された裁判員制度で裁判員の警護に関わる間、発生した裁判員の不審死、審議中の殺人事件の真犯人を発見するという話だ。
 その話の中では素人眼で見ても、裁判官と裁判員の会議の中で右京が口を出し、最後には担当の裁判長が警察のトップとやり合うなどおかしな点もあったが、全体としては示唆に富んだ作品に仕上がっていた。

 これに関してエントリーする前に念のため、相棒・裁判員制度で検索してみると、533,000 件もヒットしたのには驚いた。
 詰まり国民は如何に裁判員制度に大きな関心を持っているかを示すものだ。
 その中で本職の弁護士さんが専門的な立場で書かれた弁護士のため息: 相棒「複眼の法廷」を見て
内容の詳細な説明と批評をされているのでご興味のある方は一覧することをお勧めする。
 そして私もその中の一部を引用させて頂くことにした。(青字
・警察官の殺人事件が起こる。犯人は最初は否定していたが、遂に自白。その供述により殺人に使われた拳銃が供述した場所が発見されたのが決め手となった。
 素人でも判るような犯罪の事実が明らかな事件として、最初の裁判員制度の実施でその殺人事件が取り上げられた。
・公判で裁判員の一人が不審死をしたため、裁判員は怖がって全員裁判員を辞退し、全員入れ換えになり、右京と亀山が警護に当たる。
・例え一人でも死刑にすべきだというA裁判員にたいしてB裁判官は
「裁判は被害者遺族の復讐の場ではない。」とたしなめる
 被告人の報復が怖い」という裁判員、警備がついているという裁判官に「裁判が終わっても護ってくれるのか」と詰め寄る裁判員
・評議の内容が裁判員から漏れる。
  ホテルに缶詰にされた裁判員たちは(洩れた内容を報道する)テレビを見ながら、「厳しい量刑を求めるマスコミ報道に、このまま(マニュアル通りの)懲役18年にしたら袋だたきにあいそう。」と心配する裁判員ら。亀山は「皆さんが裁判員だったことは秘密にされるはずですから。」と諭すが、「そんなこと言ったって、法廷で顔を見られているしね。」と心配する裁判員。
・量刑の評議になって「死刑、死刑」と繰り返すA裁判員にあなたは簡単に死刑という言葉を口にします。しかし、あなたは被告人に死刑を言い渡す裁判官の苦さを知らない。裁判官はその苦さを一生背負い生きていかなければなりません。それが裁判官の責任だからです。その覚悟があって死刑と言っていいたいのですか。と言うB裁判官。
・亀山が「後のことを考えて死刑を下す裁判員がいなくなるんじゃないですかね。」と言うと、B裁判官が「それなら裁判員などすべきではない。」「人を裁くなら覚悟すべきです。事件関係者からどれほど恨まれようと、たとえ悪夢にうなされようとも。裁判官はそんな夜との闘いです。」と答える。
・A裁判員は不審死を遂げた前の裁判員の元部下と判り外され、残りの人達で裁判が続けられてる。
・右京と亀山の活躍でこの事件の犯人は別にいることが判り、被告は完全に無実となって、この裁判は完全に振り出しに戻る。
・右京とB裁判官の会話
 B裁判官「今まではプロの裁判官が長時間かけて膨大な資料を読み解き、判決を下していても冤罪がでることがある」「それをこれからは素人が短期間でやろうとしている。
右京:「現実に死刑被告人の再審無罪は何度かありますね。」
B裁判官「それが何十年も刑務所に入れた後に、いや、刑を執行した後に分かったら、あなたは責任が取れますか。」
右京:「一方、一般の方の感情を無視してきたからこそ、裁判員制度が導入されることになったのだと思いますが。」

裁判員制度についての著者の意見:
 国民のあいだから、「刑事裁判に国民を参加させるべきだ」という声が挙がったために、裁判員制度が議論され、採用されたのではないのである。 (詳細は注記の「裁判員制度制定の経緯」参照)

[私の意見]
 私は「「刑事裁判に国民を参加させるべきだ」との国民の意見から裁判員制度が採用されたのではない」と言う著者の意見に全く賛成だ。
 然し私の意見は注記にあるような内閣直属の審議会である司法制度改革審議会に同問題を掛ける前の経緯に基本的な問題があると思っている。
 私は裁判員制度と後期高齢者医療制度

 
裁判員制度の目的は、国民の司法参加により市民が持つ日常感覚や常識といったものを裁判に反映するとともに、司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上を図ることが目的とされている。(Wikipediaより)
 しかし、その制度を推進した人達の目的は明らかの違う。
 死刑制度に反対する公明党の同制度の提唱
を、与党を組む自民党が受け入れ、有名な安田好弘弁護士などを中心とする死刑廃止論を唱える弁護士会が協力してあれよあれよと言う間に決まったものだ。
 (先の「相棒」シリーズを紹介した弁護士さんは導入に反対の立場のようだ。)
 その彼ら目的はその制度の
・対象事件は、死刑又は無期の懲役・禁錮に当たる罪に関する事件
・裁判員は量刑(被告人に下すべき宣告刑を決定する作業)にも参加する
を見れば明らかだと書いた。

 司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上を図るために、何故良く誤判として問題になる、そして素人でもある程度の常識でも判断出来る民事でなくて、刑事事件にしなければならないのか。
 しかも死刑又は無期の懲役・禁錮に相当する事件でなくてはならないのか。
 そして「相棒」で指摘されたように、何故ズブの素人に耐えられぬほどの非常に大きな深刻なストレスを受けさせねばならないのか。
 詰まり裁判員が犯罪者にたいして死刑を課する事に伴うストレスを感じさせることで、結果的には死刑の減少、撲滅を図りたいのが同制度の本音だ。

 これでいくら最高裁判所が同制度の周知に躍起になってもなかなか国民に浸透しないのは当然だ。
 「呑まされた屁理屈のどを通らない」のだ。
 いくら良いことを言われても、それが本当に納得できないときは、消化されないままになっているのが今の実情だ。

[後期高齢者制度の二の舞をするな]
 前にも書いた様に、「相棒」・「裁判員制度」で検索してみると、533,000 件もヒットしたのは如何に意識の高い国民の同制度に対する関心の高いか、そとに出ないのはまだそれはネット内に止まっていることを示している。
 そして、実施直前になってその制度の問題点に気づいた国民の反発が出てきそうな気配だ。
 政府や政治家は後期高齢者医療制度のように、施行後に慌てて根本的な手直しをしなくても良い様に今の内から手直しをすべきと思うが、今はそれ所ではないだろう。
 そしてまた後期高齢者医療制度の二の舞を踏むのだろう。
 これが日本の政治の現実として諦めるしかないのだろうか。

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*注記:裁判員制度制定の経緯
内閣直属の審議会である司法制度改革審議会という組織の中で、「司法への国民参加」というテーマのもと、何ら現行の刑事裁判の問題点とその対策を議論することなく、陪審制を導入すればわが国の刑事裁判はよくなるはずだという強い思い込みのある陪審制導入論者と、英米の陪審制には誤判が多いから危険だと主張する反対論者との妥協の産物として生まれたのが裁判員制度である。


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3 コメント

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死刑正当論の紹介 (竹本護)
2008-09-07 19:03:39
死刑正当論を紹介します。
以下のURLを見てください。

http://www1.odn.ne.jp/shikei-ron
返信する
竹本護さんへ (無党派A)
2008-09-08 15:37:23
貴重なアドバイスを頂きまして有り難うございます。
早速勉強させて頂きます。
今後ともご助言とサポートをお願い致します。
返信する
新死刑正当論の案内 (竹本護)
2008-09-22 02:17:07


 【死刑の是非・正当不当の問題】は古来より賢人識者をもってしても容易には決着をつけることのできなかった”汎人類的難題”ですが、
 私(筆者・竹本護)は、哲学者として、
 『【契約主義】という新政治哲学』と『【生命に関する八種の公理命題】という新生命観』に基づき

 『【公理命題死刑論】と命名しました新死刑正当論』

 を提唱します。
 ホームページのURLは
 【 http://www1.odn.ne.jp/shikei-ron 】
 です。

 当ホームページにおいては、
 「適用対象国家として現日本国ではなく【日本契約国】という未来国家を想定し、かつ、「『生命に関する八種の公理命題』を基幹的前提として『計13種の死刑正当条件』を列示した新死刑理論体系を構築する」
 という従来のいかなる死刑正当論・肯定論においても見られなかったまったく新しい発想で展開される
 【究極の死刑正当理論体系=公理命題死刑論】
 を主張しております。

 法曹関係者はもとより一般国民においても存廃賛否のいずれの論者であるかを問わず真剣に死刑の是非・正当不当のいかんを考えておられる諸賢ならば必ず読んでもらいたい死刑論稿ですが、

 とりわけ死刑廃止論者・反対論者で「われこそは理論理屈に自信あり」と思われる諸賢は勇躍一番、論難論破に挑戦して来ていただきたいものです。
 読み進められるにつれて「諸賢らの今までの主張がいかに心情偏重と非理性的理屈および人道意識的自己満足に安住していたか」をまざまざと思い知らされるはずです。

 申すまでもなく【人の命】というものはあらゆる思想存在の中で最も重い尊厳と価値を持ったものです。
 【死刑】とは、たとえ殺人犯(死刑相当殺人犯)のものとはいえ『国家がその【人の命】を強制的に奪う(処刑する)厳粛な政治的社会的行為』のことですから、「その正当性に対する厳密にして確定的な考察と理論保障」なくしてその制度的採用も執行も行なうべきものではありません。

 その『厳密にして確定的な考察と理論保障』を行なった論稿が本稿であり、
 当然分量的にも400字詰め原稿換算で400枚以上と長大ですし、『いかなる廃止論者・反対論者にも突き崩されることのない完璧な正当理論体系』を構築すべく
 「各論題ごとに『前提と推論という論理の階段を一段一段緻密に積み上げて最終的結論を定める』という丁寧かつ堅実な推論手法」
 を採っていますから、『思惟思索する覚悟』のない安易な心構えでは読みこなせないことは必定です。

 そのかわり読み終えれば存廃賛否の主張の立場を超えて「生命や死刑というものに対してこんな見方・考え方もあるのか」と
 『未知未見未聞にして異次元の理論世界・真理世界』
 を見た満足感に存分にひたれることを保証します。
 ぜひ”闘読”に”挑戦”してみて下さい。
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