
このほど、仏具店を通して石材屋さんから連絡があり、墓誌ができたので確認してほしいとのことでした。寺に行って確認したところ、亡父の隣に亡母の戒名が仲良く並び、きれいに出来上がっていました。本当は初盆までに出来上がっていれば良かったのだけれど、位牌壇のほうは間に合って、墓誌が順番待ちだそうで、時間がかかりました。とはいうものの、一周忌には両方とも間に合いましたので、良しとするべきでしょう。とりあえず、墓守役の任務の一つは果たしましたので、まずは良かった。
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ここからは、無責任な雑談です。先祖の遺産で寺の総代をしてはいますが、必ずしも敬虔な仏教徒というわけではありません。母親の腹から生まれていながら女性を不浄なものとして扱うのはいかがなものかと思いますし、殺生戒というのも戦乱の時代にあって人を殺すこと、あるいはむやみに動物を殺すことを戒めたのだろうと思いますが、すべての殺生を禁じる戒律という解釈はおかしいと考えています。例えば抗生物質で病原菌をやっつけるのもダメということになりますし、だいたいにおいて従属栄養生物である人間は他の生命を食うことでしか生きられません。このあたりは、おそらくは後の時代に教団内部の抗争があった時に、例えば蚊に食われるのを耐えるのも修行だみたいな意地の張り合いが戒律の解釈として取り込まれてしまったのだろうと考えています。おそらく、マラリア等を媒介するネッタイシマカのいない国を経由して仏教が伝えられるときに、そんなふうに変質してしまったのではなかろうか。
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ここからは、無責任な雑談です。先祖の遺産で寺の総代をしてはいますが、必ずしも敬虔な仏教徒というわけではありません。母親の腹から生まれていながら女性を不浄なものとして扱うのはいかがなものかと思いますし、殺生戒というのも戦乱の時代にあって人を殺すこと、あるいはむやみに動物を殺すことを戒めたのだろうと思いますが、すべての殺生を禁じる戒律という解釈はおかしいと考えています。例えば抗生物質で病原菌をやっつけるのもダメということになりますし、だいたいにおいて従属栄養生物である人間は他の生命を食うことでしか生きられません。このあたりは、おそらくは後の時代に教団内部の抗争があった時に、例えば蚊に食われるのを耐えるのも修行だみたいな意地の張り合いが戒律の解釈として取り込まれてしまったのだろうと考えています。おそらく、マラリア等を媒介するネッタイシマカのいない国を経由して仏教が伝えられるときに、そんなふうに変質してしまったのではなかろうか。
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