おっさん先生と愉快な仲間のぶろぐ

先生って楽しい仕事だと思い続けることができたしあわせな爺っさまのつぶやきです。

この頃の先生はこれからの時代を読むことがとても難しいように思います。

2020-02-19 18:03:48 | Weblog
先生という仕事は校種も幼小中高と別れ、多岐にわたる「期待」や「要求」があり
これこそ「先生が必要とする専門的知識」、いわゆる「専門職」としての知識を確定することは難しいように思ってきました。

一時期はフィンランドの教育が、とか英国の教育がとかいう
海外の教育制度を模範としようとする動きがあったようなのですが、
それぞれの国における「専門職として必要な資格や資質」についての論議は
ほとんどのマスコミがスルーし、世間の人たちも、
「フィンランドの教育は進んでいるけど日本は・・」といった表層的な比較論でしか認識していなかったように思います。

日本においては、小学校と高校の教員とでは大学院の卒業者が占める割合が違うのですが、
それが、公になることはあまりないですし、
教育先進国と呼ばれる国との比較において、「受け持つ児童の数」についての対比はよく見受けられるのですが、
「専門職として必要な資格や資質」についてはなぜか語られてきませんでした。

近年ようやく、佐藤学さんの「教育方法学」から、授業の有り様や学校の課題が論議され始めているように思います。

その中で教師像の類型とその文化を「労働者としての教師」「公僕としての教師」「反省的実践家としての教師」「技術的熟達者としての教師」のカテゴリに分け
「官僚化と民主化」「脱専門職化と専門職化」という2方向を基軸として示されています。

この分類に、団塊の世代という人々共に現場で過ごしてきた僕にとっては
とても納得できるものでした。

あと一つ垂直の軸として「人間性」を組み込めば「新人類」と呼ばれた世代にも
理解しやすいものになっていったのではと思いよく講座で取り上げていました

この分類に団塊の世代がぼぼいなくなったころ、今からもう10年も前ですね
次の教育現場の先生たちをあてはめるとどのようになるのか。という興味がわきました。

「なぜ、公立の先生たちはおもしろいことをやらないのか」という疑問に、答えられるものがそこにあるように思ったからです。
でも、この10年社会が目まぐるしく変化し この頃の先生はこれからの時代を読むことがとても難しいように思います。

でも先生になりたいと思うあなたたちがいることが希望なのです。

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そろそろ 振り返ってみることも大事かな

2020-02-19 12:25:24 | Weblog
定年後も幸いなことに、「先生」を作る仕事にかかわることになって早5年
「先(未来)を生む」たくさんの若い先生たちの旅立ちを見ることができた。

初めてイレギラーで小学校の教頭が
なにもわからいまま教職大学院の准教授になって
ゼミの学生を教えた時からもう10年、

もう一度小学校現場に戻って
最後のお勤めをしながら、
やっぱり時代の変化に適応するには学びが必要だと思い
大学院に行こうと考え、無謀にも国立大に挑戦。
なぜか合格、そして無事前期課程修了
ただの小学校の先生でもこれぐらいのことは
できたのです。

小学校の先生での定年間際に思っていたことは
「ほんとに好きなことをしてみたい」ということだった。
プロパーになるには遅すぎるのに
実践家としてのまとめをするにはあまりにも忙しい日々で
記録などしていなかったのに

でも なんとかなったかな。
まわりにいっぱい素敵な仲間がいてくれたおかげです。

初めて教職大学院から送り出した学生たちは
もうすでに中核、ミドルリーダとして活躍している。
まだ誰も、やめたという連絡がないことが、ちょっとした誇り(笑)

大学教員として職場を去ろうとしている今、
でも、まだ何か、やり残したことはあるように思う。
でもゆっくりしたいという気持ちも。

ちょうど五年という節目を4月に迎える。
少し考えてみようかな。

とりあえず、
今年、小学校の先生を目指す母校の後輩のためこのブログ再開します。






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