俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

いざ鎌倉

2016-05-25 10:10:40 | Weblog
 ダルビッシュ有投手はトミー・ジョンの手術のために生じた1年半のブランク期間中、体力作りに専念したそうだ。その甲斐あって基礎体力は故障以前よりも高レベルに達しており以前にも増して力強い球を投げているらしい。
 イチロー選手は第4あるいは第5の外野手と位置付けられてここ数年はベンチを温めることが多い。それにも拘わらず出場機会が与えられれば全盛時と変わらぬ俊敏な動きを見せて活躍する。とても42歳のロートル選手とは思えない。レギュラー時代と同等あるいはそれ以上の質の高い練習を積み重ねているからだろう。
 鼻先にニンジンをぶら下げられた馬が一所懸命走るように人はチャンスになれば「ここぞ」と頑張る。しかし頑張るべき時には誰でも頑張るものだ。人間は馬よりも賢いのだから人間にしかできない頑張り方があっても良かろう。
 「鉢の木」という謡曲がありこんな粗筋だ。
 出家した第5代執権の北条時頼は旅の僧に扮して佐野源左衛門常世に一夜の宿を借りた。佐野は貧しく薪にさえ不自由していたから初対面の僧に寒い思いをさせないために大切にしていた鉢植えを囲炉裏にくべた。僧(時頼)は彼の徳の高さに驚いて素性を尋ねたところ、佐野は自分が落ちぶれた御家人であり、それでも「もし幕府に一大事が起これば(中略)一番に鎌倉に馳せ参じ、一命を投げ打つ所存でござる。」と語った。その後、実際に一大事が起こって多くの武士が鎌倉に駆け付けた。その中には周囲から嘲笑されるほどみすぼらしい身なりの佐野の姿もあった。時頼は佐野の忠義を大いに喜び、佐野が失っていた領地と併せて新たな土地を恩賞として授けた。
 落ちぶれようとも武士の魂を捨てない佐野の高潔さこそ武士の鑑だ。逆境においてこそ人間の本領が発揮されるものだ。
 私はこんな高潔さとは縁遠く、仕事上での方針は「チャンスとピンチのメリハリ」だ。つまりチャンスには積極的に攻めピンチには悪足掻きを避ける。こんな姿勢は上司にとっては不愉快だっただろうが私なりに理由があってのことだ。良い状況での仕掛けのほうが有効だからだ。業績を伸ばせる販促策を仕掛けるなら追い風に乗ったほうが良いことを数学的に証明できる。1割増にする販促策を、5%増の状況で仕掛けた場合と5%減の状況で仕掛けた場合とを比較すれば、前者が1.05×1.1=1.155であるのに対して後者は0.95×1.1=1.045になる。対策を実施しない場合との差はそれぞれ1.155-1.05=0.105と1.045-0.95=0.095だから対策による増収額は前者のほうが多くなる。
 実例を挙げよう。私はサラリーマン時代に2度消費税対策に取り組んだ。導入時と増税時だ。どちらも同じ手法でどちらも成功したと思っている。それは導入前や増税前に目一杯仕掛けるという戦略だ。残念なことにこの戦略は上司からは充分に理解されなかったようだ。計画の時点では納得するのだが、いざ不振時を迎えるとすっかり血迷ってしまう。それを無駄な悪足掻きとして否定する私の姿勢は、知恵に溺れて地道な努力を軽視しているかのように映ったらしい。
 私とて不振時の努力を否定しない。しかし行動は合理的であるべきだ。不振時にスタンドプレーで足掻いて見せるよりも、来るべき次の好機に備えた準備を整えることのほうが重要だと今でも考えている。
 ピンチにはピンチ時の対策がありそれはチャンス時とは全く異なる。もしダルビッシュ投手が手術後もそれ以前と同じ練習を続けていれば再起不能になっていただろう。「いざ鎌倉」の心情を否定する気は無いが、効率性を無視した悪足掻きを肯定することはできない。無暗に頑張るよりも知恵を使うべきだと考える。知恵を使わずに無暗に頑張って見せることこそ誠意を欠いた姿勢だろう。
 私は癌に対しても戦いを挑もうとは思わない。攻めは放射線に任せて、私自身は可能な限りでの栄養摂取に努めて守りを固める。ピンチでの対応策はチャンスとは違った発想に基づくべきだ。