俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

病院経営

2016-05-04 20:17:37 | Weblog
 意外と知られていないが保険医療費には年収に応じた上限額が設けられている。例えば年収が370万円未満であれば月間59,600円以上を負担する必要は無い。限度額を超えればそれ以降の医療費は無料になる。この制度があるから、アメリカでは頻発する医療費破産が日本では殆んど無い。
 これは良い制度だとは思うが矛盾も感じる。自己負担が無くなると、食べ放題の飲食と同様に抑制力が働かなくなるからだ。
 例えば私は今、1回19,000円の放射線治療をほぼ毎日受けている。3割負担だからこの治療をたった9間日受けるだけでほぼ限度額に達して、それ以降の医療費は無料になる。この制度が安易な治療を促さないだろうか。患者も医師もジェネリック医薬品などは使おうとせずできるだけ高価な薬や新薬を使おうとする。愚かな患者は高い薬ほどよく効くと思い込んでいる。
 診療が大好きな人もいる。こんな人は持病で通うだけではなくどんな些細な症状に対しても治療を要求するから毎月限度額に達して、実質的に無制限定額医療制度になっているだろう。これが医療費の無駄遣いに繋がっているのではないだろうか。
 医師のモラルも問われるべきだ。私の放射線治療に要する時間はたったの10分ほどだ。たった10分機械を操作するだけで医療保険からは19,000円が支給される。こんなに効率の良いビジネスは珍しかろう。
 私は病院にとって最上級のお得意様だろう。毎回19,000円の診療報酬を運ぶカモのようなものだ。こんな患者は極力延命を図って金蔓として利用しようと病院では考えるだろう。日常的な人造透析を要する患者が金蔓として利用される医療犯罪の実例もある。もっと酷い例として、生活保護費受給者を入院患者に仕立て上げて不必要な手術を繰り返した病院まであった。
 殆んど成功の可能性の無い放射線治療を選ぶに当たって私は医師に単刀直入に尋ねた。「この治療が馬鹿な患者の妄想に付き合うためのものであるなら要らない。成功の可能性はどれくらいあるのか?」医師は答えた。「多分数%」。この時点で私の不安は現実のものとなり生き延びることをほぼ諦めた。
 私は切羽詰まって高額な医療を選んだ。しかし病院にとってはそうではなかろう。治療することではなく延命することが重要課題になる。こんな患者は金の卵を産む鶏のようなものだろう。
 私は基本的に無料化を好まない。無料化は濫用を招く。過度な保護ではなく、一割負担などのように、受益者負担を幾らかでも残すべきではないだろうか。
 私が先日入院した病院では、テレビの視聴料が1時間当たり80円で冷蔵庫は1日150円だった。非常識と思える価格設定だ。個室料金はホテルなどとは違って延べ日数で請求され、一泊二日であれば2日分の料金になる。病院にはあくどい儲ける仕組みが少なからず潜んでいる。