第2話のマーチの話、ケージ飼いの悲劇はよくありそうな話です。
悪意がなくても、日本にはもともと動物を繋いだり檻に入れて飼育する文化があるからです。実際、「猫 ケージ飼い」をネットで検索すると沢山の記事がヒットする。獣医師さんや獣医師さん監修の記事も多い。それらのタイトルだけ見ればケージ飼いを肯定する記事ばかり。実はそれが問題なのです。あの"ノラ猫への餌やり禁止"と同質の問題が、ここにもありました。
当ブログでは何度も繰り返しているように、いかなる自治体の条例も餌やり自体を禁止していません。法律違反だからです。禁止しているのは環境に配慮しないなど"不適切な方法"での餌やりなんですが、一見では餌やり禁止としか見えない。それと同じで、ケージ飼いを肯定する記事の中身を読めば、タイトルとは裏腹にケージの使用を一時的なものとするよう断っているのです。自分も養生のときなどケージの必要性は認めます。しかし基本的に猫には自由や運動が必要なことは言うまでもない。ちなみに「猫 完全ケージ飼い」で検索したところ、何と最初に出てきたのは愛読している「ねこちゃんホンポ」の記事。タイトルでは完全ケージ飼いを肯定しているのに、内容的にはやはり「毎日外に出しての運動が欠かせません」だって。何をかいわんやです。
自治体の条例や専門家気取りのネット記事が、どうしてこんなに読み手を惑わすような書き方しかできないのか、その結果としてどんな文化が生まれてしまうのか、動物福祉後進国日本がこんなことで生まれたのだとしたら本当に残念な話です。
ニャー:猫族にとっては何より自由が大切なんだニャ
さて、今回の話。
Sippoには佐竹茉莉子さんの他にも、自分の好きな書き手さんが大勢います。「猫はニャーとは鳴かない」シリーズの宮脇灯子さん、「家猫庭猫」シリーズの安彦幸枝さん、等々。飾らない文章で事実だけを淡々と繋ぐ。それでいて人の気持ちも猫の気持ちも痛いほど伝わってくる。何回読み返しても胸にジーンとくる感動があります。それはきっと、決して飾ることのない、そして運命に従順な猫(特にノラ)の生き様に相応しい書き方だからなんだと思います。
今回は、その中から安彦幸枝 さんの「庭猫スンスン」のお話。本にもなってるのでご存知の方も多いと思いますが、スンスンとの出会いから別れまでが淡々と綴られる物語。そこに描かれるのはノラの悲哀か、ノラの幸せか。安彦さんと一緒に考えたくなるテーマです。この話は5話からなるシリーズ。各回の記事下から次の回に飛ぶことができます。安彦さんへのインタビュー記事も一緒にリンクしておきます。
「庭猫スンスン」
※単行本発刊に際して
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