日伊文化交流会

サークル「日伊文化交流会」は板橋区で生まれ、元東都生協登録サークルとしてイタリア好きの人たちが集まり楽しく活動しています

日伊協会特別セミナー「サヴォーヤ王家の再発見」に行ってきました(2016.3.19)@日伊協会

2016年04月18日 | イタリア語
日伊協会特別セミナー「サヴォーヤ王家の再発見(I Savoia, questo e quello)」に行ってきました(2016.3.19)@日伊協会


もうすっかり常連となってしまいましたが今回も行ってきました日伊協会同時通訳付き特別セミナー!!

同時通訳コース担当であり日本のイタリア語通訳・翻訳の第一人者 リッカルド・アマデイ先生自らが講演されるとあり今日もまた満席~ 

「サヴォイア」ではなく「サヴォーヤ」と発音します(iaは離さずに発音する)との始まりで 事前に自分でも色々調べてきたものの あまり詳しく知らないままに当日が来てしまいましたが とてもわかりやすくて面白いお話をしていただきました:

まずは各国のdinastia(王朝・王家)の歴史について触れ 日本(神武天皇は660aC1月1日に即位され 太陰暦/calendario lunareではこれが2月11日に当たり それが建国記念日となった) 中国 エジプト フランス イギリス ドイツ オーストリアの王朝をざーっとおさらいし ようやくサヴォーヤ家登場!!

サヴォーヤ家の紋章(stemma)には"FERT"とあります これがあとから解明されるというわけ

木の形をした家系図(albero genealogico)を示され signori(領主)からconti(伯爵) duchi(侯爵) そしてre(国王)へと上り詰めたサヴォーヤ家ですが その起源には様々な説があるものの ウンベルト・ビアンカマーノ/Umberto Biancamano(980-1047)という領主(signore)のちに伯爵(conte)は確かに存在しました
このBiancamanoは亡くなられたあとにつけられた呼び名で ラテン語の"城壁"を"手"と書き間違えたことによるらしいです

そしてアメデオ8世/AmedeoⅧ(1383-1451)は conte(伯爵)からduca(侯爵)となり「温和公」(il Pacifico)と呼ばれたそうです

エマヌエレ・フィリベルト/Emanuele Filiberto(1528-1580)は若くして亡くなりましたが testa di ferro(鉄の頭、とても頑強/robustoで、という意味)と呼ばれたそうです 
彼は主に 法律ではイタリア語を使うようにした(それまではラテン語) 1563年に首都をシャンベリーからトリノに動かした(これが歴史の転換点となります) 灌漑をすすめたり土地つきの小作人のシステム 手工業を発展させ 銀行を作り プロの軍隊を作った等の功績を残しました トリノのPiazza San Carloに彼の像があります(写真) 

ヴィットリオ・アメデオ二世/Vittorio Amedeo Ⅱ(1666-1732)は duchi(侯爵)からre(国王)へとなったのですが ローマ時代の区画整理を推し進めたとのことで ヨーロッパで唯一のローマ時代の区画(碁盤の目/scacchiera)を保存したのがトリノで 本丸(cittadella)のある古い地図を示してくださいました 

このアメデオ二世のところで"Feemenina Erit Ruina Tua"すなわち冒頭で出てきた紋章にある文字"FERT"がようやく解読されました 彼は9才で病にかかり 母が宰相を務めましたが ルイ14世の遠縁と結婚するも のちの1690年にフランスと戦います 
 

1713年 スペイン継承戦争の結果シチリア王国の王位を獲得 1720年にハプスブルク家とシチリア島 サルデーニャ島の交換を行い サルデーニャ王国の王位を代わりに得ました

(サルデーニャ王国/Regno di Sardegna: ピエモンテとサルデーニャ島 現フランス領のサヴォワとニースを主要な領土とした王国 サヴォーヤから興ったサヴォーヤ王国を起源とする)


カルロ・アルベルト/Carlo Alberto (1798-1849)は "Re Tentenna"(優柔不断王)と呼ばれたそうです そしてその息子こそがかのヴィットリオ・エマヌエーレ二世/Vittorio Emanuele Ⅱ(1820-1878)イタリア統一後の初代イタリア国王でした こうしてサヴォーヤ家は"re d'Italia"となったのです

さて最後の国王として ウンベルト二世/Umberto Ⅱ(1904-1983)は一か月のみ即位したことから"re di maggio"(5月王)と呼ばれました 
かくして 1003年のUmberto Biancamanoに始まり 1946年にUmbertoⅡで終わったサヴォーヤ家は じつに943年の長きにわたり続いたのでした...


そして次にサヴォーヤ家の残したものについて さまざまな宮殿/palazzoが写真とともに説明されましたが 一番面白かったのはピエモンテの Palazzina di caccia di Stupinigi (Juvarraが作った)で 町の外に作られた別荘(villa)でヴェルサイユ宮殿をまねたもので 賓客をもてなせるだけの農園や 王の狩り専用の森まであったそうで 舞踏場もあり 当時は使用人(servi)と見なされていたオーケストラは 王と同じ下の階ではなくバルコニーから音楽を奏でたそうです

また castello d'Racconigiの中には 冒頭で紹介されたサヴォーヤ家の家系図があり ここの広いcucinaの写真も紹介されました 

千年の歴史があり 外国の王家との政略結婚で(少しの例外はあるが)勢力を伸ばし しっかりした後継者がおり 芸術を守ったサヴォーヤ家でした

    *          *          *

そしてまた同時通訳者の皆様 本当に本当にお疲れさまでした!! 今回は私もビュッフェにも出てみました あちこちに知り合いがだんだんと増えてゆき 毎回行かないわけにはゆきません(*^^)v
でもR.アマデイ先生の講演をまとめるのはやっぱり緊張してしまいます(笑)←大胆不敵?! ミスがあったらスミマセン<(_ _)>

素晴らしい同時通訳セミナーを開催してくださいました日伊協会様に 心よりお礼申し上げます

開催のお知らせは こちら

* 写真は トリノのPiazza San Carloです  



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