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第48回、その② 松浪先生は去って行きました

2020年08月09日 | 「はね駒」松浪先生のお言葉



朝になり、うたたねをしているおりんが目を覚ますと、布団の中に先生の姿は無かった。


(り)先生
(ふすまを開けると、松浪が立っていた。)


(松)おはよう
(り)起きたりなんかして、大丈夫なんですか?先生。
(松)いつまでも寝ていては本当の病人になってしまうからね。もう大丈夫だ。


(り)先生
(松)夕べは部屋の中に誰もいなくて、静かでよく眠れたよ。
微笑むおりん
(松)知らないうちに、庭がすっかり秋になってしまった。このところ、ゆっくり庭を見る暇もなくて


(り)お忙しかったから。
(松)いくら忙しいからって、庭を見る暇もないような、季節の移り変わりに気がつかないような、そんな人間になってはいけないね。自分がそんな人間になっていた事に気がつかなかった。己惚れていたんだね。
(り)先生、もうお休みになった方がいいです。また疲れますから。
(松)夕べは有難う、怪我は?
(り)あぁ、もう固まって・・


(そっと傷口を見る、松浪先生)
(松)君が塀を乗り越える、勇ましい姿を見られなかったのは残念だよ。
(り)お望みならいつでも越えて見せます。まだ卒業まで何年も有ります。
(松)学校を辞めるよ。今年いっぱいで、あの学校の教師を辞める決心をした。もう一度、自分という人間を確かめてみるためにね。


(り)あんなくだらない噂なんか誰も信じてなんかいません!何も気にする事なんかないんです。あんなバカげた噂!


(松)しかし、そういう噂をたてられたという、そのことに僕はショックを受けた。その噂が拡がったその事実に呆然としてしまった。そんな噂をたてられるようないかがわしさが、そんな噂が広がっていくような、そんな軽薄さが僕の中にあったという事に、うろたえてしまった。
そうか、他人から見れば 僕はまだそんな人間にしか過ぎないのか。


(り)そんな汚い目なんか!
(松)いや、本当に人間として立派であれば、汚い目の方で恥じてくれる。もう一度勉強しなおし、主の  み教えを説くに相応しい人間になるために、僕は学校を辞める。


イギリスのエジンバラという街の大学で、僕の宗教上の恩師が教鞭をとっておられる。以前から、もう一度  教義の勉強をしてみないかと、お誘いを受けていたんだ。
(り)先生、外国へ行ってしまうんですか!
(松)だから、残念ながら君が塀を乗り越える、勇ましい姿はもう見せてもらえない。


涙を流すおりん。


トボトボと帰ろうとすると、学校の前で母が待っていた。


(母)早く中に入んな、今なら誰にも気ずかれないから。気ずかれたら、一緒に言い訳してやっぺと思って待ってたんだ。
(り)母ちゃん・・
(母)今日で母ちゃん、相馬さ帰っぺから。おりん、母ちゃん おめえを信用してっから。信用できるような娘に育てたと思ってっから。それだけは覚えててくれ。母ちゃんができることはそれだけだ、あとはお前が考えたとうりにやってみな。先生は元気になられたかい?
(り)先生は、イギリスに行ってしまうの。
イギリスに行ってしまうの。
先生が行ってしまうんだよ!

(母の八重に取りすがり、泣くおりん。)

 

松浪先生は二学期の授業を終え、クリスマスを待たずに 学校を去る事になりました。

(みどり)私、松浪先生のいない学校なんて、辞めちゃうわ

 

讃美歌の流れる中、おりんの松浪との記憶が蘇る
初めて見た日の松浪、誰にも優しい松浪の姿。

 

松浪先生を思いながら、聖書の一節を唱える、おりん

愛は偲ぶことをなし、また 人の域を測るなり。
愛は妬まず、ほこらず、たかぶらず
非礼を行わず、己の利を求めず
軽々しく怒らず、人の悪しきを思わず
愛は偲ぶ事をなし
また 人のいきを測るなり
愛は妬まず ほこらず 高ぶらず
非礼を行わず、己の利を求めず

 

独り静かに学校を去ってゆく松浪先生。

松浪は一冊の讃美歌集を残して、りんから去って行きました。りんの初恋と少女期との別れでした。

 




誤解を受けたことを良しとせず、学校を去っていった松浪先生の、雪の中の孤独な後ろ姿が寂しい。ただ生徒のことを思い行動した先生が、追われるように去る事になるなんて。

私利私欲というものがなく、誠実で清廉で、誰にも優しく暖かい松浪先生という人物は、それまでのジュリーが演じた事の無いキャラクターでした。映画等では、エキセントリックな役柄で、個性が光る作品が印象に強いジュリーに、この松浪先生という役が与えられたのは、ジュリーの生来が持つ、清潔感からかと思いました。例え泥にまみれても、その芯は汚されることがないジュリーだからこその松浪先生でした。

今回、改めてじっくり見られて良かった。数十年ぶりに見た今回の放送で、真面目で清廉な人柄で有りながら、時におりんを見つめる眼差しに宿る強い光に撃たれて、ジュリ~♪と何度もドキドキしました!

前回の1986年の放送当時には、ナベプロを離れ、仕事を休み、週刊誌に追いかけられるジュリーを、例えドラマとはいえ、役柄とはいえ、真正面から何も考えずに受け取めることが、難しいと思いました。あれほど華やかに派手に歌謡界に君臨していたジュリーは、すでに38歳。松浪先生の表情には時に疲れた陰りが見え、冴えないと思う時がありました。

時は1986年から2020年へ。私はすでに還暦を過ぎ、大人の機微も少しはわかるようになり、1986年の悩めるジュリー自身が今はすっかり過去のことになりました。

今は何の屈託もなく、フィルターを通さずに見ることができる松浪先生は、優しく暖かく、誠に清らかな聖人君子なのに、隠しても隠しても 隠しきれない生来の色気が滲み出て、還暦を過ぎたこの胸を新たに高鳴らせてくれました♥

ジュリーの持つ陰りが、松浪先生という人物像に、より一層の深みと陰影を加えて、聖人と言うだけではない、悩める人間的な松浪先生を作り出して魅力的でした。

2020年のコロナ禍の下で、松浪先生は一風の柔らかい風のようでした。本当に、今、見られて良かったです✨

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