今朝、ちょっとした騒動がありました。
夜明けとともにわが家の家裏で2匹の猫のけたたましい喧嘩声。慌てて妻が追い払ったが2匹は数軒先に移動してまた喧嘩。妻が家に入ると家裏に戻ってきてまた喧嘩。今度は間に入って別々の方向に追い払ったそうです。その間、お隣さんと裏のお宅で雨戸を開ける音が。
いやいや、驚きました。昨年春はハリーとシロキの喧嘩声が地域の問題になって、まずハリー、そしてシロキを保護した11月に解決したばかりです。その間に現れた新顔ちゃんに出していたご飯にやってきたのが黄白猫(多分3年前にソトチビが連れて来た「お兄さん」)。夜になるとたまに顔を出す程度と思っていたら、もう1匹黄白猫が現れて喧嘩になったらしい。いや、もともと黄白猫は2匹だったのかもしれません。
新顔ちゃんの現れる時間が不定期なので、ときたま置き餌の形になっていたので他のノラを誘ったのでしょう。しかし過去のいきさつから、地域の問題を今以上に大きくするわけにはいかない。黄白猫たちには申し訳ないが、今後は新顔ちゃんを確認したときだけピンポイントでご飯を出すことにしました。新顔ちゃんも不便にはなるだろうけど、末永く見守るには近隣のお宅への配慮も欠かせません。(後注:この部分の話は2月2日「黄色いノラちゃん」に続きます。)
それにしても、黄白猫たちは丸々と太っていたとか。冬季のモフモフを考慮しても、「シロキ以上に太っていた」と。この地域では、ノラと言っても草原(休耕田)の先にある旧農家さんの外飼いニャンコの可能性が高い。ソトチビがそうだと推測されたように、2匹の黄白もそうなのかもしれません。
そのソトチビですが、ここにきて非常に残念ながら不明者リスト入りの決断をしました。
昨年2月末にリンの術後復帰と同時に姿を消したソトチビ。昨秋以来何とか呼び戻そうと寝床を整備して少量の置き餌で様子をみていたのですが、シロキの保護が遅れたり今度は黄白が現れたりといろいろあって、とうとうソトチビの姿を確認することはできなかった。
2015年9月、ソトチビ初めての写真(再掲)
ソトチビはまだテツが存命のときに現れた子ニャン。みう同様にテツの忘れ形見だ。晩年拒食症になったテツの残り餌を片付けてくれた。テツ亡き後は、テツ2世としてお迎えすることも考えたほどです。そのソトチビはみうやリン、キー、クウをわが家に紹介し、彼らが幸せになる手伝いをした。そして自分は、消息を絶ってしまったのです。
ソトチビはすぐにみう(当時「おかあさん」)を連れて来た(左端は「お兄さん」)(再掲)
ソトチビは殆ど鳴くことのない、物静かで気配を感じさせないニャンコ。今も草原の向こうからこの住宅街には散策に来ているとは思うけど、まったく姿を見ないと何かあったのかと心配にもなる。それを確かめる術はありません。でも、いつひょんなことで再会するとも限らない。
やがて居着いたみうと通いのソトチビ、家裏ニャン歴史の始まりだった
過去3度の冬にわたってソトチビが過ごした家裏の寝床は、今は冷たい空家となっています。その寝床も、ソトチビの思い出やヒストリーがいっぱい詰まった本ブログのカテゴリーも、そのままにしておきます。ノラの生活は波乱万丈。決して安住(あんじゅう)することはない。それが、ソトチビが最後に身をもって教えてくれたことになるのでしょうか。
(再掲)
きっとまた会おうぜ、ソトチビ
夜明けとともにわが家の家裏で2匹の猫のけたたましい喧嘩声。慌てて妻が追い払ったが2匹は数軒先に移動してまた喧嘩。妻が家に入ると家裏に戻ってきてまた喧嘩。今度は間に入って別々の方向に追い払ったそうです。その間、お隣さんと裏のお宅で雨戸を開ける音が。
いやいや、驚きました。昨年春はハリーとシロキの喧嘩声が地域の問題になって、まずハリー、そしてシロキを保護した11月に解決したばかりです。その間に現れた新顔ちゃんに出していたご飯にやってきたのが黄白猫(多分3年前にソトチビが連れて来た「お兄さん」)。夜になるとたまに顔を出す程度と思っていたら、もう1匹黄白猫が現れて喧嘩になったらしい。いや、もともと黄白猫は2匹だったのかもしれません。
新顔ちゃんの現れる時間が不定期なので、ときたま置き餌の形になっていたので他のノラを誘ったのでしょう。しかし過去のいきさつから、地域の問題を今以上に大きくするわけにはいかない。黄白猫たちには申し訳ないが、今後は新顔ちゃんを確認したときだけピンポイントでご飯を出すことにしました。新顔ちゃんも不便にはなるだろうけど、末永く見守るには近隣のお宅への配慮も欠かせません。(後注:この部分の話は2月2日「黄色いノラちゃん」に続きます。)
それにしても、黄白猫たちは丸々と太っていたとか。冬季のモフモフを考慮しても、「シロキ以上に太っていた」と。この地域では、ノラと言っても草原(休耕田)の先にある旧農家さんの外飼いニャンコの可能性が高い。ソトチビがそうだと推測されたように、2匹の黄白もそうなのかもしれません。
そのソトチビですが、ここにきて非常に残念ながら不明者リスト入りの決断をしました。
昨年2月末にリンの術後復帰と同時に姿を消したソトチビ。昨秋以来何とか呼び戻そうと寝床を整備して少量の置き餌で様子をみていたのですが、シロキの保護が遅れたり今度は黄白が現れたりといろいろあって、とうとうソトチビの姿を確認することはできなかった。
2015年9月、ソトチビ初めての写真(再掲)
ソトチビはまだテツが存命のときに現れた子ニャン。みう同様にテツの忘れ形見だ。晩年拒食症になったテツの残り餌を片付けてくれた。テツ亡き後は、テツ2世としてお迎えすることも考えたほどです。そのソトチビはみうやリン、キー、クウをわが家に紹介し、彼らが幸せになる手伝いをした。そして自分は、消息を絶ってしまったのです。
ソトチビはすぐにみう(当時「おかあさん」)を連れて来た(左端は「お兄さん」)(再掲)
ソトチビは殆ど鳴くことのない、物静かで気配を感じさせないニャンコ。今も草原の向こうからこの住宅街には散策に来ているとは思うけど、まったく姿を見ないと何かあったのかと心配にもなる。それを確かめる術はありません。でも、いつひょんなことで再会するとも限らない。
やがて居着いたみうと通いのソトチビ、家裏ニャン歴史の始まりだった
過去3度の冬にわたってソトチビが過ごした家裏の寝床は、今は冷たい空家となっています。その寝床も、ソトチビの思い出やヒストリーがいっぱい詰まった本ブログのカテゴリーも、そのままにしておきます。ノラの生活は波乱万丈。決して安住(あんじゅう)することはない。それが、ソトチビが最後に身をもって教えてくれたことになるのでしょうか。
(再掲)
きっとまた会おうぜ、ソトチビ
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