私のブログの訪問者の方から時には昔の話しでしろと言うコメントをいただきます。
私も他の年寄りの人達と同様に昔のことを話すには抵抗がありますが、昨日の終戦記念日にNHKの「日本のこれから」のら「“核の時代”とどう向き合うか?」で見たことも引用して、思いついたことを断片的に書いて見たいと思います。
・日本の軍国主義国家化と政治家の責任
軍国主義化の直接の引き金は5.15事件、2.26事件の青年将校の決起ですが、その原因は企業倒産、社会不安と政治のへの不信感だと言われています。
その事を契機に、民間の政治家への不信感から軍人の首相が次々と生れ、遂には軍国主義国家になりました。
現在日本の置かれている環境は当時と殆ど同じかそれ以上、そしてそのような大事な時期に、党利党略による政局運営で国会運営は停滞したまま終わりました。
私は自衛隊の決起などはないと思いますが、何をやっても、2~4年に一度の選挙しか国民の審判が出来ない今だからこそ、一層の政治家達の良識を期待したいのですが。
政治家にこんなことを言っても無理だと言うことが国民の閉塞感を持つ一因となっているのかも知れません。
・貧乏人の子沢山の時代の利点
その様な暗い時代の一方、日本は一口に言って貧乏人の子沢山の社会でした。
然し今考えて見ますと、当時の地域には子ども社会があり、ラジオさえ珍しかった家での楽しみは本しかないので読書の習慣がつく、子ども社会の中には我慢や思いやりが生れ、廻りからの情報が少ないので学校の授業に新鮮味がある、子どもも大臣・大将になりたいなど希望をもてたなど、良い所も多くありました。
今、日本の平均収入は低下していますし、少子高齢化が進んでいますのでお先真っ暗のような気がしますが、もう一度昔の貧乏時代のことを思えば、考えることが多いと思うのですが。
・日本が苦手な情報蒐集、分析力?
今になって考えると、世界大戦に突入する前に、西欧諸国、特に米国の軍事力とそれを支える工業力の情報蒐集と分析を間違えた為に、初戦は有利に戦いを進めましたが、最後は米国の物流作戦にしてやられました。
戦後になっても、日本は情報蒐集力不足のため、米国のガセネタのに基づくイラクへの侵攻にさいして、政府は憲法の解釈まで変更して、自衛隊の派遣をしました。
安倍さんは情報機関の設置を唱えましたが何故かそれもならず、現在は北朝鮮に対する動きも、全て韓国や米国の情報に頼っている有り様です。
武力を使えない日本の唯一の頼りは外交ですが、その外交に情報蒐集は欠かせないと思います。
それで安倍さんの言う情報機関の設置はもう一度考え直す必要があると思うのですが。
・物事の一面だけを見やすい日本人
軍人が率いる日本政府は国民と兵隊の士気を高めるために、八紘一宇、大東亜共栄圏、日本は神の国だからいざとなれば神風が吹く、日本は不敗だ(実際には日清・日露戦争に勝っただけ)などの考えを広めました。
そして後から考えると、政府と軍自身がそれを信じ込んだとしか考えられません。
何故なら、まともに情報を蒐集しておれば、米国と長期戦を戦う能力などないことは判っていた筈で、それを無視したのですから。
強いて言えば、ハワイの一撃で米国がクシュンとなると思ったのかも知れませんが、そうならないリスクも考えるべきだったと思うのですが。
敗戦後、日本人は物事の考え方や見方を大きく変えされられました。
つまり日本のやったことは全て悪、米国のやったことは全て善の考え方です。
日本人も戦争犯罪をしたかも知れないが、米国の原爆投下や一般住宅の焼夷弾攻撃、石原都知事も言っていましたが、民間人への機銃掃射など明らかに国際法違反です。
つまり日本人は無理やりに米国の戦争犯罪に眼を瞑らされ、物事の一面だけしか考えないように仕向けられ、学校でも教育されてきました。
その現れが、昨夜の核爆弾問題の議論、特に日本が核爆弾所有を認めるか、米国の核の傘に入るか、それとも核爆弾を全く認めないかの議論です。
核保有を認める方は、その動きに伴う諸外国による制裁などの反応、特に米国の反応など全く無視、米軍の日本駐留の意味は日本を守る為だけでなく、日本の武力の強化と暴発を防ぐためでもあり、それ故、冷戦時でもソ連、今でも米国と対抗意識を持つ中国もそれを黙認している事実を忘れています。
一方、核保有を認めない方は、反日政策の一党独裁の中国の核所有、軍備の増強、同じく反日の北朝鮮の核爆発実験やミサイルの発射など無理やりに?眼を瞑って、北朝鮮に対しては対話主張しています。 (なお、私は米国の核の傘に入るのが日本として止むを得ない選択だと思っています。)
相手方を論破するためとは言え、これでは物事の解決は全く出来ません。
自分の主張の都合の悪い所も認めることが、物事を正確に判断することになり、議論を進めて行くことににるると思うのですが、。
日本は政府の軍部の政策のお蔭で、国民の考え方が大東亜共栄圏建設などで統一されて、敗戦の道をたどりました、そして今は一部の国民は自虐史観に囚われています。
これでは国の道を誤るばかりです、私たちは良いことは良い悪いことは悪いと正確の物事を判断する癖をつけて置くべきだと思います。
・軍人にもいろいろある
私は現役で入隊しましたが、幸か不幸か戦地には出る機会はありませんでした。
然し、国内で戦地から帰ってきた人達を含む多くの軍人に出合いました。
鷹の眼のように眼光の鋭い戦闘機乗りの将校もいれば、サバの腐ったような眼のだらしない将校もいました。
要領の良い兵隊もいれば、くそ真面目だがいつも上官に叱られている仲間の兵隊もいました。
そのような人達や、今の時代で言えば、学校で弱いものイジメをする生徒が大きくなって、また大人としてのプライドもなくテレクラなどで未成年の相手を探している人達が、上からの指令が行き届かず、生死を賭けた毎日を送ればどうなるかは、容易に想像できると思います。
私は大多数の将校も兵士も現地の人達から信頼されていたと思います。
何故なら中国や東南アジアであれだけ戦線を拡大した結果、糸のように細く長い補給路になりました。
その補給路を米軍から遮断されて敗戦の一因となりましたが、少なくとも土地の人達からその補給路を襲われた話は帰還した兵士や将校から(首を捻るような話は聞いても)聞いたことがありません。
然し前に書いたような人達が戦地で(首を捻るような)問題を起こし、一部は戦犯に問われ、それがあたかも日本軍全体がしたことのように拡大して報道されました。
・私が日本が別の意味で負けたと思ったこと
a.米国の占領軍が入ってくると言う噂で、女性達の避難の話が流れていましたが、結果は略奪、暴行を繰り返した満州のソ連兵や、戦地で不祥事を起こしたごく一部の日本兵と違って、 (多分米軍の上層部から強い指示があったことと思いますが)全くそのような心配が杞憂だったこと。 (そうかと言って米軍の原爆投下や住宅の焼夷弾攻撃を許す訳にはいけませんが。)
b.あれだけ日本軍の攻撃の被害を受けた中国の蒋介石総統が日本の戦後保障を免除したこと。
ベテランの政治家達に今でも親中、親台湾の人が多いこと、政府が中国にたいするODAを最近迄続けたことも、政治的な理由もありますが、それに対する感謝の現れでもあります。
・教育界、特に日教組に望むこと
昨日のNHKの番組で核の反対派の人も言っていましたが、戦争のない平和は当然で、これからは本当の意味の平和を望む時代と思います。
文科省と日教組は戦争のない平和だけでなく、足元の荒れた学級や児童・生徒のイジメのない学校、モンスターペアレンツの出現など、父兄も教師もが何処でも安心して選択できる平和な学校にすること、自殺者の増大にたいして少々のストレスに耐える我慢強い大人、DVや援助交際に走らないプライドを持つ大人を作るために、生徒をどう育成すればよいかなど、考えて貰いたいと思います。
文科省も日教組も上に書いた諸問題には、戦後から今までの学校教育のあり方に大いに関係があることを良く考えて貰いたいと思います。
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無党派さん(とお呼びしてもよろしいのでしょうか。ハンドルネームがわかりません)のブログを読んで、なんだかやっと気持ちが落ち着きました。
さすが戦争体験者でいらっしゃいます。当時のことを何も知らないわたしは、あの討論を聞いていて、どれが正しくてどれがまちがっているのかわからなくて、頭がゴチャゴチャになって、とても心が重かったです。
でも、このブログを読むと、なんだか方向が見えてきて、心がスッキリしました。ありがとうございます。
このブログはいつも読ませていただいております。公平な目をお持ちの無党派さん、これからもいろいろなご意見を読ませてください。楽しみにしております。
私は大東亜戦争当時の先人達は、欧米列強から日本を守るために、まさに命がけで戦ってくれたのだと思っています。現在の我々は、悲惨な敗戦の結果を知っているから、後付けであーだこーだと批評もできますが、少なくとも私は先人達を批評する気持ちはおきません。(自分は恵まれた現代に生き、ぬくぬくと育っているのを自覚しているので命懸けで戦った方々を批判するなどおこがましいと思っています)
先人達の努力に思いを致し、無力ではあるが現在自分ができること(衆院選で日本のためになる党に投票すること)をせめて行いたいと思っています。
「そういえば~」と気がついたときにでも書いていただけたらうれしいです。 我儘ばかりで申し訳ありません。
日本の経済的繁栄を維持するために、日本は今後も偽装独立国家に甘んじよと言うのでしょうか。先の戦争で命を落とした戦友の墓前でもそう言えるのですか。
私は戦前の日本は軍国主義国家ではなかったと思います。戦時体制で軍事一色となったのは、厳しい戦争が続いているのだから当然です。その戦時体制を軍国主義と表現するのはいかがなものでしょう。「日本は神の国だからいざとなれば神風が吹く、日本は不敗だ」は戦時キャンペーンであり、士気を鼓舞するのが目的です。戦争の終盤は制海権を失い、あらゆる物資が底をついていたのだから、むしろ不敗神話などを政府や軍部が信じ込んでいたとは到底考えられない。
神風特攻隊や硫黄島、沖縄での決死の戦いは国家を守ったとも言えます。ドイツのように国家消滅にならず、国が分断統治されることもなかった。軍事学者クラウゼヴィッツは「戦争の勝敗は戦争目的を達成したかどうかによって決まる」と著書「戦争論」で述べている。彼の言に従えば、日本は戦闘に敗れたが、戦争には勝ったとも言えるでしょう。
「米国と長期戦を戦う能力などないことは判っていた筈で、それを無視した」は、「当時の白人至上主義には逆らうべからず。欧米帝国主義のやりたい放題を認めてそれに従え」と聞こえてしまうのは、私だけでしょうか。