今日も元気で頑張るニャン

家族になった保護猫たちの日常を綴りながら、ノラ猫たちとの共存を模索するブログです。

ノラたちとの共存を目指して 番外編・5「政治とメディア」(ノラたちの未来を決める人たち)

2021年01月31日 | シリーズ:ノラたちとの共存を目指して
あまりにも過酷すぎる境遇と環境からノラたちを救おうと、このシリーズを書き始めて4年の月日が経ちました。当初は身近なノラを救うための身近な問題に取り組む予定でしたが、「闘魂編」を書いたあたりから見方が変わった。身近なノラを救うことは尊い。特に殺処分直前の、また多頭飼育崩壊現場からワンニャンを救い出す活動をしているボラさんたちには本当に頭が下がります。しかし、それだけではエンドレスの救出活動に疲弊するばかり。ノラを作り出す社会構造や人間の意識が変わらないと、この問題は未来永劫続くのです。

保護活動のボラさんたちはある意味利用されている。自ら資金を出し自分の時間と労力を使い、さらに現場で罵倒されネットで非難され、その一方であっちにもいるこっちにもいると頼まれる。ボラさんがいるから安心だと猫を捨てる人がいる。尻拭いをしてくれる人たちがいるから悪行が後を絶たない。善良な?市民は餌やりは非難するが猫捨ては黙認する。捨てなければ増えるはずもないのに、ネット上に数多ある猫の専門サイトまでが「エサをやるからノラが増える」とこぞって嘯(うそぶ)くのです。
注)猫の専門サイトを否定するわけではありません。いい記事もたくさんあります。

その現状を数値的に把握しようと試みたのが前2編(番外編3と4)でした。そして現状を改善できる立場にあるのが政治家と報道関係者だと思います。しかし現状はかなり見通しが暗い。何故なら彼らは社会を見ていない。彼らの思考の原点が票と視聴率(人気)だからです。自らはご馳走を囲んで会食しながら困窮者の話を伝える。「夕刊早読み」に象徴されるように、他メディアの情報を"確証バイアス"に満ちた基準で選ぶだけ。それが付和雷同となって、各局各番組が何度も同じ報道を繰り返す。

これから本論に入りますが今回はかなり辛口。"平和"を好む人は以下をスルーして下さい。

ノラたちの守り神:故テンちゃん

日本の政治の世界は、国も地方も虚偽に満ちている。表立って本音を言う人がいないからです。政治家はみな票を、そしてその票の源となるドンを見ている。党のドン。選挙区のドン。ドンに背けばこの世界にはいられない。個々の政治家としては正義感にあふれ世直しに奔走したいと思っている人も多いだろう。少なくともこの世界に入る前はみなそう思っていた。でも、ドンの機嫌を損ねれば何もできない。

自分は海外の人との付き合いが多かったが、特にアングロサクソン系の人たちは何よりも自分自身の考えを重視する。だから軋轢を恐れず本音でものを言う。一方日本のドンを中心とする政界の仕組みは、日本人の国民性が築き上げたものだ。ドンは決して表に出ず、さりげに好きだ嫌いだとのたまうだけ。そうして壮大な忖度の世界が構築されるのです。

菅首相のGOTO中止判断が遅れたのは党のドンである二階幹事長が全国旅行業協会長だからに他ならない。佐川局長が森友に格安便宜を図ったのは首相夫人が名誉校長だったからに他ならない。証拠なんてなくとも調べるまでもない。関係者一同百も承知の話だろう。忖度とは阿吽の呼吸のことで、実行する側にとっては何をするにもドンが認識してなければ意味がないからです。

このような政界と行政の仕組みは今後も変わらない。何しろ変えるのが当の議員たちである以上、変えようがないのです。可能性があるとすればドン自身の選挙(票)基盤の改革だが、ドンの盤石な選挙基盤は選挙区民の意思でもあるからどうしようもない。一般市民がどんな陳情をしても、業界が表裏でドンに差し出す以上のお金を積まなければドンは動かない。ドンの立場を維持するには何よりお金が要るからです。

ノラたちの守り神:故みう

このような政界を変えるひとつの可能性がメディアだ。メディアは場合によっては民衆の武器になる。しかし自分はメディアを信用していません。過去の歴史においてメディアは民衆の武器どころか、権力者による民衆弾圧の手段として機能してきたからです。先の戦争中、偽りの大本営発表を流布して国民を欺いたのはメディアだし、それどころか平和を願う人々を非国民扱いして弾圧のきっかけをつくった。

メディアとはニュース番組のディレクタープロデューサー、MCや解説者やコメンテーター、新聞雑誌の記者や編集者のことだ。昨今はコロナ問題で政府や役人を批判するばかり。GOTOを止めろと大合唱しながら、止めた途端に経営者の困窮に焦点を当てて報道する。結果論でああだこうだと誰でも言える。政府がウィルスを撒いたわけじゃないのに、国も自治体も行動を自粛してくれと言っているのに、自分には関係ないと遊び回っている連中が問題ではないのか。人気稼業のなせる業で責める相手が違うのだ。猫捨てを黙認してエサやりを非難するように、報道対象を選択し他方を黙殺することで真実を捻じ曲げてしまうのがメディアなのです。

しかし第二世代として頭角を現してきたネットメディアの世界には、世の中の片隅の真実を地道に伝えようとするライターたちがいる。この人たちは既成メディアと違って黙々と伝えることだけに専念する。ネットニュースやSippoなど専門サイトのライターたち。淡々と伝えるそのテーマが人間性を感じさせる。ただこの人たちは他者を攻撃しないので、世直しの力はない。一方ネットには欺瞞や悪口雑言もひしめいている。将来に期待できるのかどうかその動向に注意が必要です。

では、政治やメディアに期待できないとなると、ノラたちを根本的に救う道はないのだろうか。実はまだ少数ですが先日取り上げた天売島のように(過去記事「命の重み」)、地域猫活動がうまくいって野良猫が減った例も報告されています。それらに共通するのはTNRだけではうまくいかず、地域で猫捨てや家猫脱走抑止の強化、さらには無暗な餌やりの禁止(管理されたもとで行う)も併せて行っていることだ。

この先成功例が増えてメジャーメディアにも取り上げられるようになれば、一気に理解が広まって大きなムーヴメントに繋がることも夢ではないと思うのです。

ノラたちの守り神:故チビ

「ノラたちとの共存を目指して」:予告編(期日未定)
※その15(最終章)を追加しました。
その1  資料編「現状と動向調査」(追記:餌やり、地域猫問題) 2017.2.27
その2  現場編「ノラを守るのに理由は要らない」(報道されたボラさんたち) 2017.5.31
その3  エサやり問題・続編「裁判事例の検証・他」(司法が肯定したもの、否定したもの) 2017.8.31
その4  一服編「ノラだからこそ・・かわいい!」(ニャー&みう+テンちゃんの日常) 2017.11.30
その5  闘魂編「許さない、虐待に不法投棄に暗闇ビジネス」 2018.4.29
その6  原点回帰編「再確認・人間性とは?」(食肉、動物駆除と保護活動) 2018.8.31
その7  形而上学編「ノラの幸せとは」(シャッポやソトチビの行動に想う) 2020.1.31
その8  地域猫問題・続編「殺処分ゼロに向けて」(目的達成のために必要なこと)
その9  理想追求編「殺処分ゼロの先にあるもの」(対等の精神と真の共存) 
その10 最終章「共存の終焉」(ノラのいない社会)
番外編
番外編1「罪と罰」(法の実行と刑罰の妥当性) 2019.3.29
番外編2「動物愛護の精神を問う」(餌やり議論の本質) 2019.10.31
番外編3「エサをやるなは殺せと同じ・第3弾(前編)」(特別加入) 2020.6.30
番外編4「エサをやるなは殺せと同じ・第3弾(後編)」(特別加入) 2020.8.31
番外編5「政治とメディア」(ノラたちの未来を決める人たち)

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