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ラヴ・ソングは、ニッポン放送『沢田研二・愛をもとめて』

2020年08月26日 | JULIE メモリーズ

土曜日の「ザ・インタビュー」で、渡辺えりさんが、聞き手に「どの曲が特に好きとかありますか?」と聞かれて
「ラヴソング」というのがあるんですけど、沢田さんがソノシートの頃に作った、一番目に作った曲が「涙」、二番目に作った「ラヴ・ソング」で、寝る前に毎日聴いていました。
今、寝る前に聴くのは「幻の恋」、一カ月前に聞いていたのは「夜明け前のセレナーデ」
「ラヴ・ソング」は死んだときにかけてくれと言ってあるんですよ。澤田さんにとってはいい迷惑だけど、ほんとに助けられました。


と語っていましたが、「ラヴ・ソング」と「涙」はジュリーの1972年のアルバム『JULIE IV 今僕は倖せです』に収録されています。アルバムにはラブではなく、ラヴと表記してありました。

YOUTUBE⇒こちらと、YOUTUBE⇒こちらにも

若く儚い美しさのジュリーは、早川さんの華麗な衣装もあって、まるで妖精のように綺麗です。そこに非常に無粋なCMが~ しかしへロススポンジはともかく、大森印味付海苔とか、ダイヤモンド毛糸、オンワード樫山などの提供スポンサーの名前が懐かしい!の一言です。

若いジュリーの美しさとともに、無粋なCMに70年代初めの時代の空気も読めました。もう毛糸を編む人も少なくなったとか、昔は元気だったアパレル産業の落日も感じます。自分的には、短い間だったけど自分が大森に住むとは思わんかったな・・なんてね。

YOUTUBEのコメント欄を読んでていて、「夜明け前のセレナーデ」にピンと来なかった自分が「ラヴ・ソング」なら即座に思い出せる理由がわかりました。

1973年から始まったラジオ番組「沢田研二・愛を求めて」のテーマ曲にも使われていたからです。受験の前でしたが、夜中の11時過ぎから始まるこの番組がどれだけ楽しみだったことか。ルルルルル~♪と「ラヴソング」のスキャットから始まり、ジュリーがボソボソと語り始めて、毎回、ポエムを読むのが決まりでした。

自身の曲や、カーペンターズやビートルズの曲に沿ったポエムを読むジュリーは、実は始まった頃は あまり語り口は上手く有りませんでした。気持を詩に込めようとするあまりか、ちょっと性急で読み急いでいるように思えました。それが だんだんと、語り口がゆっくりとなって、慣れてきたんでしょうね、余裕が出てきて、詩に気持ちの入れ方が上手くなりました。もっとも、その時代の高校生の自分がそこまで感じとれていたのかどうか、今だから そう思えるのかもしれません。

自分以外は全て眠りについた真夜中、静かな自分の部屋に聴こえてくるジュリーの甘い声は、TVでヒット曲を歌うジュリーとは違い、飾り気のない素のジュリーが、自分だけに語り掛けてくれているようでした。試験勉強そっちのけで聴くジュリーの心地の良いビロードの声にどれだけ、心がウットリと魅了されたことか。わずか10分か15分ほど、毎日、陶然としてその声に浸りきっていた時間は、まさに幸せだった、それしか有りません。

私が住んでいた部屋は、家を出てから40年近くそのままで、ジュリーグッズも置き去りにしていました。このほど、兄が部屋をリフォームをすることにしたので、置いていた本などを持ち帰りました。今まで、邪魔にもせずにずーーっと置いといてくれて感謝です。

その中に、何冊か買った、愛をもとめての詩集がありました。第一集。

詩集なんて誰が買うん?ポエムなんて恥ずかしい・・と思っていた、何もわかっていなかった子供のワタクシでしたが、ジュリーが読む詩は格別です。10代半ば、もの思う時期の私には、素直にジュリーの甘い声で藤さんの詩が心に入り込み、魅せられました。

ロマンチックな夢を奏でる64編に、まさに女の子の憧れがつまっていました。 

帯封の73~74年当時のジュリーが素敵♥ 本は1974年10月出版です。

作者の藤公之介さんの、はじめの言葉

次のページに『ポエムはあのジュリーの濡れたような声で朗読されることによって、いっそうの輝きを与えられた』と続いています。

青森の「ねぷた」を背景に詩にしたものがあって、(詩の中では、ねぷたと言っていました)いつか青森の「ねぷた(ねぶた)」を見に行きたいと思っていました。それから30年もたってから、やっと旅行で実現しました。

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