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お盆提灯、8月15日

2020年08月15日 | TV・ラジオ・CM・映画

岐阜提灯をいただきました。内臓のLEDライトをつければ、灯りが灯ります。夜、日日草の花とともに映してみました。

提灯だから、釣る方がいいかな?と、改めて本日のお盆に、外のカポックの枝に吊ってみました。

早朝のラジオ体操の帰りという、お隣の奥様が見つけて、あら 綺麗ね✨と褒められ、どうやって光るの?と質問攻めにされました。

夜になれば、吊った提灯はどんな表情を見せるのか、日の暮れるのが待ちどうしかったくらいです。

本日はお盆。今年はコロナの影響で精霊流しが中止になってしまい残念に思いましたが、盆提灯の灯りが、空の上の亡き両親やじーさん、ばーさんに、この光りが届いたかと思います。素敵なプレゼントを有難うございました。


15日は終戦記念日でも有り、三浦春馬さんの遺作になった「太陽の子」を見ました。まさか、日本で戦時中に核爆弾を作っていたとは・・

 

京大の研究室で核爆弾を作る姿には、思わず「太陽を盗んだ男」の城戸誠と重ねてしまいました。戦争末期の物資のない中で、素人じみて見える実験の危うさには、手に汗を握りました。軍人で真っ直ぐな若者役の三浦さんが語る、「未来」という言葉の重さに心を刺され、海に入ろうとする場面の、危険で真にせまる演技に、その後の三浦さんを思って胸がつまりました。

二人に対して女性の世津は、戦争後の生活を語り、男性の二人とは見る目が違って、物語の一筋の光のようでした。最後に科学者の修が、原爆ドームの中に入ってゆく映像に、戦争は遠い過去ではない。現在とずーーっと繋がっていると思いました。大きな効果音など入れずに、あえて抑えた作りで時には淡々と物語は進みますが、ドラマが突きつけた事実は本当に苛酷で苛烈な現実でした。

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「だめだこりゃ」から「俺」へ

2020年08月15日 | 新聞・雑誌 記事

図書館に予約していた本が相次いで届きました。

いかりや長介さんの本「だめだこりゃ」から読み始める。ドリフが人気者になるまでに興味があった。ジュリーの名前は二か所に出てきました。

実は音楽はたいしてできず、笑いも素人からはじまったのがドリフターズだった。長介さんがバンドマンからドリフターズに加わったいきさつ。全員集合でネタ作りに追われた日々、メンバーの素顔など興味深い話ばかり。ビートルズ公演の前座に選ばれたのは、メインの前に場内を緩めるのでコミック的なものを入れる為で、実はビートルズに興味がなく、迷惑だった。

ジュリーとタイガースも話題の中に少しだけ出てきた。タイガースが出演する新宿ACBでは、店から新宿駅南口を越してUターンする行列ができて、文句なく一番人気だったのだとか。ドリフは人気はあったが、男性人気だったそうです。、

「全員集合」の数々のエピソードが面白かった。お馴染みコントでは、小学校の生徒役にジュリーも度々出て貰ったと書いてあった。もっとも、コントが上手いと思った歌手は和田アキ子、前川清、郷ひろみ、野口五郎の名前が上がっていたが、ジュリーの名前は無かった。

全員集合が終了後は、いかりやさんは俳優の道へ。1986年5月には、翌年の大河ドラマ主演・渡辺謙の「独眼竜正宗」に出演の記者会見・・ あれ、これは「はね駒」が放送中のころで、まさに 松浪先生が生徒たちの行く先を思い悩んでいた頃ではないか。

その頃、同時に渡辺謙さんはTVでは粗末な着物を着て、「はね駒」で丁稚働きをしていたのだ。渡辺謙さんは出てきた当初は、眼光は鋭いものの、痩せた青二才という感じだったのに、実はすでにあの若さで大河ドラマの主役が決まっていたのだ。それを知ったら急に、「はね駒」の謙さんに風格があるように見えてきた!なんとまあ、視聴者の見る目の変わりかたの早さよ・・。

とにかく、いかりや長介さんのお話は面白くて、スイスイ読めます。もう少しで読了・・

という時に、渡哲也さんの訃報が伝わった。78歳、まだまだ活躍をしていただきたかった。

近頃は松竹梅のCMで、故石原裕次郎さんと共演を果たしていた。しかし、渡さんは、にこやかな裕次郎さんの笑顔と並ぶと、その表情に年齢と積み重なった疲れと影が滲み出ていて、なんだか痛々しいような。そんな感想を抱かせた。

そういえば渡哲也さんの人生を描いた中古本を持っていたはず。買ってから、読まずに数年間も放置していたのを、積み重ねた本の塊の下から引っ張り出した。

(表紙の絵は、渡さん自身の日本画の模写)

いかりやさんの本は置いといて、急遽 渡さんの本にチェンジ。この本は渡さん自身に取材して書かれた本です。もし、亡くならなかったら・・この本はまだ積まれたままだったことだろう💦 ただいま、ザーっと読み飛ばしているところです。

映画界に入ったのは、弟の渡瀬さんが勝手に日活のオーディションに願書を送ったから。給料の高さに釣られて、映画俳優に。本当は安来市産まれなのに、石原裕次郎さんが神戸市出身なので、渡さんも兵庫県出身にされた。その裕次郎さんへの尊敬と傾倒。

病気のせいで大河ドラマの「勝海舟」を降板したのは、私も観ていたので覚えている。結局、大河ドラマの主演を演じることはなかったのが残念です。後年、信長役で出演はあったが、正直にいうと信長には年齢がいっていると私は思った。

見た目のとうり、いかにも生真面目そうな渡さんは、病気などなければ、もっと幅広い活躍ができたことだろう。誠に残念なことです。

下の浪花栄千子さんは、来季の朝ドラのモデルですが、放送はどうなることやら。

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