アメリカでの大統領候補選びのための予備選挙の結果に驚かされる。州ごとに余りにも異なるからだ。現代日本にはこんな全国統一での選挙が無いからあくまで推定でしか言えないが、沖縄を除けばこんな極端な結果にはならないだろう。地域ごとの違いはアメリカと比べて随分小さい。アメリカでの地域ごとの違いが異常なのか、日本での均一性が異常なのか、あるいはどちらも異常なのかはよく分からない。
アメリカは人種の坩堝であり民族構成比の違いによって民意も異なるだろう。実質的に単一民族である日本とは事情が異なる。しかしそれにしても差が大き過ぎると感じるのは私だけではあるまい。
全国紙が無いことも一因だろう。良かれ悪しかれ全国紙は全国一律に似た情報を提供する。しかし地方紙は地元の世論に迎合して情報を選別する。地元で関心を持たれ易い情報が選ばれるから、私のように三重県に住んでいればまるで名古屋が日本の中心であると錯覚しかねないほど情報は偏る。地域特有の価値観に基づいて新聞が報道するからその価値観が強化される。沖縄の政治意識が特異であるのは、その歴史の特殊性だけではなく、地元2紙の占有率が極端に高く(約98%!)全国紙などリゾートホテル以外では殆ど見掛けないことも大きな要因ではないだろうか。
ロシアではプーチン大統領は神格化されるほど人気がある。北朝鮮の金正恩委員長も日本では考えられないほど高い支持を得ているのだろう。これらは情報操作に依るところが大きい。偏った情報しか無ければそれが正しい情報と位置付けられる。
アメリカの大統領はこれまでなぜ広島を訪問できなかったのだろうか。世論の反発を恐れていたからだ。アメリカの国民の多くは原爆投下が正しかったという誤った歴史観を持っている。政治家は学校の教師ではないのだから国民の誤りを正す義務など無く、誤りに便乗して地位を守るほうが得策だ。アメリカの歴代大統領は国民が誤りに気付くまで、あるいは原爆投下に疑問を持ち始めるまで待たざるを得なかった。
民主主義は民衆の総意に基づく。総意が黒と言えば黒く、白と言えば白い。それが事実かどうかなど大した問題ではない。自分達が慣れ親しんだことや都合の良いことのほうが事実よりも優先される。
キリスト教徒が多い社会ではイエスの教えが正しくイスラム教は邪教だ。勿論ムスリム(イスラム教徒)の社会ではその逆になる。国民がそう信じている限り権力者であろうともそれを否定できない。下手に邪教を擁護すれば異端者扱いされかねない。社会に蔓延る偏見に背く発言はマスコミやネットなどによって袋叩きにされるかも知れないから穏便で当り障りの無い発言に終始する。
現代の日本人は中国人が大嫌いだ。こんなに中国人嫌いの人が多いのに自分自身の経験に基づいて嫌っている人はごく一部に過ぎないだろう。マスコミが煽るだけで世論など簡単に操作できる。
民主主義は所詮ポピュリズムだ。多くの人が同じ偏見を共有すればそれが世論であり、マスコミも読者や視聴者に迎合しなければ自分達が損をする。こうして悪循環が生まれる。
民衆を信じると語る政治家は大嘘つきだ。彼らは民衆の偏見に迎合する風見鶏に過ぎない。テレビが報じるのはそんな人々による空疎な言葉ばかりだ。
アメリカは人種の坩堝であり民族構成比の違いによって民意も異なるだろう。実質的に単一民族である日本とは事情が異なる。しかしそれにしても差が大き過ぎると感じるのは私だけではあるまい。
全国紙が無いことも一因だろう。良かれ悪しかれ全国紙は全国一律に似た情報を提供する。しかし地方紙は地元の世論に迎合して情報を選別する。地元で関心を持たれ易い情報が選ばれるから、私のように三重県に住んでいればまるで名古屋が日本の中心であると錯覚しかねないほど情報は偏る。地域特有の価値観に基づいて新聞が報道するからその価値観が強化される。沖縄の政治意識が特異であるのは、その歴史の特殊性だけではなく、地元2紙の占有率が極端に高く(約98%!)全国紙などリゾートホテル以外では殆ど見掛けないことも大きな要因ではないだろうか。
ロシアではプーチン大統領は神格化されるほど人気がある。北朝鮮の金正恩委員長も日本では考えられないほど高い支持を得ているのだろう。これらは情報操作に依るところが大きい。偏った情報しか無ければそれが正しい情報と位置付けられる。
アメリカの大統領はこれまでなぜ広島を訪問できなかったのだろうか。世論の反発を恐れていたからだ。アメリカの国民の多くは原爆投下が正しかったという誤った歴史観を持っている。政治家は学校の教師ではないのだから国民の誤りを正す義務など無く、誤りに便乗して地位を守るほうが得策だ。アメリカの歴代大統領は国民が誤りに気付くまで、あるいは原爆投下に疑問を持ち始めるまで待たざるを得なかった。
民主主義は民衆の総意に基づく。総意が黒と言えば黒く、白と言えば白い。それが事実かどうかなど大した問題ではない。自分達が慣れ親しんだことや都合の良いことのほうが事実よりも優先される。
キリスト教徒が多い社会ではイエスの教えが正しくイスラム教は邪教だ。勿論ムスリム(イスラム教徒)の社会ではその逆になる。国民がそう信じている限り権力者であろうともそれを否定できない。下手に邪教を擁護すれば異端者扱いされかねない。社会に蔓延る偏見に背く発言はマスコミやネットなどによって袋叩きにされるかも知れないから穏便で当り障りの無い発言に終始する。
現代の日本人は中国人が大嫌いだ。こんなに中国人嫌いの人が多いのに自分自身の経験に基づいて嫌っている人はごく一部に過ぎないだろう。マスコミが煽るだけで世論など簡単に操作できる。
民主主義は所詮ポピュリズムだ。多くの人が同じ偏見を共有すればそれが世論であり、マスコミも読者や視聴者に迎合しなければ自分達が損をする。こうして悪循環が生まれる。
民衆を信じると語る政治家は大嘘つきだ。彼らは民衆の偏見に迎合する風見鶏に過ぎない。テレビが報じるのはそんな人々による空疎な言葉ばかりだ。