俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

放射線治療

2016-05-26 09:56:08 | Weblog
 先月(4月)の下旬、私は余命数か月との宣告を受けた。抗癌剤による治療を受けるために2度入院したにも拘わらずその効果は全く無く、食道から肺と動脈に浸潤した癌は治療不可能だと告げられた。内科医はステントによって癌細胞を押さえ付ける延命策を勧めたが私はこれを拒否して、成功する可能性は僅か数%でそれによって食道と肺を隔てる正常細胞が破壊されて却って死期を早めかねないと言われた放射線治療を強硬に要求した。転院も辞さないとする強硬姿勢とその剣幕に圧倒された医師は渋々放射線治療を承諾した。
 それから約1か月、予想に反して私の癌は縮小し肺炎の炎症も軽減した。放射線科医は想定外の経過に驚くと共に、これまでよりも照射範囲を狭めて癌をピンポイントで攻撃するための見直しを実施した。同時に当初は50グレイを限度として設定していた照射量を60グレイにまで拡大した。
 自覚症状の変化は、量は決して多くないが固形物を食べられるようになったことが最も大きい。水分の摂取可能量も大幅に増えたので今後の夏場の脱水症や熱中症に怯える必要性も殆んど無くなった。抗癌剤による副作用が原因と思われる味覚障害も徐々に治癒しつつあるようだ。
 このように放射線治療は奇跡的と思えるほどの効果を齎したが、まるで魔法とも思える奇妙な印象を患者に与える。音も光も熱も痛みも感じないままに治療が進むからだ。治療をしたという実感が全く無い。外見上でも治療の痕跡は全く残らないから治療が行われたということさえ分からない。証拠は治療効果があったという事実だけだ。まるでハンドパワーか神通力で治療されたような妙な気分だ。
 放射線治療機のメーカーは真面目過ぎるから余計な機能など付けようとは考えないのだろうが、少しぐらいコケオドシがあっても良かろう。患者に熱や痛みを感じさせる必要は無いがおどろおどろしい音や神秘的な光があっても良かろうと思う。これは決して無駄な機能ではない。心理的効果が期待できる。家庭用の赤外線炬燵が必ず赤色光を伴うように照射を実感することも必要だろう。
 近藤誠氏の著書の愛読者である私は標準的な日本人と比べて随分放射線治療を理解しているつもりだったが、これほどの効果は全く想像していなかった。世界で唯一の被爆国である日本人は必要以上に放射線を怖がっておりその有効性を過小評価していると思える。こんなことで有効な治療法が充分に利用されていないとは嘆かわしい。欧米での放射線治療は手術と同程度に普及しているらしい。マスコミには国民の偏見に付け込んで不安を煽るばかりではなく正しい情報を伝える義務がある。
 いつものことだが、マスコミがバラ撒く情報は偏向している。手術や抗癌剤にばかり頼らずに放射線治療を受けていれば助かっていた人も少なくなかろう。
 その一方で放射線治療の限界も理解しておく必要がある。放射線には発癌性があるからこの治療によって新たな癌に罹る可能性がある。もう1つの欠点は照射許容限界の存在だ。過剰照射は患者を殺してしまう。だから許容限界に近付けばそれ以上の照射はできなくなり、癌細胞の取り残しが起こり得る。これが将来新たな病巣になった場合、既に許容限界に達しているから放射線による治療はできず他の治療法に頼らざるを得ない。