庭でキキョウが咲いていました。
後日、良いミニコーンを作るには、早朝に雄花を雌花に付ける、と知りました。
昨年までは芽が立ち上がる頃、今年は芽が何個出るかなぁ、とワクワクしながら楽しみにし、株を分けて下さった方に感謝しながら、開花を楽しみにしてきました。
歳を重ねると共に感謝の気持ちが薄れ、今年はキキョウに被さるように伸びたローズマリーに日を遮られ、気付けば、二つしか咲きませんでした。
キキョウを見る度にお世話になったあの方を懐かしんでいたのに、生長を楽しみにして来たのに、年々、感謝の気持ちが薄れていることにはっとしました。
今、おばちゃんの至福のひとときは、撮り溜めたテレビの録画を見ている時と撮り溜めてきた切り抜きメモを整理している時かも。
切り抜きを整理をしていたら、2023.3.25のメモが出てきました。
読み直して、改めて"私の心の辞書では、感謝と謝罪が同義語になっている"なる記事にそうかも、と納得しました。
お世話になっていたのに、年々、感謝の気持ちが薄れたり、おばちゃんのわがままを広い心で受け止めてくださったり、思い出してはっとすることが度々です。
今年、ある方からミニコーンの種を頂きました。
種を蒔き、畑に移植して、雄花が出て、
続いて雌花が出て、ただ眺めていたおばちゃん。
後日、良いミニコーンを作るには、早朝に雄花を雌花に付ける、と知りました。
どうやって付けるの?
雄花を揺すればいいの?
種をくださった方に良い報告をしたかったのに、余りに無知過ぎるおばちゃんです。
子どもの頃は母の苦労も知らずに、勝手に実が付き、食卓に並ぶと思っていました。
放っておいても植えれば、確実に実が付くと考えていたおばちゃん。
色々な作業の連続があって始めて立派な野菜になることに、今頃やっと気付きました。
嬉しく、ありがたく頂戴して、食していたか、畑を通した、感謝と反省と謝罪の昨今です。