消費期限と賞味期限という言葉の混在は紛らわしい。似た用途で同じような言葉が使われているから多くの消費者が区別できずに、「期限を過ぎたから」という理由で食品を廃棄している。周知徹底が不充分なことが最大の原因だが、言葉の選択も悪い。漢字にすれば区別できるが音としてはたった1音の違いでしかも韻を踏んでいるから余計に混同し易い。こんな誤解を招き易い言葉など使わずにもっと識別し易い言葉を使うべきだろう。例えば「美味しく召し上がって頂くための目安」とか「品質安定期」といった肯定的でしかも「消費期限」とは全く異なる言葉を使えば、本来不必要な廃棄を随分減らせるだろう。
日本には2種類の「ウミヘビ」がいる。爬虫類にも魚類にも「ウミヘビ」という呼称がある。一方はコブラ科のウミヘビでもう一方はウナギ目に属するウミヘビだ。この2つは種のレベルで全く異なる。後者はウナギの1種であり蒲焼きにして食べられるが、前者は爬虫類の蛇であり沖縄では一部の人がブツ切りにして食べてはいるが通常食用には使われない。こんな馬鹿げた動物名を放置しているのは日本語だけであり、英語ではちゃんとsea snakeとsnake ealと区別されている。全く異なった動物に同じ呼称を使って平気でいるのは余りにも無頓着だ。
同音異義語が多いことも日本語の欠点で、この欠点があるから誤変換遊びができるのだが、同じ漢字を使いながら読み方も意味も異なることがあり、前後の文脈から読み取らねばならない。「人気の無い劇場」「分別不足」「行ったイベント」「旅立ちのお供」「心中を知る」「その後妻は」など単独では何と読めば良いのか分からない言葉が無数にある。
言葉がいかにあるべきかは難しい問題だが、私は「誤解されにくい」ということを優先したい。私が時々妙な読点を使うのは大半が誤読を防ぐためだ。「美しい」や「正しい」言葉を優先すべきと考える人のほうが多いかも知れないが、言葉は正しく伝わらねばならない。たとえ悪文と言われようとも誤解されにくいことを優先したいと私は考える。学術用語は厳密に定義されているから使い勝手が良いし正確な表現が可能だがそれが相手に上手く伝わらなければ役に立たない。専門用語をどの程度まで使うべきかにはいつも悩まされる。
言葉は正しく伝わることが優先されるべきだ。誤解を招きそうな表現は改める必要がある。文字として定着してしまう文章は独り歩きし易いから話し言葉以上に注意を要する。誤解や曲解を許す表現が放置されていれば思わぬトラブルを招きかねない。もしそんな憲法があればそれはきっと国民を不幸にするだろう。
日本には2種類の「ウミヘビ」がいる。爬虫類にも魚類にも「ウミヘビ」という呼称がある。一方はコブラ科のウミヘビでもう一方はウナギ目に属するウミヘビだ。この2つは種のレベルで全く異なる。後者はウナギの1種であり蒲焼きにして食べられるが、前者は爬虫類の蛇であり沖縄では一部の人がブツ切りにして食べてはいるが通常食用には使われない。こんな馬鹿げた動物名を放置しているのは日本語だけであり、英語ではちゃんとsea snakeとsnake ealと区別されている。全く異なった動物に同じ呼称を使って平気でいるのは余りにも無頓着だ。
同音異義語が多いことも日本語の欠点で、この欠点があるから誤変換遊びができるのだが、同じ漢字を使いながら読み方も意味も異なることがあり、前後の文脈から読み取らねばならない。「人気の無い劇場」「分別不足」「行ったイベント」「旅立ちのお供」「心中を知る」「その後妻は」など単独では何と読めば良いのか分からない言葉が無数にある。
言葉がいかにあるべきかは難しい問題だが、私は「誤解されにくい」ということを優先したい。私が時々妙な読点を使うのは大半が誤読を防ぐためだ。「美しい」や「正しい」言葉を優先すべきと考える人のほうが多いかも知れないが、言葉は正しく伝わらねばならない。たとえ悪文と言われようとも誤解されにくいことを優先したいと私は考える。学術用語は厳密に定義されているから使い勝手が良いし正確な表現が可能だがそれが相手に上手く伝わらなければ役に立たない。専門用語をどの程度まで使うべきかにはいつも悩まされる。
言葉は正しく伝わることが優先されるべきだ。誤解を招きそうな表現は改める必要がある。文字として定着してしまう文章は独り歩きし易いから話し言葉以上に注意を要する。誤解や曲解を許す表現が放置されていれば思わぬトラブルを招きかねない。もしそんな憲法があればそれはきっと国民を不幸にするだろう。